「別れましょう」
この学園の生徒会副会長であり、俺の恋人でもあるところの目の前の美しい男、和泉元治は、唐突にそう告げて来た。
「は?」
馬鹿面を晒して見つめ返す俺…生徒のトップたる生徒会長であり、この学園一の色男、比肩しうるものなき男前、天下無双のイケメン…日向夕紀人に、和泉はさらに巨大な爆弾を投下してきた。
「あなたのような馬鹿には、ほとほと愛想が尽きたんですよ。これ以上は付き合いきれません。交際はもうこれっきりにしましょう」
「何でだよ。俺が一体何をした」
「何をした? は! 白々しいことを! では聞きますが、これは一体何ですか?」
突然そんなことを言われても、納得できるはずがない。
理由を問うと、和泉はぐいと俺の襟を引っ張り、首筋をさらけ出すようにして見せる。
自分では見えないが、おそらくそこにあるだろうものは、キスマークだ。
「…お前がつけたんだろ?」
「違います。私がつけたのは反対側です」
「…そーだっけか?」
俺はそらっとぼけた。
キスマークの心当たりがあり過ぎて、誰がいつつけたものだか皆目見当がつかないのだ。
「浮気性で不誠実、ワガママで強引で、他人に対する思いやりの欠片もない。あなたにはもう、軽蔑と失望しか感じられません」
「待て!!」
言いたいだけ言って踵を返す和泉の腕を、俺は咄嗟に掴んでいた。
「…何か?」
「別れる前に、一回ヤらせろ!」
「はあ?」
「だから、お前を抱かせろって言ってんだよ!!」
わめく俺に、和泉が冷たい目を向けてくる。
「…あなた、ネコでしょう」
男の中の男と言った外見の俺と、柔和で繊細な顔立ちで、一見すると女らしくすらある和泉とでは、和泉の方が女役だと思うものがほとんどだろう。
実際、学内一の美人として、和泉はタチ役の男からの人気が高い。俺も何度もやっかみの言葉を囁かれたほどだ。
だが実際は、不本意ながら、そうなのである。
「俺はもともとはタチだ。お前がネコは嫌だっつーから、渋々ネコに回ってやってたんだろうが」
「へえ? その割には毎回、うるさいほど喘いでたみたいですけど?」
「快楽には素直に従うってのが俺のモットーなんだよ」
「…なるほど。下半身に脳味噌があるというわけですか。さすが、顔だけが取り柄の性欲馬鹿なだけありますね」
「褒めるなよ。大体、浮気だって、お前が抱かせてくれねえのが悪いんだろ。だから他の奴等で発散するしかなかったんだ」
「そこが、馬鹿だと言っているんです!! 盛りのついた猫じゃあるまいに、自分の性欲くらいコントロールしなさい!! 誰彼構わずなんて、不潔です!!」
「るっせーな! 溜まるもんは溜まるんだからしょーがねーだろ!」
「…馬鹿馬鹿しい。こんなこと、何回言ったか。たとえ千回、一万回言おうとも、あなたには届かないんでしょうね」
開き直った俺から目を逸らし、和泉は重たげに息をついた。
「…私はもう、疲れました。これ以上はもう無理です」
「ふん…どーしても別れるってなら、抱かせろ。じゃねーと別れてやんねーからな」
「…はあ。勝手に言っていなさい」
呆れた顔でそう言うと、和泉は生徒会室を出て行った。
「…くそっ…!」
部屋に一人になった瞬間、今まで堪えてきた感情をぶつけるように、壁を殴りつけた。
「…何でだ、和泉…!」
突然の事態に、身体の震えが収まらない。
今まで何度浮気を繰り返しても、いつも最後は渋々許してくれた。
だから今度も、そうなると思っていたのに。
「…ぜってー、別れるもんか」
あのプライドの高い和泉が、素直に俺に身を任せるはずがない。
よって、交換条件が成就することは、ない。
…だから俺はそれを盾に、別れをとことん拒絶するつもりだ。
「おい、入るぜ」
壁に背を預けてしゃがみこんでいると、生徒会室の扉をノックする音と同時に、声が聞こえた。
扉が開いて、背の高い男子生徒が入ってくる。風紀委員長の加賀だ。
加賀は床にへたり込む俺の姿を見ると、驚いたように駆け寄ってきた。
「おい、どうした!」
「っせえ! 眠くなったからあくびしただけだ!」
滲んだ涙を拳で拭い、肩に乗せられた加賀の手を振り払う。
「もうちょっと、頭を使った言い訳しろよ。下半身馬鹿の会長だろうが、成績だけはまともなんだからよ」
「うっせえうっせえうっせえっ!! 何の用だ!」
「ご挨拶だな。期限になってた書類持って来てやったんだろうが」
「どうもありがとよ。つーわけで、さっさと帰れ」
「本当に可愛くねぇ野郎だな。人が心配してやったっつーのに、その返礼がこれかよ」
「てめえなんぞに可愛いとか、死んでも思われたくねーよ。そのツラ見るだけでイライラしてくる、とっとと消えろ!!」
「…へーへー。ヒステリーには付き合ってらんねえから、さっさと退散するよ」
お手上げという風に両手を挙げて見せ、加賀は退室していった。
もともと仲はあんまりよくはない奴だったが、純粋に心配してくれただろう相手に、あんな態度で返してしまって、申し訳ないと思う気持ちが僅かにあった。
だが、どうしても一人になりたかったのだ。
男は、誰にも泣き顔を見せてはいけないのだから。
「和泉…」
一人きりになった生徒会室で、俺は嗚咽を漏らし続けた。