疑う 道路をわたって、シリウスくんは私も入ったことのない、人気のない路地裏の中に入っていった。シリウスくんは私をまったく振り向かず、ひたすら前へ進む。…私は少し怖くなって、無理やり足を止めた。 「あ、あの、どこ行くの?」 私はできるだけ不安を声に出さないように頑張りながら聞いた。シリウスくんは私をチラッと見たけど、すぐに歩き出してしまった。どうしたんだろう。こんなところに入って…何かあるのかな?近所に住んでるのに、こんな場所があるなんて知らなかった。 路地の行き止まりで、シリウスくんは立ち止まり振り返った。私はただ、困惑した表情をしていると思う。 「…シリウス、くん?」 30間近のおばさんの、被害妄想でしかないかもしれない。でも、真面目な顔をするシリウスくんに、人気のない場所。私はどこかから誰かが飛び出してきて何かされるんじゃないかと内心ビクビクしていた。 「エリ、俺は魔法使いなんだ」 「…え?」 シリウスくんはなんの前触れもなく口を開いた。聞き間違いかと思った。魔法使いと聞こえた気がする。何かの職業と聞き間違えたんだろうか。 「俺は魔法が使える」 シリウスくんはゆっくりと発音した。私はそれを飲み込むと、急にシリウスくんが怖くなった。 魔法?…手品とかじゃなくて?冗談にしては顔が真剣すぎる。もしかして、シリウスくんは変な人なんだろうか。そんな、お店にいるときはそんな風全然なかったのに。というか、なんでわざわざこんなところで言うの? 「な、に言ってるの?あの、離してくれない?」 シリウスくんはどこかで頭を打ってしまった人なのかな。確信めいた疑惑が隠しきれない。 「ごめん、順番を間違えた。俺は、エリが好きだ」 シリウスくんは私の手を話してくれない。そして、私のことを好きだという。訳が分からない。なんといったら良いのか。シリウスくんは、何を言ってるんだろう。 「エリ、ごめん。急に言われても戸惑うよな。でも、本当なんだ。俺の頭はおかしくないし、今魔法を使えって言われれば使える。その、もちろん信じてもらえないと思う。でも、おれは2ヶ月間エリのことばっかり考えてた。たぶん、いや、絶対、お前が好きなんだ」 シリウスくんは手を離すどころか、両手で私の手を包み込んでしまった。今の私には顔を赤くする余裕なんてなかった。その手とシリウスくんの真剣な顔を交互に見る。 本物の魔法使い?そんなの、童話の世界だし。確かに小さい頃はどこかにきっと魔法使いはいるとか、思っていたけど、そんなの20年も前の話で。この5歳年下の男の子はそれを、未だに信じていて、信じすぎているんだろうか。 「魔法、なんて。ありえないよ」 シリウスくんが、魔法使い?笑うべき冗談なんだろうか。魔法なんてね、現実には存在しないんだよ。理解しなきゃいけないんだよ。私は子供を諭すように言った。 「エリ」 シリウスくんはぎゅっと顔をしかめた。 「そう、シリウスくんはおかしな人だったんだね。そういえばシリウスくんはお仕事のことは大変だって言うだけで教えてくれなかったし。何か変な組織にでも入ってるの?困るよ。こんなとこに連れてきて私に何する気なの?」 「エリ、何もしない」 「じゃあどうしてこんなところに?魔法なんてあるわけないでしょ?大人になって真剣な顔でそんなこというの、変な人だけだよ」 「本当なんだよ」 「ありえないよ」 私はシリウスくんの願うような声を振り払うように首を振った。この人はおかしな人なんだ。やだな、こうやっていろんな人を変な組織に勧誘したりしてるんだろうか。若い子なら信じたかもね、でも残念。私は無駄に年を重ねてるから、そんなのありえないってわかってるよ。 シリウスくんは逃れようとする私の腕を掴んで、ポケットの中に手をいれた。何をする気なんだと、私はビクリと震えた。しかし、出てきたのは木の棒だった。短くて、ただの枝とは言えないきれいな棒。シリウスくんは何かを口に出すと、杖の先から白とピンクの綺麗な花がぽぽぽんと可愛い音をさせて咲き乱れた。 私はそれを呆然と見つめた。 「手品、うまいんだね」 これがシリウスくんの言う魔法なんだろうか。だとしたら思っていたより可愛いかもしれない。あぁ、シリウスくんの魔法使いって、手品師のことだったのかな? 「…どうしても、信じられない?」 シリウスくんは絞り出すように、杖の花を消してから呟いた。私は完全にシリウスくんはおかしな人だと認定してしまいそうだ。手品師だということは認めるけど、魔法使いって。私はシリウスくんの腕から逃れようともがいた。 「もう、俺なんか好きじゃない?2ヶ月も自分を放っておいた、5歳も年下の、自称魔法使いのガキなんて、もういらない?」 シリウスくんの自嘲混じりの笑みに、私はこまってしまった。ガキなんて、思ってなかった。シリウスくんの悲しそうな表情に、私はドキリとしてしまった。おかしな人だとは思うけど、私は今までのシリウスくんが心から好きだったわけで。 「…エリ、ジェームズとリリーが、結婚する前によく行ってた場所があるんだ。今から一緒に行かないか?」 シリウスくんは突然そんなことを言った。そういえばジェー ムズくんとリリーちゃんは彼の友達で。ハッとする。もしかして旧友って、そういう意味?ジェームズくんたちは私がハンサムな人が好きなのを知って、シリウスくんを送り込んできたとか?いや、さすがにそんなのは被害妄想がすぎるだろう。リリーちゃんなんて、私が物心ついたときからお店に通ってくれていた子だ。そんな、おかしい子だなんて、ありえない。 「それは、どこにあるの?」 私はそれでも動揺を隠しきれずには震える声で言った。 「フランスの、とある森の中」 「フランス?」 まさかの外国の名に、私は単純に驚きの声をあげてしまった。フランスに、今から?しかも森の中って、明日は仕事があるのに。 「エリ、ちょっとだけ、俺に体を預けてくれないか。俺たちなら一 瞬で行けるんだ。ただ、ちょっと、初めてだと気分が悪くなるかもしれないけど」 私は眉をひそめた。一瞬でいけるって、テレポートできるってこと?あぁ、魔法使いだから?この人はすごく真剣な顔をしている。かわいそうな人。魔法なんていう幻想にとらわれて。ジェームズくんとリリーちゃんがフランスの森の中でデートしたなんて話は聞いてない。別に聞くようなことでもないけど。 「エリ」 「…………」 「駄目か?」 「…………」 「なぁエリ、俺は、お前が好きなんだ。都合が良い男かもしれないけど、さっきからのエリの表情と視線に、俺はすごく胸が痛いし悲しい。エリ、頼む。信じてくれ」 シリウスくんの心から願うような声に、私は思わず下げていた顔を上げた。苦しそうな顔をしている。どうしよう。一度くらい付き合ってあげるべきなんだろうか。シリウスくんの顔を見ていると、おかしな人とかかわいそうとかいう言葉が頭の隅にどんどんおいやられていく。だって、私の目の前にいるのは、私の恋焦がれた人なんだ。 急に、シリウスくんが私の体を引き寄せた。背中と頭に手を回されて、ぎゅうぎゅうと抱きしめられる。私はびっくりしすぎて抵抗できなかった。シリウスくんの大きな手のひらを感じる。ちょうどシリウスくんの胸に顔があたって、とくんとくんと少し早い鼓動が聞こえた。シリウスくんに、抱きしめられてる?シリウスくんの、私の頭に触れている手のひらが少しだけ動き、私の髪がさらりと揺れる。シリウスくんは抱きしめた時と同じくらい唐突に、私の体を離した。 私は何も言えずにシリウスくんの顔を見た。顔が、赤い。私じゃなくて、シリウスくんの顔が、赤い。 初めて見た。苦しそうに顔を歪めて顔を赤く染めるシリウスくんは、すごくきれいで、かっこよかった。 「エリが、好きだ」 シリウスくんは絞り出すように言った。好き。その言葉は、ずっと待ち望んだものだったのに。嬉しい。でも。頭の中がぐちゃぐちゃだ。一気にいろんなことがおきすぎてるよ。 「…エリ」 「待って」 私は手を前に出して、何か言おうとするシリウスくんにストップをかけた。 「ちょっと、整理させて」 かろうじてそれだけ言うと、シリウスくんは何も言わないでくれた。 |