珍しいな、と思った。なにもかも。普段なら、この時間ならとっくに家路についているはずなのに。夕日がかった教室。人影の見当たらない廊下。ふたりきり。数少ない友人の、彼女。偶然見かけたから、ってわけでもないんだけど。「堀さん」と、思わず名前を呼んでみた。実は自分が彼女のことを呼び止めたことはこれが初めてだったりする。情けないことかもしれないけど、いつも声を掛けてくるのは彼女の方だったから。そんな彼女の肩が、珍しく落ちていたように見えたから。そして振り返った相手の顔が、いつもとは違うもののようだったから。だから声を掛けてしまったのかも。珍しくも。振り返ってすぐに、自分の姿を確認してえがおをつくる。柳君。声音は平生となんら変わりなかったが、珍しい、顔色をしていた。それは、とても、

「 なにか、あったんですか?」

 ぽかん。頭が垂れる。閑散とした校内。普段ならば、ここでギャラリーが増えて騒がしくなるのが僕彼女の日常であったが、なにもかも珍しい今、そんな見慣れた情景が目に入ってくることはなかった。垂れたあとに、気がついたようにして、何もないのだと、またえがおを作るのは彼女の癖か何かだろうか。でも、かなしいことでもあるが、相手と自分の身長差もそんなにないこともあって、近い目線であったからこそ気づけたことが ひとつ。

(目、赤い)

 そうふと思ったのと同時に無意識に伸びていたと考える指先が相手の目元をさすったのはその頃。ぎゃっ、と虫が潰されたような音と共に彼女の身体が後ろへと少し遠退いたのもそのすぐのこと。今度頭を垂れるのは僕の方だったが、え、あ、と白かったはずの頬を目元のように赤く染め出した堀さんの顔を見て、伸ばしたはずの指先を急いで引っ込めた。ごめん、と言うのはいささかまちがっているような気がして、でも、ここでなにも言わないというのもなんだか口惜しい気がして、そんな風にもだもだしている自分に手を差し伸べたのは堀さんの方からだった。

「べ、つに、…今のは、ちょ、ちょっと、驚いただけだから、ね、」
「あ。そうなんですか。ていうか、驚かせてしまって、すみません…」
「い やいや!柳君が謝ることじゃ全くなくてね!、ただ、柳君って、ほら、一般で言う、高級食ざ…イケメンっでしょ? 石川や井浦みたいな普通の人がやっても、何とも思わないことでも、柳君がやると、まったく、違うってゆーか、その、なんていうの、あの、とりあえず、そんな、感じ、です!」
「はあ、」

 気付くとなんだかいつもの堀さんだった。変わらずその目元は赤くて、理由はよく分からないままだったけれど、今はまるで 自分だけが誰も知らない彼女を発見できたような気分だった。なんだかいい意味で、今日って厄日なのかな

「堀さんって、」

 思わず口にしてしまいそうになって、言葉を押し止める。今。何を言おうとしたのか。自分でも確かなものじゃないけど、とりあえず言わない方がいいと思ったので何も知らないふりをして黙ることにした。ただ、同じクラスの男子が、目の前の彼女のことを好いように言っていたことを一時的に思い出した。普段なら見過ごす単語を、この時だけ覚えていたのは、彼女が数少ない知り合いの一人であったから、と思う。きっと。多分。はたまた。

「人気な理由が、わかった気がする なあ」
「、え?」
「…なんでもありません。」

 やっぱり今日は、厄日なんだと思う。こんなシチュエーション、これから先きっとないんだろう。それならばと、そんな記念すべき今日に乗っ取って、もう一度、今度は逃げ出してしまわないことを願いつつ、相手の目元へと触れた。ぴくっと肩が揺れたのが見えたが、あいにく先ほどみたいに離れて行ってしまうことはなかった。相変わらず赤みは引いていないけれど、顔色は少し前に比べて大分元のものを取り戻してる。ただちょっと違うのは、別の意味で熱を取り始めた彼女の頬だった。宮村君に悪いなあ、と ふと思ってしまった。でもバレなければ今日のこの瞬間は、僕と彼女とこの時間だけしか知らないことになる。きっと、これから先、誰ひとりと、この話を他の相手にすることはないんだろう。だから、これは今だけなんだ。今しか、できないことなんだ。だってこんなきもち、僕は知らないし、堀さんも知る必要ないし、これから先も、きっと誰も知らなくていいことなのだから。

すぐにいなくなるからね

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