▼髭膝
01/23(03:17)

!膝モブ表現あり



 微かな甘さが鼻膣を擽った。それは自分達の物でも、この本丸に居る誰の物でもない香の薫り。そうと気付けば噎せ返るような気持ち悪さに顔を顰め、まだ朝餉前だというのに戦装束に身を包んだ弟を呼び止めた。
「…朝帰りだなんて、僕の弟はとんだ色男なんだね。楽しむのなら誘って欲しかったな」
 緩やかに浮かべた笑みを張り付け、あくまで穏やかに声を掛ける。どうか嘘であって欲しいと願って止まない心とは裏腹な言葉は震える事なく相手へと届いた筈だ。大抵のことはどうでも良いが嫉妬は良くないと周りへ言いふらしているだけに、髭切の心情は気が気ではなかったのである。嘗て腕を切ったあの鬼のように、恐ろしい化物に成り下がるなど死んでも御免だと願う。
「……兄者でも肉欲に興味があるとは、知らなかった。次からはそうしよう。すまない」
 だが、現実というのは時に無情であるものだと、何でもない日常に溢れ返る声色で叩き付けられた。
 カッと顔に熱が集まるのを感じながら胸ぐらを掴んだが膝丸の身体は思った以上に容易く壁へと縫われる。拘束した側さえ呆気に取られる一瞬の出来事だった。抵抗の色も無く、ただあるとすれば無機質な瞳。嫌な汗をかく髭切を見兼ねてか常なら有り得ない溜息を吐いた膝丸にぴくりと肩が揺れた。
「俺は、自分がどんどん重く変わって行くのが嫌だった」
「え…?」
「兄弟の縁から晴れて恋仲となりこの半年、貴方は手の一つも出さなかったな。誘えどのらりくらりと躱される。兄者らしいと言えばらしいが…おおらかに構えるなど、俺には出来ない。…離してくれ」
 掴まれた手首にはもう力が入っていない。頭の何処かで離してはいけないと喚く自分が居るのに、何も言い返せないのだからどうしろと言う。酸素不足の魚のように口を開いて閉じてを繰り返しても突き刺さる視線に応える術を知らない。苦しい。彼はこんな目をしない。させているのは自分だとわかっているのに、頭は理解を拒否した。
 気付いたら弟は手の中から逃れていて、女を知った他人の男の背中が視界の片隅に溶けて行った。

 春の芽をまだ見ぬ、冬の出来事であった。


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