小説 | ナノ





 赤司征十郎という人間は決して私の手の中には堕ちてこない。その事実はきっとだれよりも私が理解していた。








 スクリーンにはおとこがおんなにの手をとってあいを囁いているシーンが映し出されていた。この映画は不治の病に犯されたおんなとおとこの話だ。ありがちなストーリーではあったけれど丁寧に作られている心理描写と今世紀もっとも美しい純愛という触れ込みで人気を博していた。
 冷静な性格だと私はよく他人に言われるのだけれど、こういう涙腺に来るような話には実は弱い。実はもう既に目が潤んできている。のどが幽かに震えて、嗚咽がもれそうだった。いつもはあまり感情が波立たないくせにこういうモノはどうしてだか泣けてしまう。そんな私のギャップに以外だと驚かれるのは珍しくなかった。けれど彼は私がこういうモノで泣いてしまうことに驚くどころかやはりと笑って見せたのだ。私は彼のそんなところに惹かれてしまったのかもしれない。もちろん他にも数え切れないくらい好きなところはある。けれど私が彼を意識するきっかけはこのできごとだった。

 彼の手にそうっと視線を這わせた。薄暗い空間の中、白磁のようなそのてのひらは、彼のひざの上で組まれている。男という性をもっているのに女性よりもずっと美しいその手のひらに小さく息をはいた。前に、うつくしいと何の気なしに伝えてみたことがある。そういうと彼は部活でよく使っていたんだよ。とひらひらと手を降ってうっそりと微笑んだ。中学から高校にかけてバスケ部だったという彼の手のひらはいつも私に違和感を感じさせた。スポーツ、という言葉は日の光の中で行われるというイメージが私のなかにあるのだけれど、彼にはあまり日の光が似合わなかったからかもしれない。

 スピーカーから響く悲痛なあいのことばがみみをゆらす。とうとう涙がこぼれおちた。周りの観客からも嗚咽の言葉がぽつぽつと響き初める。けれどなぜだか視線は彼の手のひらに釘付けだった。
 私がずっと彼の方を向いていたせいか、彼がこちらに気づいた。彼はまたかとでもいうようにふっと笑った。その反応に思わず眉を寄せれば彼はこちらに手をのばして、あのしろい指で私の涙を拭った。かわいいねと、彼のあかいくちびるがうごく。そのことばは決して音を伴わなかったけれど、分かる。
 彼の薬指にはまった銀の指輪が幽かにきらめいた。










゜。










「今回の映画はどうだった?おもしろかったかい」
「…おもしろかったか、だなんて私がないているの、みてたじゃない」


 私の反応にくすくすと笑う彼に、あかしくん、と小さく名前をよんだ。私の言葉に、彼は目を細めた。どうしたの、と彼はふたたび笑う。
 握っている彼の手に、力を込めた。指が絡まっているそれは所謂こいびとつなぎ、である。さりげなく車道側をあるく彼に、目を伏せた。


「おまえはにてないね」


 彼のその声はひどく薄っぺらい。なんでもないことのようにつむがれる言葉は決して軽くはない。その声は、彼をしめるあのひとの割合がけっして軽くはないことを言外に伝えていた。当たり前だ。彼はどうでもいいおんなを伴侶として選んだりはしない。そんな愚かな選択をするはずがない。


「あのおんなとは正反対だよ。あいつはこういうモノでは決してなかないから」
「…意外、だな」
「ああ、よくいわれてた。君が言われるようにね」


 彼が人生の伴侶として選んだおんなは二年ほど前に亡くなった。事故死だったらしい。私とは正反対のおんなだったのだと聞いている。冷静だと揶揄される私とは正反対のおんな。柔らかで優しげな雰囲気をもつ美しいおんな。赤司征十郎の心をあちらにつれていったおんな。きっと魔性のようなおんなだったに違いない。そのおんなが亡くなってから赤司くんと知り合った私には今更知る機会もないけれど。
 彼の愛していたおんなと正反対である私を彼がかまうのは、きっと忘れないためだ。自分の心をうばった、唯一のおんなを忘れないために。私を、えらんだ。同じ雰囲気や世界観をもつおんなではきっとだめだったのだ。



「ねえ、あかしくん。好きだよ」
「知ってる」
「あいしてる」
「ああ、僕もだ。」


 その言葉が本来の意味で使われるべきなのはもういないあのおんなだけなのだろう。私では彼の心を手には入れられない。赤司征十郎というおとこの運命のおんなはきっとあのおんなだ。
 あのおんなと似ていないという理由でそばにいることが許されているなんて、なんて皮肉なのだろう。


「あなたはきっと私を愛せないよ」


 その言葉に彼は大きく目を見開いた。ばかな、ひと。あなたは決してあのおんな以外愛せない。けれどね、愛されないとしっていても、あなたがいとしくていとしくてたまらないの。報われることがないとしっていても、私はきっと彼しか選べない。わたしもあなたもなんて愚か者なんだろうね。