恋に、おちた




「今日の練習はここまで!もうじき練習試合を控えているから
くれぐれも体調には気をつけるように。以上、解散」

幸村の凛とした声がコートに響き渡り、
それを合図に部員たちはそれぞれ部室へと向かった。

新入生が入ってから2ヶ月ほどが経ったが、
案の定というか、ほとんどの者は
練習の厳しさについていけずに辞めた。
王者立海と呼ばれているだけあって、その練習内容は
ミーハー気分では到底続けられるものではないほど過酷だ。
新入生たちは、今にも倒れそうになりながら片付けを始める。


「蓮二、1年の様子はどうだい?」
「ああ。今日も2人退部届けを出したようだ」
「何?まったく、根性のない奴ばかりだな。たるんどる」
「まぁね…いい加減な気持ちで入部した子はみんな辞めたしね」

これは、2年生にして王者立海大附属中テニス部の
3強と呼ばれる幸村、真田、柳の会話である。

「既に新入生の3分の2ほどが辞めたが、予測の範囲内だ」
「そうだね。むしろ今残って必死について来ようとする子たちを
育てていくことを大事にしよう」
「うむ…明日からは更に練習に力を入れるぞ」

げ、これ以上厳しく…!?
その会話をたまたま聞いてしまった1年生たちは、
青ざめながら聞かないフリをして部室へと戻っていった。




「蓮二、帰らないのかい?」
「ああ。少し部員のデータを整理してから帰ることにする」
「付き合おうか?」
「いや、いい。2人とも先に帰っていてくれ」
「そうか…すまないな蓮二。頼む」
「また明日ね」


…パタン。

幸村と真田が扉を閉めるのを見送ってから、
柳は再びノートに部員のデータを書き込む作業に戻った。
部室は、しんとしていて柳以外には誰もいない。

ふと、柳は部室のロッカーがひとつ開いているのに気づいた。

まったく、誰だ。
帰るときはきちんと閉めていくように
新入生にも言ったはずなのだが。
少し呆れながらも、柳は立ち上がり
そのロッカーを閉めようと近づいた。

「…ん?」

閉めようとして柳は気づいた。
ロッカーの中には、鞄やら制服やらが
無造作に突っ込んである。
もう自分以外には誰も残っていないと思っていたが、
まだ帰っていないやつがいるらしい。
ロッカーの扉に貼られた名前を見ると。

「…切原赤也か」

切原赤也とは、新入部員のひとりである。
立海でナンバーワンになってやる、と
全部員の前で啖呵を切った威勢の良い奴だ。
部員全員のデータを把握している柳だが、
特にこの切原という部員は強く印象に残っていた。

「まだ着替えてもいないようだな」

正門が閉められる時間が近づいているため、
柳は残っているであろう後輩を呼びに行くことにした。



「コートには…居ないな」

てっきりコートで自主練をしているかと思ったが
どうやら違うらしい。
一体どこへ行ったのだろうか。
やれやれ、と柳が探しに行こうとしたとき。


「……っくしゅ!」

部室の近くの大きな木の陰から、
くしゃみがひとつ聞こえた。
音のした方へ歩みを進めると、
木の陰で切原赤也が体育座りをしていた。
こちらへ背を向けているため柳には気づいていない。


「切原」
「!?うわあっ」

声をかけると、心底びっくりしたように体を跳ねさせた。
が、顔をこちらに向けようとしてすぐに逸らした。

「こんなところで何をしている」
「…別に」

顔が見えないため表情は分からないが、
ムスッとした返事が返ってきた。

「もうすぐ門が閉まる時間だ。早く着替えろ」
「………」
「お前が帰る支度をしてくれなければ、
俺が部室の鍵を閉められないのだが」
「…じゃあ、アンタ帰ればいいじゃん。俺が鍵閉める」

依然として立ち上がろうとしない切原を不思議に思いながらも
柳は正面に回って様子を見ようと顔を覗き込んだ。

「っ、なんだよ!見んな、どっか行けッ」

焦ったようにバッと顔を隠すが、
柳は一瞬、切原の顔が見えた。
それと同時に、なぜこんなにも
顔を隠したがるのかを理解した。


――成る程、な。

目の前の後輩の目が、充血して赤くなっていたのだ。

この切原赤也という少年は、興奮したり頭に血が昇ると
赤目になることは、既に部内では有名だった。
今日は新入生と2年生とで試合をしたから、
そのときに赤目になって未だに充血が引いていないのだろう。

「充血が引かないのか」
「…うるせぇ!」

見てやろうと手を伸ばすと、ぱしんと叩かれた。
別に痛くはなかったが、叩いた本人である切原赤也は
あ、とバツが悪そうにうつむいた。

――赤目のことを気にしていたのか。意外だな。

赤目モードになると、興奮で回りが見えなくなり
他の新入部員たちが怖がって近寄らなくなるのは知っていたが。
それでも本人はいつも生意気そうにしているので
大して気にしていないのだと思っていた。

「少し、ここで待っていろ」
「…え?」

そう言うと、柳は部室へと入って行った。



再び部室から出てきた柳を見た切原赤也は、
ツンとまたそっぽを向いた。

「ほら、こっちを向け。目を開けろ」
「はぁ?」
「目薬をさしてやる」
「な、い、いらねぇっ」

慌てたように逃げようとする少年を
柳はあっさりと引き寄せた。

「離せっ」

じたばた暴れて目をぎゅっと閉じられる。
どうやら目薬をさされるのは嫌らしい。

「大人しくしていろ」
「やだ、子供扱いすんなっ!」
「切原」
「うっせー、嫌だったら嫌だッ」
「切原、落ち着け」
「触んなバカっ!どーせ気持ち悪いとか思ってんだろっ」
「いいから言うことを聞け……赤也」

落ち着かせようと思わず下の名前を呼ぶと、
目を開けて驚いたように固まった。
それを見た柳は、ゆっくりと顔を上げさせる。

「すぐに済む」
「………」

安心させるために、柳がふわりと頭を撫でると
切原は戸惑うような表情を見せたが、
先程のように暴れたりはせずに大人しくなった。


「…っ」

目薬をさしてやると、大きな瞳を何度もぱしぱしさせた。
もう片方の目にさそうとする頃には、
抵抗する様子は全くなく素直に従った。


「これでもう大丈夫だろう」
「……」

しばらく目を開けたり閉じたりを繰り返していた切原赤也は
自分が柳の制服の裾をぎゅっと掴んでいたことに気づき
慌ててパッと手を離すと気まずそうに顔を逸らした。

「…あと、お前は膝を怪我しているな」
「えっ」

柳の言う通り、膝から少し血が出ていた。

「今日の試合のときか。ちゃんと言わなければ駄目だろう」
「こんくらい…平気」
「ばい菌が入ったらどうする」
「!?ちょ…っ」

そう言うと、柳はポケットからハンカチを取り出し
そっと切原の膝へ当てると、
目薬と一緒に持ってきたであろう絆創膏を
戸惑い慌てる後輩の膝に綺麗に貼った。

――そんな綺麗なハンカチ、もったいないのに…。

「怪我には気をつけろ」
「………なん、で」
「ん…何だ?」
「なんでアンタ、俺にこんなに構うんだよ!」

生意気に、けれど先程とは違って
少し不安が混じったような声で尋ねられた。

「後輩の面倒を見るのはいけないか?」
「そうじゃなくてっ…だから、その」

言いづらそうに視線を漂わせていたが、
やがておずおずと顔を上げて言った。

「俺のこと、怖くねぇの?気持ち悪いとか…思わねぇのかよ」

その顔を見て、柳は笑いそうになるのを堪えた。
そんなに可愛い顔で見つめられても、
怖いだなんて到底思えそうにない。
こんな風に弱いところを知ってしまえば、尚更だ。


「そんな風には思わないぞ」
「……嘘」
「嘘じゃないさ。しかし…そうだな、
充血を放っておくのは良くない。
きちんと自分に合った目薬をさすようにしなければな」
「……」
「また目が赤くなったら俺の所へ来い。
俺がいつでも目薬をさしてやるから」
「えっ?」
「分かったな、赤也」
「…!」

そう言って、柳はフッと笑った。

その優しい顔は、すごくすごく綺麗で。
頭を撫でてくれる手も優しくて。
心臓がほんとに、どきん、って大きく跳ねた。

――なに、これ?

顔が熱い。目が合わせられない。
どきどきと、心臓はだんだん音を速めていく。
あまりにも優しい声で名前を呼ばれたものだから、
頭に乗せられた手を振り払えなかった。
いや、振り払いたくなかったのかもしれない。


「か、か…帰るッ!!」
「赤也、」

しばらく顔を真っ赤にして硬直していたが、
ばっと勢いよく立ち上がった赤也は
一目散に部室へと走っていき
着替えもせずに鞄と制服を抱えて
ぴゅん、と部室から出て行ってしまった。

「まったく…騒がしい奴だな」

その後ろ姿を見ながら、柳は今度こそ
おかしそうに笑みをこぼした。




「はぁ、はぁ…っ」

全速力で家まで走った赤也は、
部屋へと飛び込んで扉を閉めた瞬間
ずるずると床へ座り込んだ。

「なんなんだよ…」

右手には、柳のハンカチ。
どうやら持って帰って来てしまったらしい。
赤也は、そのハンカチをじっと見つめた。


――分かったな、赤也。


「…っ」

思い出して、また顔が熱くなった。
なんで、俺こんなに、ドキドキしてるわけ?
意味わかんねぇ。
だけど。


「…ありがとうって、言えばよかった」

そう呟いた赤也はまた、かぁっと顔を赤らめて
ハンカチをぎゅっと握りしめ
膝に顔を埋めたのだった。




あなたへの気持ちを理解するのは、
もっとずっと先になるのだけど。

だけど俺はきっと、この日

――恋に、おちた。





おわり


*******


はい、記念すべき柳赤の第1作目です!

実はですねー。
今更すぎるんですが、柳赤に目覚めてしまいまして。
今まであんまり興味なかったんですが、
突然なにかが舞い降りました(笑)

もはやサイトを柳赤本命にしたいぐらいの勢いで
かなりはまってしまっております。

柳さんが素敵すぎる。
柳さんにお世話される赤也が可愛すぎる。

赤也が、赤目のこと気にしてたら
可愛いなぁと思ってこの話に。
恋に落ちる瞬間の話を書きたかったのです。
柳赤は、たぶん赤也が先に柳さんのこと
好きになるじゃないかなーと。

これからは、柳さん大好きな赤也と
赤也が可愛くて仕方ない柳さんを
たくさん書いていきたいです。

柳赤ばんざーい!!!
ありがとうございました♪

2012.10.14

第3回BLove小説・漫画コンテスト結果発表!
テーマ「人外ファンタジー」
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