卒業――ありがとう、君へ






いつもよりも、早く目が覚めた。
部屋の窓を少し開けると、
春というにはまだ冷たい空気が頬を掠めるが、
天気は良いようだ。

静かで、本当にいつも通りの朝。
俺はこの朝を、毎日当たり前のように感じていた。


だけど。

今日を境に、きっと変わるだろう。

明日からはまた、まったく新しい生活が待っているのだろう。

「卒業…か」

言葉に出して呟いてみたが、それほど実感はない。


――そう、今日は俺たちの卒業式だ。




「幸村くん、おっはよ〜」
「ブン太にジャッカル。おはよう」
「ああ、おはよう」
「ふぁ〜…ねみぃな」

通学路を歩いていると、ブン太とジャッカルに出会った。
少し早めに家を出たのに会うなんて、
考えることは同じか…と思ったが、口には出さない。
めんどくさそうに欠伸をするブン太は、
本当にいつも通りだなと思った。
ただ、ひとつだけいつもと違うのは
制服を着崩さずにちゃんと着ていることくらいだ。

互いに早いね、なんてことは口には出さずに、
3人で並んで学校へと向かった。



「蓮二おはよう」
「ああ、おはよう」

校門のところで、蓮二を見つけた。
どうやら蓮二も今着いたばかりらしい。

俺が時間よりも早く来たのは、行きたい場所があったからだ。
教室などではない。
ブン太もジャッカルも蓮二も、
みんな行きたい場所は同じのようだ。

「さぁ、行こうか。俺たちで最後の確率97%だ」




俺たちが向かったのは、テニスコートだった。
毎日毎日、当たり前のように来ていた場所。

俺たちの、すべての始まりの場所。


「ふふ、本当だ。俺たちで最後みたいだね」

テニスコートの脇のベンチに、仁王が座ってるのが見えた。
隣には柳生が立っていて、何を話すでもなく
ぼーっとテニスコートを眺めている。


「よっ!仁王、柳生」
「これはみなさんお揃いで。おはようございます」
「…ブンちゃんが早起きしとる」
「なんだよ。俺だってたまには早く起きるっつーの」
「プリッ」
「てかさ、今日の式終わったら飯食いに行こうぜぃ」
「丸井くん、今月はお小遣いがピンチだったのでは?」
「もちろん奢りだろぃ…ジャッカルの」
「俺かよ!」

本当にいつも通りすぎるみんなに、少し笑ってしまう。


「さて…と」
「部室に行くのか?精市」
「ああ。誰かさんがきっと一人で
感傷にふけっているはずだからね」



カチャリ、と小さな音を立てて扉を開けると
真田が背を向けて立っていた。
その視線の先には、歴代の大会のトロフィーや表彰状。

「真田」
「………」

背を向けたまま黙っている真田。
俺は手持ち無沙汰に、部室をぐるりと見渡した。

改めてじっくりと部室を見ると、なんだか不思議なものだ。
毎日来ていたはずなのに、懐かしいような。

前だけを、見ていた。
勝利だけを、信じていた。
仲間たちと共に。


「…真田」
「……」
「大丈夫だよ。赤也ならきっと」

俺のその言葉に、真田の肩がピクリと動いた。

「…アイツは」

ようやく重い口を開いた真田は、
やはり背を向けたまま言った。

「赤也は、強くなった」

その言葉の意味は、聞かなくともなんとなく理解できた。

ねぇ真田。
赤也が心配でたまらないんだろう?
誰よりも赤也に厳しく接してきた君は
誰よりも赤也を思い心配していることなど知っている。
…なんて、俺だって人のことは言えないのだけれど。

俺たちはもう、卒業するから。
だから、赤也を信じて前に進まなければならない。


「…さぁ、そろそろ式の時間だよ。行こう」




「それでは、卒業生代表の挨拶です」

司会者のその言葉と共に、柳生が壇上に上がる。
柳生は、紙などは一切見ずに
見事に長い挨拶を止まることなく
スラスラと言ってのけた。
生徒や保護者の中には泣いている者もいた。
俺はというと、最後まで彼らしい振る舞いをする柳生を
真っ直ぐと見据えていた。


「卒業証書、授与」

残るは、卒業証書を受け取り歌をうたうのみとなった。
生徒の名前がひとりずつ呼ばれ、壇上に上がっていく。

「丸井ブン太」
「はい」

名前を呼ばれ、壇上に上がるブン太。
こんな日まで赤髪を貫き通したのはさすがだね、なんて
ひとりこっそり笑みをこぼした。

卒業証書を受け取り、礼をして
壇上から降りようとしたブン太は、
一瞬だけ、体育館を見渡した。
思い出にふけろうとしているのではなく、
誰かを探しているような。
だが、すぐに視線を下げて壇上から降りた。


それからも、テニス部で共に戦ってきた仲間たちの名前が
次々に呼ばれていくのをじっと聞いていた。
レギュラーメンバーたちは、ブン太と同じように
全員、壇上から降りる前に体育館を見渡していた。


「幸村精市」
「はい」

そして、自分の番がやって来た。
壇上に上がり、卒業証書を受け取る。
深く礼をしてから、壇上から降りようと歩みを進めた。

階段に足を一歩かけたとき、みんなと同じように
ふと体育館を見渡してみた。


――ああ、そうか。

みんなが見ていたのは、保護者席でも卒業生でもなく
在校生の方だったんだね。
無意識に、探していたんだ。
可愛くて仕方のない、ひとりの後輩を。

だけど、在校生の席には
その姿はなかった。



それからは、あっという間だった。
卒業の歌をうたって、保護者や在校生に
見送られながらの退場。

退場するときにチラリと在校生の席を見たが、
やはり俺たちの探している人物は居ないようだった。




「あー、疲れた。長すぎだろぃ卒業式」
「ふふ。けど柳生の挨拶よかったよ。さすがだね」
「ありがとうございます」
「あんな長い文章、どうやったら覚えられるんじゃ」
「おや仁王くん。あなたは寝ていたように見えましたが」
「俺が寝てたんは校長とPTA会長の話のときだけじゃき」
「仁王すっげ。俺でも寝てなかったのに」


式のあと、空いている教室に
なんとなく7人で集まっていた。
さっきまで、他の生徒たちも写真を撮ったり
寄せ書きをしたりで残っていたが
だんだんと人がまばらになっていく。

「…そういやさ、式のとき」

さっきのふざけた口調ではなく、
ポツリと呟いたブン太に、全員の視線が集まる。

「……や、なんでもねー」

そう言っていつもの風船ガムを膨らませたブン太は
少し視線を落とした。

「……」
「………」

全員が、無言になる。
きっとみんな、ブン太が言いたかったことが
分かってしまったのだろう。

――アイツ、いなかったよな。
というその言葉を。


なんとなく言葉を紡ぐ気になれず沈黙を守っていると、
静かな教室にバイブ音が響いた。


ヴーッ、ヴーッ

どうやら、音の正体は俺の携帯らしい。
右ポケットが震えたからだ。
携帯を取り出して画面を見たとき、
思わずその表示された名前を呟いた。

「…赤也」
「え?」

一斉にこちらを見るみんなを一瞥し、
受信したメールを開いた。


『みんなで、コートに来てください』


たったそれだけの文章。
いつものふざけた絵文字などは無く、
ただその一言だけが打たれていた。

「赤也、なんだって!?」
「みんなでコートに来て、だってさ」
「コートに?なぜだ」
「さぁ…」
「行こう。赤也が待っている」
「お、おうっ」

さっきとはうって変わって、
どこか嬉しそうな表情を見せるみんな。
俺もきっと、同じ顔をしているのだろう。




「…赤也」

コートに着いた俺たちは、赤也の姿に少しだけ驚いた。

「赤也、どうしたんだよこんな日に」

赤也は、部活のユニフォームを来ていた。
右手にはラケット、左手にはボールを持って
しかもかなりの汗をかいている。
もしかして、今まで練習をしていたのか?

「赤也?」
「……」

しばらく黙っていた赤也は、やがて
意を決したように真っ直ぐにこちらを見つめた。

「幸村部長」
「ん…なんだい」
「俺と、試合してください」
「え?」

俺だけでなく、他のみんなも驚いて赤也を見つめる。
だが、赤也の真剣な目が揺らぐことはなかった。

「…分かった」




「準備オーケーだ。いつでもいいよ」
「いきます」

良い目をしている。
お前は本当に、成長したよ赤也。

「幸村部長」
「なんだい、赤也」
「ぜってぇに、手加減なんかしないでください」
「…ああ、もちろん」




「赤也の奴、良いサーブじゃん」
「こうして切原くんの本気の試合を見るのは
随分と久しぶりな気がしますね」
「フォームも綺麗になったな」
「最初と比べてすごい成長じゃの」
「もう2年になるんだな…赤也が来てから」

幸村と赤也の試合を真剣に見つめるレギュラーたち。

いつの間にか、アイツは成長していた。
本当に、立派になったものだ。
レギュラーたちが思い出にふける中、
真田は真っ直ぐに赤也を見据えていた。
その表情はいつも通り堅く、心理は読み取れない。


「弦一郎」
「なんだ蓮二」
「赤也のことが心配なのは、お前だけではない」
「………」
「俺たち全員が、気にかけている。
赤也をひとり残して卒業することを」
「………」
「だが、見てみろ赤也を。たくましいじゃないか。
あんなにも一生懸命に、俺たちに何かを伝えようとしている」
「…ああ」

そう短く返事をした真田は、目を細めた。

「俺たちは」

赤也から目を逸らさずに、
真田は同じ表情で蓮二に問いかけた。

「俺たちはこの2年間で、赤也に何かしてやれただろうか」
「…そうだな、それは俺にも分からない。
だが、赤也はそのことを今、俺たちに
必死に伝えようとしている気がする」
「……ああ」

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