彼女はいつも教室の隅で、CDの歌詞カードを眺めながら音楽を聴いていた。誰かといる所は見たこと無かった。誰も彼女に話しかけようとしなかった。


私と彼女が初めて言葉を交わした時、私も彼女も17歳だった。


その日は大好きな音楽の授業があったし、お弁当に林檎が入っていたし、放課後、クラスの女の子に水を掛けられた事以外は全てが上手くいっていた。罵声と暴力はいつもの事。目を瞑ってじっと耐える。女子トイレの床は汚いし冷たい。クラスの女の子達が居なくなっても、震えて動けない体を自分で抱きしめた。泣きたい。助けて。声に出しても誰も拾ってくれないから、自分で何とかしなきゃいけない。私は苛められてます、だなんて親には言えない。日に日に酷くなっていく理不尽に、いよいよ死のうと思い立って、私はびしょ濡れのまま屋上へ向かった。扉を開けたら抜ける風に目を細める。夏は終わっても残る暑さ。入道雲に、飲みこまれてしまいそうだった。屋上には案の定、転落防止のためのフェンスがあって、自分の背よりも高いそれを眺めて涙が落ちた。ああ、もう、全部、いやだ。私が何をしたっていうの。辛い辛い辛い。その場に蹲って声を上げて泣いた。誰も見てないならいいじゃない。



「初音さん」



頭上から降ってきた声に、ぐしゃぐしゃの顔を上げると、彼女が私を見下ろしていた。彼女はびしょ濡れの私の頭にタオルを掛ける。ふわりと優しい香りがした。



「名字、さん…」

「なんでしょう」

「なに、して、る、の?」



少し顔を顰めた彼女は、不細工、と一言呟いて、二つに結っていた私の髪の毛を丁寧に解くとタオルで乱暴に拭いた。痛い。けど、嫌じゃない。下を向かされる顔。コンクリートが嫌に近くて怖い。彼女の香りに包まれる。そのまま死んでしまいたかった。また泣き出しそうになるのをぐっと堪えて、未だ私の髪の毛をガシガシと拭く彼女に、何を言おうか考えていた。あのさ、彼女はふいに言葉を吐いて手を止める。顔を上げたら、両手で頬を挟まれた。



「初音さんが苛められてるとかどうでもいいんだけどさ、あなたの声、好きだから、死なれたらやだな」



彼女の、形の良い唇が弧を描く。私の心臓がどくんどくんと、音を立てているのが聞こえた。



「んー…初音さんジャージあるの?」

「え、あ、無い…かも…」

「じゃあ貸してあげますねー」

「あ、有難う…」

「はは、髪の毛ぐしゃぐしゃ、うける」


彼女の細い綺麗な指が私の髪を弄ぶ。そんな仕草にすら、胸が高鳴って仕方ない。ああ、ああ、ああ。これ、もう。私って本当に駄目な子だ。初音さん教室帰るよ、声を掛けて返事も待たず、彼女は屋上を後にする。ぼーっとする頭で、彼女の背中を追いかけた。教室に戻って、彼女のジャージを身に纏う。タオルと同じ、香り。



「初音さん家どこなの?」

「あ、え、駅の方…」

「駅か…スタバあったっけ…」

「駅ビルの下にあるよ」

「送ってくねー」



それスタバ行きたいだけじゃないの?それでも嬉しい。にやける頬と、心臓の音。アドレス帳に増えた名前。彼女の好きな音楽の話。スタバで食べた、彼女の好物のチーズケーキ。その日はどきどきしてよく眠れなかった。彼女からのメールが無くて寂しかった。翌日の学校が楽しみだった。

恋をしていた。私も彼女も17歳だった。私も彼女も、女の子だった。




ミレニアムの夜、きみは進化する



Title:にやり
***
続かない

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