写真

朝になるのはもう少し待って


サンジ様のお屋敷にはひとつだけ女性の絵画が飾ってある。柔らかなウェーブのかかった金色の髪の毛に優しく微笑む女性。笑っているはずなのにいつも悲しそうなのはなんでだろう。私は額縁に触れてそっと指先で撫でた。ランタンの火が揺れて影も一緒に揺らめく。不思議な気持ちになってネグリジェの裾をぎゅっと握った。
「なまえちゃん?」
「サンジ様……」
「まだ起きてたのかい?そんな格好じゃ風邪引いちまうよ」
耳にかけられた髪がさらりと落ちると、そのまま大きな手が私の頬に触れた。人よりも低い体温が心地よくて擦り寄るように手を重ねる。サンジ様の手はいつも優しいから好きだ。そこに温かさがなくても、心があったかくしてくれるような気がする。
「部屋まで送るよ」
「……もう少しお話してもいいですか?」
「あァ、もちろん。おれの部屋においで」
「ありがとうございます」
サンジ様に手を引かれて歩き出す。この時間になると流石に誰もいなくて静かな廊下を2人で歩いた。サンジ様の手元に移ったランタンの光がゆらゆら揺れる。それを眺めながらゆっくりと足を進めた。
サンジ様の部屋に入るとふわりといい匂いがした。紅茶だろうか、その香りに包まれているとなんだか気持ちが落ち着く。
「ブランケット使って?」
「はい、ありがとうございます」
ソファの上に掛けられていたふかふかとした毛布を手渡される。それを肩にかけて隣に座ると、サンジ様は私を見て柔らかく微笑んだ。それからティーカップをふたつ用意するとポットに入っているお茶を注いでくれる。ふんわりと香ってくるいい匂いに小さく息をついた。
「カモミールだよ。きっと君のことを助けてくれる」
「ありがとうございます。いただきます」
口をつけるとお湯の温度がちょうど良くてすごく飲みやすい。喉を通っていく感覚にほっとして小さく息をつくと、サンジ様は嬉しそうに目を細めた。そして自分の分のティーカップを持ってきて私の向かい側に腰掛ける。
「何か眠れない理由でも?」
サンジ様の声はいつも優しくてふわふわした気分になる。少し低めの落ち着いた声が耳に馴染んで心地良い。でも、理由を話すにはあまりに子どもっぽくて私は口をつぐんだまま俯いた。
「く、はは、ごめん。意地悪しちまった!庭でお昼寝してたのみてたんだ」
「う、今日は珍しく晴れてたから……」
「気持ちよさそうだったよ。寝過ぎて眠れないんじゃねェのかなって思ったんだけど……図星かな?」
見透かすような視線に顔をあげると目が合ってドキリとする。何もかもを見通すような瞳に見つめられると嘘なんてつけなくなってしまう。だから私は素直に首を縦に振るとサンジ様はくしゃりと笑って私の頭を撫でてくれる。
「可愛いなぁ」
「子どもみたいだと思いましたか?」
「いやまったく思わねェよ。それにおれも話し相手が欲しかったんだ」
サンジ様はテーブルに置いてあった煙草を手に取ると口にくわえてからマッチを取り出した。火をつけて吸い込むと紫煙がゆらりと立ち上っていく。もしかしてお仕事の途中だったのかしら。邪魔してしまったかもしれない。申し訳なくなって眉を下げるとサンジ様は気にしないでというように笑って、それからゆっくり口を開く。
「夜は長いからさ」
「……いつもおひとりだったんですか?吸血鬼は夜に活動すると聞きますけど」
「あァ、そうだね。夜の方が動きやすいのは確かだが日中だって動けないことはねェ。ただ、1人で太陽の元に出るにはあまりにもまぶしすぎる」
サンジ様はどこか寂しげに窓の外を眺めていた。月明かりに照らされた横顔は憂いを帯びていて美しい。けれどその表情は悲しく見えてしまうのは何でだろう。私は女性の絵を思い出していた。彼女もひとりで寂しかったのだろうか。どこかサンジ様に似ていて胸の奥がきゅっと苦しくなる。
「サンジ様は寂しくありませんか?」
思わず口から溢れ出た言葉にサンジ様は驚いたように目を開いた。そして困ったように笑う。その笑顔の意味がわからなくて私はただ黙って彼の言葉を待った。
「寂しい、か。考えたこともなかったな。おれにとっちゃあこれが普通だと思ってたし、他の連中もそうだったから」
「ごめんなさい。変なことを聞いてしまいました」
「いやいいんだよ。心配してくれてるんだろ?」
サンジ様はまた私に笑いかけると手を伸ばしてそっと頬に触れた。大きな手が優しく輪郭をなぞるように滑る。それがなんだかくすぐったくて身を捩るとサンジ様は楽しそうにくすくすと笑みをこぼした。
「くすぐったがり?」
「ちょっとだけ」
「かわいい」
サンジ様の指先が唇に触れる。落ち着かない気分になって膝の上に置いた指先を動かしていると、不意に影が落ちてきて額同士がこつんとくっついた。吐息がかかりそうな距離に驚いて肩を揺らすと、サンジ様の碧眼が間近に見えた。その奥にある熱がじわりと滲むような気がして心臓が跳ねる。
「おれは君と出会えてよかったと思っているよ。こんな風に誰かを愛しいと思う日が来るとは思ってもなかった」
愛しさを噛み締めるような声色に胸の奥がくすぐったくなった。私も同じ気持ちです、と答えようとして開きかけた口を塞ぐようにしてサンジ様の顔が近づく。優しく触れるだけのキスに頬は一気に熱を帯びた。
サンジ様の指先が髪の毛の隙間を縫うように差し込まれると首筋を撫でられてぞくりと肌が粟立つ。そのまま耳元まで辿ると親指ですり、と擦られた。たったそれだけなのに身体が震えて力が抜けていく。
下唇を尖った歯が柔く食んで、それからゆっくりと舌が這う。それはまるで味見をしているようで、私はぎゅっと目を閉じた。このままぱくりと食べられてしまってもおかしくないような感覚に囚われて頭がくらくらする。
「名前、呼んで」
「サンジ、さま……」
掠れた声で囁かれて背中がぞわりとした。いつもより低くて艶のある声は私の思考を奪っていく。サンジ様の首に腕を回して抱きつくと、彼は嬉しそうに目を細めて私の腰に手を添えた。
「可愛い」
「あ、あの」
「好きだよ、君のことが誰よりも」
サンジ様は私の髪を一房掬い上げるとそこに軽く口付けた。ちゅ、と音が響いて恥ずかしさに顔を逸らすと追いかけてくるように顔を寄せて何度も口付けられる。
「なァ、ごめん。少しだけ飲んでもいいかい?」
「ん、はい」
「ありがとう」
サンジ様は私の返事を聞くと嬉しそうにはにかんでから、もう一度優しく口付けてくれた。今度は少し深く、呼吸ごと飲み込むように口内を貪られる。いつもなら首筋や鎖骨から血を飲むはずなのに、今日は何故か直接口付けられていることに違和感を覚えながらも私は小さく身動いだ。
「ふ、ぅ……」
舌が触れ合って気持ちよさに目を細めていると、サンジ様の犬歯が押し付けられてじわりと痛みが広がる。鉄の匂いが鼻の奥に広がっていき、喉が上下した。わずかな痛みはすぐに快感に変わって頭の中で溶けていく。サンジ様は傷口を労わるように舐めると最後に音を立てて吸い付いた。
「ごちそうさま」
「は、はい……」
「大丈夫?痛くない?」
「平気です」
「良かった」
サンジ様は私の頭を撫でながら安心したように微笑んだ。それから立ち上がって私の前に手を差し出す。
「おいで、部屋まで送るよ」
私は慌てて立ち上がろうとしたけれど上手く足に力が入らなかった。それを見たサンジ様はくすくすと笑いを零しながら私を抱き上げて歩き始める。
「重くありませんか?」
「軽いくらいだよ」
サンジ様は機嫌良さそうに笑い声を漏らす。いつもと違って高い視界に見慣れた廊下が見えて不思議な気分になった。首に腕を回して頬を寄せた。昔からずっとここにいたかのように居心地が良い。
広い廊下にサンジ様の足音だけが響く。私はぼんやりと窓の外を眺めていた。空に浮かぶ月は満月に近い形をしている。あと数日もすれば綺麗な円を描くだろう。またサンジ様と一緒に夜を過ごせるだろうか。そんなことを考えていたら私の部屋に辿り着いた。扉が開くとベッドの上に下ろしてくれる。
「送っていただいてありがとうございました」
「レディを送るのは当然のことだ。ゆっくりお休み」
「はい、サンジ様も」
「あァ、もちろん」
サンジ様の指先が私の前髪を払って額に唇を押し当てる。嬉しくてつい笑みをこぼすとサンジ様も同じように笑ってくれた。
「良い夢を」
サンジ様の後ろ姿を見つめてから私はそっと瞼を下ろす。するとすぐに眠気が襲ってきて、抗うこと無く意識を手放した。
title by icca

prev |back| next

×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -