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▼ 死ぬわけじゃあるまいし

「死ぬわけじゃあるまいし」

度々彼はそう口にした。誰だって使う言葉だろう。死ぬわけじゃあるまいし、臆病になるなよ、もっとおおらかになれよ、そのくらいのこと大丈夫だろ、と。その誰だって使う言葉をゾンビマンが使うとそれは意味が違ってくるのだ、否、程度が。
いわゆる不死身の体をもってヒーローをする彼にとっての、『死ぬわけじゃあるまいし』という言葉は一般人には通用しない。彼のいうそれは程度が甚だしいのだ。死なない体の人間が死ぬわけじゃあるまいしというのだから、当たり前だ。何やったって死なない。

彼はわたしが不安な気持ちになっているとき、わたしを抱きしめ、片手は強く体を寄せもう片手で優しく柔らかく背中を撫でてくれた。そのときも『死ぬわけじゃあるまいし』と言った。死なないからってどんな辛いことも許されるそんなわけがない、と心の中で文句を言っていた。
わたしが忙しいときがあって、へとへとになってるとき。彼は『頑張りすぎじゃないのか?』とわたしを心配してくれた。そんなときにはわたしはよく言った。
『死ぬわけじゃあるまいし』
大丈夫だよ。と。

互いに励ましあったり、思いやったり。普通の人間であるわたしがその言葉を多用するとさすがに彼もまずいと思って『なまえは俺と違って普通の人なんだから、無理すんなよ』と言ってくれた。

そう、彼は不器用なわりには、誰よりも優しかった。
女心はさっぱりわからないらしく、何日わたしを放っておいても大丈夫なようだった。付き合ったら離れないだろうという安心感があるんだとか。信用されてるのは嬉しいけれど、さすがに何日も放っておかれるのは寂しかったので、『うさぎは寂しいと死んじゃうらしいんだけど、もしかしたらわたしも……?』と、ちゃんと冗談に見えるように顔文字もたくさん打った。いつも通りに『人間がそれで死ぬわけじゃあるまいし』とでも返ってくると思っていたが、『それは大変だな。今すぐ家に行くよ』と返信が来た。その文面通り、彼はすぐ来て、玄関先からわたしを抱きしめてくれた。

「たまには連絡してね、何週間もほっぽり出しだと恋心もわからなくなるの」
「わかった。とりあえず今日はずっと一緒にいる」

一緒にテレビを見て、ご飯を食べ、それぞれお風呂に入ったら、リビングでごろごろする。どちらからともなくキスをして。キスをして。何度も、最初は軽く、だんだんと深く。耳を撫で、呼吸の音がはっきり聴こえる。それからも、いつも通り息ぴったりに、事は滑らかにすすんだ。

その日からはきちんと連絡をくれるようになった。家に来て最初しばらく拗ねてたわたしに懲り懲りしたらしい。
優しい人。いつだってわたしを認めてくれ、共に歩んで来てくれた。優しい人だ。

怪人が増えた世の中で、彼はヒーローをしている。『なまえのためにヒーローやってんだ』と彼はわたしの目を見て言ってくれる。







優しい人、わたしの好きな人。今、わたしのぼやけた視界一杯に広がっている。
「なまえ……!しっかりしろ!」

わたしは彼の腕の中にいる。貧血により耳が遠くなっているようで、ぼわんと音が歪んで聴こえる。
全ては怪人のせいだった。正直いうと、怪人の数が増えすぎてて油断していた。あまりに日常的になりすぎて。こんな目に遭うとは思わなかった。こんな、悲惨な目に。
怪人に襲われ、もはやどこが痛いのかわからなくなってきたが、とにもかくにも血がたくさん出ている。止血のしようがない。

「なまえ、救急車来るまで頑張ってくれ」
彼が珍しく泣きそうな声になっている。わたしの首はがくがくと揺れる。

そう、さっきまで頭の中で流れてたのはいわゆる走馬灯。甘い思い出がわたしを傷付けながらも同時に癒していくのだ。愛しい思い出たちは、涙となってほんの少し目から溢れた。喉が乾いている。


「ゾンビマン、ありがとう」
「いいか、頑張るんだぞ救急車来るまで」
「ありがとう」
「なあなまえ、声掠れてる。無理して喋らなくていいから」
「あのね……言いたいことがあるの」


ゾンビマンの腕の中、血でまみれてとても汚いはずなのに、まるでよい香りのする石鹸の泡できらきらとしたきらめきの中で優しく包まれているような心地がした。
見た目と裏腹に安心感と、幸福感に、満ちている。


「人は二度死ぬって言うじゃない?」
「……ああ、言うな」
「最初は体が死んで、二度目は、人に忘れられたら、それが死んだってこと。」
「なまえ……」
「思い出の中でずっと生きるから」
「やめろよ、まだ、そんな」
「……まあ、不死身のゾンビマンも、わたしの記憶がなくなると、その意味では『死んじゃう』んだけど」
「そんなこと言うなよ、まだ、絶対に死ぬわけじゃあるまいし」
「そうよ……死ぬわけじゃないのよ、ゾンビマンの中で生き続けさせて」
「そんな、なあ!」

ゾンビマンの目からぼろぼろと零れ落ちた涙がぽつぽつと顔に当たる。汚れた頬の血は流されない。

愛する人の腕の中で、とても清潔な気持ちでいるのだ。
宝石のように曇りのない赤い目、気付かないくらいほんの少し癖の入った黒い髪、透き通るような白い肌、たくさん口づけた首から鎖骨にかけてのライン、ゴツゴツとして長い男性的な指、腕の引き締まった筋肉、色づいてない、唇。すべてが愛おしい。愛おしい。愛おしい。

消えてしまうのは、わかっていても、しっかりと目に焼き付けたい。霞んだ視界で、彼のすべてをとらえる。

「そうよわたし、完全に、死ぬわけじゃあるまいし」


掠れて声が思うように出ない。


「とりあえず……――


わたしに最期のキスをして。」

キスの時には目を閉じるのがわたしたちの決まりだ。

そっと目を閉じ、薄れゆく意識の中で、唇の感触を待った。




好きな人の腕の中で、なんて、わたしにとっては最高のフィナーレだったわ。



さようなら、愛する人。






2014/05/31

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