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▼ 遠まわしに確認

目の前のガラス扉から射し込んでくる光が眩しい。目が覚めると何かが頬に触れていて、肩に布のようなものがかけられていることに気がついた。触ってみるとほんの少し硬めの布。肘をついて、上半身を起こすと、それがコートだとわかった。顔にかけていたハンカチは頭の下に移動していた。
「起きたか」

なまえの横にタンクトップ姿のゾンビマンが座っていた。なまえはコートを握り、「これ、ありがとうございました」と礼を言った。
すごく長い時間眠っていた気がする。実際はどうなのだろう。腕時計を確認すると、九時を回っていた。一瞬、しまった学校に遅れた、とひやっとしたけれど、幸運にも今日は授業日ではなかった。昨夜は金曜日、今日は課外が珍しく無い土曜日。腕時計をメリケンサックにした昨夜のことを思い出し、ハンカチでごしごしと腕時計の文字盤のあたりを拭いた。

昨夜のことはあまり気にしていないつもりだった。自分一人でやっつけることができたから。しかし、ゾンビマンを内的に傷付けてしまったようで、どうすればいいのかわからない。信頼を置こう、と決めたが具体的にはわたしは何をすればいい?

「昨夜はすみませんでした」
今までも、すみませんでした。心の中で静かに謝罪する。
「え?」ゾンビマンはよくわからない、と疑問符を頭に浮かべていた。
しとしとと心に降る申し訳なさの雨。でも、わたしには怖いのだ。こういう感情を抱いてしまったら、相手の人との距離が測れなくなる。触れられるものなら思い切り触れたい。もっといろいろなことを話したいし、たくさんのことを知りたい。しかし、急に距離を縮めて、相手が引いてしまったら。距離を開けるだけならともかく、それでもショックだけれど、嫌われてしまったら、と考えると怖いのだ。この気持ちが一方的すぎて、嫌われてしまわないだろうか。ようやく見つけた、わたしのことを深く理解してくれそうな人。わたしの恐怖を心置きなく打ち明けられる存在。不死身というだけのわたしにとってただの自分のなりたい理想的な人だった彼は、それ以上必要な人になっていた。

「――……あなたは、」
不意に、口を開いていた。
「わたしのことが嫌いです、か」

なんて不器用なんだわたしは。好きかどうかなんて相手に聞けるわけもなく、だからといって自分のことをどう思っているかうまく聞けるわけでもなく、出てきた言葉がこれか。ふぅぅ、と鼻から空気が抜ける。

ゾンビマンは目を少し見開き、唇を軽く巻き込んで噛んで、もごもごと口を動かして、「あー……それはどういう意味で言ってるんだ?」と聞いてきた。何も答えないでなまえは俯き、目を伏せていた。

「――少なくとも、俺はお前のことは嫌いではないし、これからも、嫌うことはないだろうな」
真顔で、真っ直ぐに見つめられて、赤い瞳に臆病になってたなまえの心の殻は打ち抜かれた。言葉がグっと心に押し込んできて、そのままじわりと暖かく広がっていく。

「お前の方こそ、初めて会ったとき、俺のこと絶対嫌いだったろ。今もなのか」少し、ゾンビマンは顔を歪ませた。
「いいえ、今はもう」なまえは首を横に振った。「あのときは、本当に憎かったです。自分はこんなにも不死の身体を望んでいるのに、なぜこの人は望んでもいないのに不死の身体をもっていて、しかも時々その体ですら煩わしそうに扱っているのだろう、と。でも今はある程度不死身が手に入らないと割り切っているし、ゾンビマンさんはその体と代償にいろいろなものを失っていることも知ったので。」
つっけんどんと突き放した態度をとっていたのは、ただ素直になれなかったせい、ということは恥ずかしいので言えなかった。余裕のない、自分の事で必死な女に思えてくるのは、とても惨めだった。


「腹減ったろ、飯でも食いに行かねぇか」
「なんか、わたしたち一緒にいるとき食べてばっかな気がするんですけど」
ゾンビマンの言葉でなまえの噛み締めていた唇は緩み、ふふっと笑いが溢れた。

「仲良くなるには一緒に飯食うのがいいらしいぞ」
「そんなの迷信」
「信じるか信じないかはお前次第」
「でもなんで急にそんなこと言い出すんですか、仲良くなるなんて……――」
「嫌われてるかもしれねぇなんてなまえがわざわざ気にしなくていいようになりたいんだよ」
「そんな……――」
頼んでもないのに、という言葉を飲み込んだ。わざわざひねくれた解答をする自分には別れを告げたはずだ。

「……ありがとうございます」
「お、珍しく素直だな」
「じゃあ今の取り消しで」
「待て待て待て、正直、こっちもちょっと嬉しかった」
「何食べに行くんですか?」
「何がいいか?牛丼屋か?」
「女子高生に朝イチでそれはないわ……せめてファストフード系でいきましょうよ」

わかったわかった、と呆れ声で言うゾンビマンに、なまえは自分の方こそ呆れているわよ、と思いながら、ゾンビマンが開けて支えてくれたガラス扉を通り抜けた。青空にすうと澄んだ空気が頬を撫で、耳に入る街の喧騒を懐かしむように、なまえは軽やかに歩き出した。






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