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▼ 考え、知る恐怖

死が怖い。初めて死を本質的に恐るようになったのは中学二年生のときだった。ふと、考えてみただけだったのだ、脳がなくなったらわたしはどうなるのか、と。ちょっとした中二特有の考え込む病で終わればよかったのだが、深く考えすぎてしまった。死の世界は何色なんだろうか、よくイメージされるように真っ暗闇なのだろうか。不透明に塗りつぶされた暗闇で自分の手足は見えるんだろうか。そもそも死んだら手足は無くなってしまうから見えないじゃないか、そして目も無いから何も見ることができないのだ。死の世界の色もわからないまま。見えたところで脳が無かったら何も認識できないだろう。ここまで考えて怖くなった。しばらく死について考えるのをやめていた。ここまでが中学二年生の時のことだった。
熟睡したとき、いつ眠りに落ちてしまったかもわからず、つまりはいつ意識を手放したのかもわからず、時間の経過も知らぬまま目が覚めるということが起きる。そこで初めて「自分の意識がなくなる」ことの恐ろしさに気がついた。高校二年生の冬のことだった。なまえは、死の状態を、永眠という文字通り、意識の無いまま眠り続けている状態であると予想した。それが一番しっくりくる答えだった。天国や地獄はないと思ってたし、あったとしても、それを認知できないであろうことは中学二年生のときに推測済みだった。意識が無い状態になる。それはなまえにとってはひどく恐ろしいことだった。そもそも意識とは何か。頭の中で足し算などの計算をしたり、今日の夕飯はなんだろうなと軽く考えてみたり、他人のことを愛おしいと感じたり、憎らしいと感じたり、困った事があるときに独りで脳内会議を行ってみたり、と、意識は常につきまとう。厄介ではない、むしろなくてはならない必要不可欠なもので、あって自然であり普通なものだ。それが失われる恐怖。とても正気ではいられない。必然的に訪れる将来。逃げることができない。この星に生きるものすべて、生以外に唯一皆に平等に与えられているものが、死である。
それからなまえは日々襲い来る恐怖に震えていた。いつ死ぬかはわからない。それが百年後に来るものであったとしても怖いものは怖いのだ。なまえは中学二年生のときには毛嫌いしていた宗教の存在意義をようやく理解した。こんなつらく苦しい思いをするなら、何か絶対的な立場をを信仰したり、死後の世界を連想したりすることも、決して悪いことではなく、自我の崩壊を防ぐためには必要なときもあるのだ、と。もっとも、なまえは無宗教であり、これからも属しようとは思わなかった。一度否定してしまったものを信じることはできなさそうだったからだ。死後の世界が存在しないと自分が納得してしまった以上、これによってわたしが死を恐れるということから心理的に救われることは不可能だと思った。

言葉にできる限りのことをゾンビマンに話した。高校生になっての死への恐怖は中学二年生のころと比べ物にならないくらい勝っていることも話した。学校などで大勢の人間に囲まれているときは死の恐怖を忘れられるが、一人になると恐怖がぶり返してくる。
恐怖を説明するのにそう時間はかからなかった。もっとも、ゾンビマンが全てを理解してくれたかはなまえには定かではないが。

丁度なまえが恐怖を語り尽くしたところで料理が運ばれてきた。
「いただきます」
なまえはスプーンを手にとり、溶けやすいアイスから食べ始める。ゾンビマンはトンカツだか何だか見てるだけのなまえにはわからないけど和食の定食を食べ始めた。
「お前は」
「はい?」
「俺に何か訊きたいこととかないのか、そういう条件だったろ」
なまえのスプーンを持つ手が止まった。なまえは顔を上げることができずに、パフェの下の方のゼリーをみつめる。そのゼリーをみつめる瞳も動揺して焦点があっていなかった。
なまえは心のどこかで、ゾンビマンの詳しい身の上を聞いてはいけないような気がしていた。何かわからないが危険だから警笛を鳴らているわけではない。なまえだって、ゾンビマンがどこでどのようにして不死身になったのか詳しく知りたがっている。ただ、ゾンビマンのことをこれ以上もっとより、深く、知ってしまうと、情が移って元に戻れなくなる気がするのだ。

ゾンビマンさんのことをもっと知りたい、だけどこれ以上近づいたら、もう後には引けない。

ゾンビマンに対する視線が変わってしまうのを恐れ、なまえはしばらく顔を上げることができなかった。






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