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▼ タナトフォビア

女子高生の口から「死にたくない」なんて言葉を聞くとは思っていなかった。
十代の若者は、「死にたい」と思っている自殺願望者の方が圧倒的に多いという偏見がある。どうも、死んで楽になる、という考え方が彼らにはあるらしい。楽もなにも、あるものか。死後に何を錯覚しているのか。


「みんなが言うわ、そんなこと考えるのにはまだ早いって。みんなと言っても言える人にしか相談していないですけどね。死ぬのは怖いってこと。」

目の前の少女は頭を抱えて下を向いたまま話し出した。

「――タナトフォリアって言葉、知ってますか?」

「いや、知らん。」

似たような言葉でカニなんとかとかいう、人の肉を食べることを好む単語なら聞いたことがあった。昔、ジーナス博士に、食糧が無くなったときにお前なら自給自足できるな、と嘲笑された記憶がある。

「自己の死が好き、という症状の名前です。自分が死んだあとの世の中を考えるのが好きという症状もタナトフォリアに含まれます。世の中が少し嫌になったときに、自分がこの世からいなくなったらみんなが悲しんでくれる、自分に嫌なことをしたやつは一生後悔してくれる、とか考えるとすっきりしますよね。みんなが葬式でわたしのことを考えて泣いてくれるとか、わたしに懺悔してくれる、とか。」

まぁ、そこで早まって自殺する人もいるみたいですけど、と少女は呆れたように声を漏らす。

「そんな、『自分が存在しない世界』を想像するのは楽しいんです。その世界では悲劇のヒロインみたいな感じです。自殺してしまった自分を咎める人は誰もいるはずないですし。しかし、ある日、わたしは気づいてしまったんです。」


彼女の声は次第に震えていった。喉が狭まっているようで、ひっ、とその声は引っかかっていた。

「その『わたしがいない世界』を実際はわたしは見ることができない。死んでしまったとしたら目も脳もないわたしは、何も見ることができないんです。わたしも毎日不幸のどん底にいるわけじゃないです。普通に、毎日が楽しいです。学校で友達と駄弁ったり、体育祭や文化祭の準備をしたり、放課後や休みの日に遊んだり……当たり前ですけど、当たり前に、楽しいんです。わたしから見えている世界、わたしの脳があるから存在する意識、これらが死によって失われてしまうことが怖いんです。こういうの、タナトフォビアって言って、タナトフォリアと一文字違いなんですけど……なんて、初対面の人に言う事じゃなかったですね。すみません。いつも話す相手を選んで、しかも話題の雰囲気的に一回きりしか話せないんで、つい……。」

少女の言葉を聞きながらアルバムを眺めた。目の前の少女に限らず、写真に写る皆人が笑顔で楽しそうな雰囲気であった。


「だからわたし、なれるものなら、不死身になりたかったんです。実際にこの目で見るまでは不死身のヒーローがいるなんて冗談かと思ってた。もしくはテレビや雑誌の見栄えを狙った誇大表現かと。でも実際、あなたは存在した。」

「残念だが、あんたがおっしゃる通り俺は不死身なんでな、死ぬのが怖いなんて気持ちわからねぇんだ。そもそも、死だとかいう概念は、俺にはないんでな。」

自分からは、死ぬのを恐れる気持ちから解放される、良い方法がアドバイスできそうもなかったので、正直にわからないと言っておいた。
すべての生き物が絶対平等に与えられるものが、自分には与えられなかった。だから自分には答えきれない。


彼女の目から彼女の感じている羨望と劣等とがひしひしと伝わる。
なぜ、自分は不死を望んでいるのに、目の前の男は望んでもいない不死を手に入れたのか――――思われてるのはそんなところだろう、あまり長くここにいてはいけない気がした。何かはわからない、はっきりとはわからないが、悪い圧迫感があった。奇妙な雰囲気に耐えきれず、そわそわとしてしまう。


勢いで立ち上がり、
「これ、借りるぜ。」

と、アルバムをぱたぱたとあおいだ。


「えっ。」

「必ず返すから。返しに来るから。」


アルバムは興味深かった。少なくとも、自分はこれを持っていない。学校を卒業するときにもらうもの、思い出の写真が詰められたものだと知識では知っていた。だが、実物は今日初めて見たのだ。

また、彼女の考えにも深く興味を持った。自分にはなかった考え方。彼女から突き刺さる痛い目線がなければこのままもっと話を聞いていたかった。
彼女が持つのは、単純な、本能的な、「死にたくない」じゃなかったから。

時間をおいて、自分に対する彼女の印象が今よりもう少し穏やかになったらアルバムを返しに来よう。そして、もっと彼女の考えを聞きたい。



「風呂、助かったぜ。ありがとうな、なまえさん。」

毛布を押し付け返し、着ていたボロボロになったコートを体に纏い、さっそうと部屋を出ていった。





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