6colors kiseki | ナノ
彼女の玉子焼きはあまい。食卓を彩り、ときには弁当箱にも紛れこむそれは噛むとじんわりと舌に甘さが広がって蕩けるように喉を下る。冷めても当然のこと美味いのだが、焼きたてはもう絶品だった。ほこほこと湯気を上げるそれをじっと見つめているとその様子がとても面白かったらしい彼女は、眉を下げてくすくすと笑っていた。今、俺はどんな顔をしているのか純粋に知りたくて。訝しげに問うてみるのだけれど、彼女は「ナイショ」と言って負けず劣らず綺麗な人差し指を俺の唇に宛がって、むに、と僅かに押すだけだ。いつもと変わらないやり取りはもはや不毛と言える。最初の頃は照れやら恥ずかしさやらが勝ってしまって、周囲を不本意ながら盛り上げてしまったものだが。幼い頃から続いてきた行動に今更何を恥じる必要があるのだろうと開き直ったことはそう記憶に遠くない。
レシピを何度も教えてもらったところで、彼女の味を再現できないことをついに認めたのは高校生の頃だ。お世辞にも料理が上手いとは言えない俺はともかく、知人の中でもそれなりに器用だと思っていた高尾和成という男ですら彼女の監修のもと調理したというのに何かが足りなかったのだから。本人はそれなりに尽力したというのに、俺に一刀両断されてやや不満げな表情を浮かべていたが。

「そりゃねえって。この子の玉子焼きもすっげー美味いけど、オレのもなかなかだろ?」
「何度も言わせるな。おまえとこいつとでは比べ物にならん」
「なにそれ真ちゃん惚気?」
「………なぜそうなる。」
「ぶっは、もしかしてそれ素?べた褒めしといて今更それはないっしょ。嫁さん大事にしろよ、なんつって」
「高尾ちょっと来い」
「んだよ、照れんなよア・ナ・タ!やっべ想像したら笑えてきたわ」
「やめろ!!!」
「あは」
「…お取り込みのところ悪いんだけど。もう玉子焼き要らないの、ア・ナ・タ?」
「ぶふっ!ちょ、その返し最高…腹いてえ」
「俺は事実を言っているだけなのだよ。他意などない」
「そんなこと言って。わたしに『運命の人なのだよ』ってプロポーズしたくせに」
「…駄目、もう駄目。あっははははは!」
「いつの話だ!高尾、笑うな!もうこの話は終わりだ。さっさと片付けて帰るのだよ」



* * *



そして今日の食卓にも、ほんの少し焦げ目のついた玉子焼きがちょこんと並ぶ。いただきます、との挨拶と共に真っ直ぐに箸を伸ばし、それを口に入れるとやさしい味が広がった。咀嚼するのに夢中になってしまうのはご愛敬というものだ。無意識に玉子焼きが乗った皿を見つめてしまっていたらしい俺に気付いたのか、正面に座る彼女からくすくすと笑い声が聞こえる。デジャヴを感じながらも、恒例となってしまった質問をするしか他ないのだ。

「…俺は今、どんな顔をしている」
「高尾くんにも見せられない顔、かな」

あっけらかんと言い放つものだから思わず拍子抜けしてしまう。いつもなら例のごとく「ナイショ」と囁いて、唇を抑えられるだけだと思っていたのに。予想外の出来事に頭が追いつかない。左手に箸を、右手に茶碗を持ったまま硬直。それでも、彼女が堪え切れなくなって漏らした笑い声に我に返って、込み上げるのは新しい羞恥心と遣る瀬なさ。
思えばずっと、彼女には敵わないと自覚してしまっていた。始まりはきっと彼女の言う「プロポーズ」から。幼い頃から占いというものに対して絶対の信頼を持っていた自分にとって、運命という言葉はとても大切なものに感じた。しかし第三者の視点からするとなるほど、そう捉えられてもおかしくはないのだろう。最初はそんなつもりなど毛頭なかったと言ってもいい。けれど幼い自分が、それなりに彼女に好意を以ってその言葉を贈ったことは確かで。だからその言葉はいくら話のネタにされようとも、からかわれることになろうとも。撤回するつもりもそれと同じくなかったのだ。

「運命以外の言葉で好意を示せと、いつかおまえは言っていたな」
「…そうだった?」
「忘れていたのならそれでいい。だが、癪だから言ってやる。これからも俺が美味いと思うのはおまえの玉子焼きだけなのだよ」

今、どんな顔をしているのか純粋に知られたくなくて。でも、言うが早いか箸で摘んだままの玉子焼きをぐいっと差し出されて反射的に口を開ける。当然ながら、明後日を向いていた顔も彼女の方へと向き直って。うぐ、と容赦なく喉に突っ込まれたそれを噎せながらも食べる。眉を寄せながら彼女の顔を見ると、ふわりと届いた幸せそうな笑みに我知らず表情は緩んでいた。
やはり効果は抜群なのだな、と。心の中で独りごちながら味わう自分の口内は甘い。彼女にしか表現できないやさしい味。恐らく、自分にとって一生のラッキーカラーは黄色なのだと確信した。



2012.07.28
緑間真太郎 × yellow
written by 香織