職場体験最終日。あれからすぐに退院し、日常生活にもヒーロー活動にも支障ないぐらい回復していた。無事に午後の活動を終え、昨日の夜から纏めて置いた荷物を来た時と同じように持った私はクロガネ事務所の前に居た。


「短い期間でしたが、大変お世話になりました」


きちんと頭を下げる私の視線の先に居るのはクロガネ事務所所長の黒鉄さんと我煙さんを始めとした、他のサイドキック達も勢揃いしている。微かに「うっ…うっ…」と涙を堪えている者もいれば、「帷ちゃんのご飯が食べられなくなるなんて…」とぼやいている声も聞こえる。確かに夕飯を作ったりもしたが普通のご飯だしこれと言って絶品と言えるようなものじゃないし…そんな泣かなくても。


「いや、世話も何もねぇがな」

「職場体験がアレだったしネ〜」


順調に行われるはずだった体験実習は、我煙さんの言う通り凄い結果で終わってしまった。確かにヒーロー活動もパトロールや災害現場の手伝いも行ったが黒鉄さんとの手合わせもあのままだったし、結局のところ全てあのヒーロー殺しの事件が大きすぎたのだ。
しかし、あの経験を経て色々学ぶことも大きかった。黒鉄さんと手合わせがあったお陰で新たな自分の個性の使い道が見えたし、微弱ながら対応できたのではないだろうか。何だかんだ無事に職場体験も終わって、一安心だ。


「…何とか対応できた。無事に終わった。だなんて安心すんなよ」


心を読まれたのかと思った。仁王立ちで腕を組んでいる黒鉄さんの言葉に思わずドキリとする。ムッとした表情で事務所前の数段の階段の上でこちらを見下ろす彼はすべてお見通しのように私の顔を真っ直ぐに見つめていた。


「お前が相手したのは"本気じゃないヒーロー殺し"だ。相手が本気でお前らを殺そうと思えば殺せた事実をしっかり噛みしめろ。それがヒーローの現場だ。生きてんのが不思議だと思え」

「っ…」


その通りだ。忘れてはいけない。相手の意思次第では本当に殺されていたかもしれないし、生きていても重症で二度とヒーロー活動出来ない体になっていたかもしれない。思い出すだけでゾッとするようなあの短くて長い時間。黒鉄さんの言う通り、生きていたのが不思議だと、奇跡だと思わなければ。
あんな緊張感の張りつめた現場にヒーローは無条件で投げ込まれることもあるし、飛び込まなければいけない時もある。1人の時もあるだろうし、数人で力を合わせる必要がある時もあるだろう。その都度すぐに最善策を瞬時に判断する必要がある。生き残る術と、守る術と、助ける術を見出さなければならないのだ。


「だがまァ…色々自分の個性の使い方にも変化があったみてぇだし学んだこともあったろう。とにかく経験を積め。それがお前の力になる」

「…はいっ!」

「かといって調子に乗んなよ?まだ俺との対戦に手も足も出なかった事実は消せてねぇんだからな」

「……はい」

「本当、上げて落とすのが好きなダメ所長ネ」


本気で叱ってくれて、本気で心配してくれて。私の成長もしっかりと見てくれている。それだけで何故だかとても嬉しい。褒めてくれたと思えば突き落とされて、思わず声のトーンを落とすと横で見ていた我煙さんがヤレヤレと首を振っていた。


「とにかく色々合って寧ろこっちの方が申し訳なかったネ」

「いえ。我煙さんもその…私が勝手に動いたせいでご迷惑おかけして…」

「ん?ああ、あんなペナルティどうってことないネ」


私たちは学生という立場という事と功績を捨てることで目をつぶってもらった処罰だが、黒鉄さんと我煙さんは監督不行き届きで色々と責任を取らされる。減給とか色々あるようだが、聞いても教えてはくれないだろうから詳しいことは分からないけれど、私のせいだというのに我煙さんは何も気にしないと言うようにヘラリと笑って言ってのけていた。


「まァ、とにもかくにも」


ヘラリと笑った我煙さんの笑顔が近い。と、不意に頭部に優しい重みがかかる。「ん?」と思った時にはよしよしと頭を撫でられているのだと理解した。


「よく頑張ったネ」

「……はい…ありがとうございます」


突然の出来事ということもあったが、一体いつ振りだろうか。誰かに褒められるなんて。一瞬固まってしまった私に構わず撫でてくれる我煙さんにゆっくりと体の力が抜けていく。照れくさくて小さく笑いながら礼を述べると我煙さんは「うんうん」と頷きながら静かに手を離した。
優しいぬくもりが消え、改めて我煙さんと黒鉄さんを見てから深々と頭を下げる。気をつけて帰れよ〜とか元気でな〜とかサイドキック達の声を聴きながら頭を上げて踵を返そうと足を踏み出しかけた時だった。あ、と思い出したように2人のプロヒーローを振り返って声を張り上げる。


「あの、最後に一つ、良いですか?」

「なんだ」


バイバイと手を振って事務所に入っていくサイドキック達を横目に、こちらを見下ろす黒鉄さんが少し面倒臭そうに目を細めたのが見えた。


「母は…私の母は最高のヒーローでしたか?」

「……そりゃぁ、」


一瞬だけびっくりしたような表情をした黒鉄さんだったが、すぐに普段通りの表情に戻ってボリボリと頭を掻きながら少し視線を反らす。
母が居た事務所。お父さんと結婚するまで…いや、私が生まれるまで所属していた事務所だから私はこの事務所を選んだ。活動内容とか、サイドキックの受け入れ状況などみんなが気にしていたであろうことすら確認せずに指名が入っていたことを理由にして此処を選んだ。今やそんな理由でこの事務所を選んだことを恥しく思うけれど、最後にこれだけは聞いておきたかった。


「お前が一番わかってんじゃねぇのか?」

「!」

「以上だ。もっとしっかり学んでこい、"シャットパージ"」


それだけ言い残し、クルリと踵を返して歩き出す黒鉄さんのその大きな背中をきっと母も見ていたのだろう。その横でヒラヒラと手を振って「またネ〜」と我煙さんがニッコリと笑う。そんな2人を見て、高鳴る心臓を感じながらまた深々と頭を下げる。


「っ!!あ、ありがとうございました!!!」


黒鉄さんから貰ったその答えに心の中は満ちていた。次に会うときは少しでも成長した姿を見せなければ。もっと自分を磨かなくては。大事な"ヒーロー名"で呼んでもらえた事で熱くなる目頭を落ち着かせながら二ッと笑って今度こそ踵を返して踏み出す。明日からはまた学校だし、今はこの幸せな気持ちを抱えたまま早く帰ろうと駅へと向かって走り出した。
そんな帷の背中を見送っていた我煙さんがニッコリとほほ笑んだまま、その背にいつぞやの"彼女"の姿を重ねていた。


「…似てるんだよネ〜」

「嗚呼。恐ろしいほどにな」


性格も顔も仕草の癖も全部。この数日間、あの頃を懐かしむように、あの人を見ているかのように帷のことをずっと黒鉄が見ていたのを我煙は知っていた。でも、それをからかうことは決してしなかった。というのも、我煙自身も帷と彼女のことを重ねてみていたからだ。それほどまでにあの親子は似ていて、面白いほどに自分たちの心を同じように掻き乱す。そんなヒーローの卵がどのような試練を乗り越え、彼女のように…ヒーローになるのだろうかと少しだけ期待を胸に秘めつつ、事務所の扉をゆっくりと閉めた。



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