皆にお疲れ様〜など軽く別れを告げて、私は下校する前にとある一室に足を運んでいた。保健室だ。既に痛みも何もないのだけれど放課後においで、とリカバリーガールに言われていたから。


『失礼しま…す』


声を上げながらガラガラと教室特有の引き戸を開けるがそこには誰もいない。シンっと静まり返る室内にはて?と頭をかしげながら足を踏み入れるとフと出入り口を入ってすぐのテーブルの上に1枚の紙。自然と目が行って内容に目を通す。


『(会議、か…)』


そこには先生たちの会議が入ってしまったので保健室を空けること、湿布や包帯などはメモ近くの薬箱に、氷は室内の奥の冷凍庫に入っているので持っていく際は名前を記入すること、診察してもらいたい場合は大人しく椅子に座って待って居ること、などなど細かく書かれた後にリカバリーガールのサインと可愛らしいハートが描いてある。
小さく微笑みながらとりあえず痛むところもないし、今日の所は湿布をもらってテーピングして帰ろうと薬箱をあけたその時、ポケットに突っ込んでいたスマホが小さく震えて音を立てた。頭に?を浮かべながらスマホを取り出し、画面を見てギョッとする。慌てて自然と震えだす指先で通話ボタンを押した。


『も、もしもし…』

「≪ああ、帷か。何かあったのか?≫」


自分ではそんなつもり全然なかったのに声が震えてしまったのを悟られなかったか不安になりながらも耳に当てたスピーカーから聞こえてきたのは、久々に聞いた父の声だった。試合の後、繋がる前に切ってしまったが着信があったから折り返しくれたのか。珍しい。今までそんな事一度も無かったのに。いや、もしかしたら雄英体育祭の事覚えててくれてそれで結果を聞くために電話を―…そんな考えがよぎって、


『あ、ああ…あのね。今日、雄英体育祭で―』


思わず明るい声でそう言いかけたその時、「はあ…」と小さなため息がスピーカーの向こうから聞こえた。途端私の声も動きもピタリと止まった。今、一番、聞きたくない父の声だった。


「≪なぁ、帷。それは今話さなきゃダメか?≫」


その言葉に呼吸さえしているのを忘れそうになる。ほら、結局これだ。一瞬でも期待した私が馬鹿だった。お父さんは体育祭のことも娘の話にも興味はないんだ。昔からそうじゃないか。だから試合直後に電話するのを途中で止めたんだ。何を期待して電話に出てしまったんだか。いつも電話に出ないお父さんみたいに、無視してしまえばよかった。


「≪父さんが忙しいのはお前も知ってるだろ?今だって移動中で―…あ、ああ、スミマセン。今終わりますんで、はい。スミマセン≫」


電話の向こうで忙しない人の声やらアナウンスやら色々な音、そしてお父さんが誰かに謝っている声が聞こえる。きっと電話口の向こうではお父さんの傍に誰かいるんだろう。そうだ、いつだってお父さんは忙しいんだ。あちこち飛び回って、色んな情報集めるビジネスマンだから。知ってた。知ってた筈なのに。なんで私は、


「≪ってわけで切るぞ。帰ったらゆっくり聞くから、な?≫」

『…ん』


愛想なくブツリと切られる電話。これも毎回の事。一応は娘の事が心配なのか電話はかけてきてくれるくせに、急用じゃない事が分かるとすぐに忙しいと電話を切ってしまう。…そう、これもいつものこと。いつものことなのだ。


『…帰ってきた事、ないくせに』


通話終了の画面を睨みつけながら吐き捨てる。いつだって忙しいの一言で、小学校卒業して引っ越してからも中々家に帰ってこないし、長期の休みにだって帰ってこない。帰ってきても話なんて聞いてくれないまますぐに出かけちゃうくせに。中学のイベントも卒業式も興味なかったみたいだし。
雄英受かったら独り暮らししたい、って勇気振り絞って連絡とったら別に好きにしていいって軽い返事だけで仕送りもしてくれるし日常的にも困らない生活を遅れている事はとても感謝してる。それもこれもお父さんが一生懸命働いてくれてるからだってことも理解してる。でも、でも―…"お母さんだったらきっと"。


『ふっ、ぐっ…うっ…』


ボタリボタリと目から雫が落ちる。悲しさからなのか、寂しさからなのか、怒りからなのかは分からない。ただ、ただ、いつものことなのに。いつも傷つくことを知っていたのに落ちる涙が止まらないのだ。ああ、こんなことで泣くなんて、情けない。情けない。

そんな状況のときにまさか、ガラガラガラ…バン!なんて何の前触れも無く勢いよく扉が開いて、その扉の前に立っていた見覚えのある顔―…"彼"とばっちり視線が合ってしまうなんて誰が予想しただろう。

扉の音とそこに立っていた人物の存在に一瞬にして吹き飛んだ涙。でも、お互いに視線はばっちり合ったままで向こうはあまり見たことも無いような驚いた表情のままこっちを見つめている。
そりゃあリカバリーガールが居ると思って扉を開けたら、泣いてる私が居てビックリしない訳が無い。それにしてもどうしてこうもタイミングが悪いのか。どうしてこうも彼に見られてしまったのか…気まずさに耐えられない。どうにか、ここを抜け出さなければ。そう冷静に考えだす頃には涙はすっかり止まっていた。


「………」

『…ば、爆豪くんが保健室に用なんて珍しいね!驚いちゃった』

「…てめ、」

『リ、リカバリーガールなら会議で出てるって!じゃ、じゃあ私帰るね!』


上ずった声ながらも無理やりに笑って、そのまま強行突破しかないと思った。よりにもよってなんで彼に見られてしまったんだろう。一番、誰にも見られたくない姿を。だから一刻も早くこの場から逃げ出そうと彼が立っている入口の扉の脇をすり抜けるように走り去ろうとした。けど、


「待てよ」


反射神経が良い。すり抜けようとしたその瞬間に意図も簡単にガシリと手首を掴まれる。そこで振り払えばよかったかもしれない。でも私はピタリと動きを止めてしまった。


「なんで泣いてんだ」

『………別に泣いてないよ』

「嘘つくの下手すぎだろ、馬鹿か」


まともに彼の顔が見れない。早く放して欲しい。また泣き虫だとか何とか馬鹿にしても構わないから今すぐ私を家に帰して欲しい。機嫌悪そうに、でもいつもより少し落ち着いたトーンで話す彼は表彰台で拘束具を付けられていた人と同一人物とは思えないぐらい静かだった。
でも私の腕を掴んだ手はビクともしない。穏やかな癖に力だけはあるんだ。そして、何を思ったのか徐に私の手を見て小さく吐息した音が聞こえたと思えば、


「手、見せろ」

『…へ?』

「良いから見せろっつってんだろクソが!」


何を言っているんだとばかりに彼を見れば、急に荒っぽく声を上げるもんだからびっくりしたけれど、逆らってもどうせ放してくれないんだろうし此処は大人しく見せろと言われた方の手を差し出して見せる。彼との試合で軽く負傷し、少し剥がれかけてる湿布が貼ってある掌の方だった。


「…切ってたのか」

『わ、私のバリアの破片で切ったんだし、軽い火傷になったお陰で傷口塞がってるから平気だよ』

「火傷してよかったって言ってんのかテメエ」

『結果的に?』

「痕になんだろうが」

『別に気にしないから平気』

「気にしろよアホか」

『アホじゃない』


正直、出血は好ましくない。それも自分のバリアの破片で切った負傷だなんて。けど、彼の爆発の熱で軽く火傷したお陰で傷口が塞がったのだ。言い方は変かもしれないけれど彼のお陰で出血を免れたといっても過言ではない。だから、痕になろうが気にしないつもりでいた。リカバリーガールも自然に後も消えるだろう、なんて言ってくれてたし。


「ん」

『ん?』

「貼り直してやるから座れっつってんだ、察しろや」

『察せるか』


湿布が剥がれかかってるのが気に喰わなかったのか、近くの椅子に座るよう半ば強制的に促され文句を言いながら大人しく座る。確かに片手で湿布を貼ってテーピングするのは難しいし苦手だ。スーツだったら手袋するから怪我する事も無かったんだろうけど、体育祭じゃスーツ着れないし今後もこういった事態に遭遇するかもしれない…練習しておこう。
そんな事を思っている内に彼は薬箱からスッスッと必要なものを取り出してテキパキと私の掌の火傷の痕に湿布を貼り直してテープを巻いていく。慣れている、というか器用と言えばいいのか。


『…ふふ』

「何笑ってんだテメエ。気持ち悪りぃ」

『気持ち悪いとは失礼な』


口は悪い癖に、こういったところは変わってない。ずーっと前にもこうやって私が怪我した時、絆創膏貼ってくれたのを憶えてるかな?大好きなオールマイトの大事な絆創膏を貼ってくれたあの時の顔と今の彼の顔が見事に重なって見えた気がして思わず笑ってしまったのだ。


『すっごい久々に爆豪くんの優しい所見た気がする』


成長するにつれて、個性が身についていくにつれてドンドンその力に合わせて乱暴になったり、怒鳴る事が多くなったからこんな落ち着いた彼を見るのはとてつもなく久々な気がした。懐かしさすら感じる程だ。そうだ、彼だって昔はよく―…。


「………」

『…え、っ?!いたたたたたたたたたた!!!』


スッと私の顔を見たかと思えば、徐に握られる私の掌。それも普通に握られている訳じゃなくて確実に握りつぶそうとする勢いの力だ。思わず声を上げてもがくがビクともしない。


『砕ける!砕ける!!マジで砕ける!!』

「やっぱ気にくわねぇ」

『ごめんっごめんって!爆豪くn』

「呼び方」

『え』


スッととてつもない握力から解放される手の痛み。折角テーピングまでして貰ったのにこれでは意味が無くなってしまいそうだ。しかも"優しい爆豪くん"の下りで怒っているのかと思いきや、彼の怒りポイントは違ったらしい。


「デクは名前で呼んでんだろうが」

『……まぁ…そうだけど…』


そこ?と思わずつっこみたくなるけれど、どうやら彼にとってみるとかなり気に喰わないらしい。確かに出久は出久で呼び捨てだ。それも昔からそう呼んでいたというのもあるし、中学の3年間離れてたとは言え何だか呼びやすい。
それに比べて、なんといえばいいのか爆豪くんはそう…こう、今更照れくさいと言うかなんというか。そりゃあ昔は勝己くんと彼の後を追っかけていた時もあったけど…。そもそも出久はちゃんと"帷ちゃん"と名前で呼んでくれるし…。


『な、泣き虫とか馬鹿とかアホとか私の名前だって呼ばない人の名前なんて―』

「帷」


う、と言葉を詰まらせた。自分も呼ばないくせに相手から呼んでもらおうなんて―…と言い訳するつもりが、まさか素直に名前で呼んでくるとは。これでは自分で自分の逃げ道を無くしたようなものだ。


「帷、だろテメエの名前は」


否定できる訳が無い。いつもの顔でさらっと当たり前のように言ってくる目の前の彼がこれほどずるいと思ったことがあるだろうか。だが、逃げ道を失った私が辿る道は一つ。腹をくくるしかない…。


『…か、かつ……勝己くん』

「デクに"くん"付けしてねえだろうが」

『うっ…』


即座に文句をつけてくる。くそう…。"くん"付なら何とか言えそうだったのに。どうしたって出久に差をつけられてると思っているのか彼は…。そんなことないのに。いつになく改めて言えと言われると恥ずかしくなってきて、頭が上手く回らなくなってくる。ええいこうなりゃ自棄だ。


『か、か、か………かっちゃん!』

「………あ"あ"?」

『いだだだだだだだだだ!!!』


一か八か出久みたいに「かっちゃん」呼びなら幼馴染っていう事もあるし許して貰えるかと思って言ってみたものの、一瞬キョトンとした表情をしたかと思えばいきなり不機嫌な顔をして再び手を掴まれる。握力幾つだこの男…!


『か、勝己!』


あまりの痛さから逃れるためとはいえ、自然と口から出たその名前にスッと痛みが引く。なんだか気のせいかもしれないけれどフッと胸が軽くなった気がした。


『……勝己』

「ん」

『…勝己』

「んだよ」


爆豪く―…勝己が此方を見ることなく、静かにテーピングを巻きなおし始めているのを見つめながら彼の名を呪文のように呼ぶ。呼ぶたびに、なんだか心が軽くなって。いつになく優しく触れている手の感覚に遠い昔の事を思い出す。
そうだ。昔もよく私が泣いていたら何も言わずに手を握って出久の所やお母さんの所に連れってくれたっけ。そうだ。そうだ。この手の感覚を私は知っている。ポタリ、ポタリとさっきとは違う涙があふれて落ちる。でも心は穏やかで、自然と笑顔も浮かんでいて。


『…何かわかんないけど、あんがと』

「んだそりゃ」


視線も合さず、理由も聞かないまま彼は私の手に触れている。不安なとき、いつもこうして手を引いてくれていたのは、雄英襲撃の時もワープで飛ばされたあの暗闇の中で私の手を取ってくれたのはきっと―…彼だ。



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