合宿生活3日目の昼。
日は高く昇り、清々しいほどの青空の下で私たちは前日から始めた個性を伸ばすあの地獄のような訓練を継続して行っていた。
「補習組 動き止まってるぞ」
照りつける太陽の下でボーっとしてしまっていた脳に相澤先生の声が響く。ハッと遠くに飛ばしかけていた意識を体の中に呼び戻す。どうやら暖かな気候と昨日からの疲労度から眠気に襲われていたらしい。
「オッス…!!」
「すいませんちょっと…眠くて…」
「昨日の"補習"が…」
「だから言ったろ キツイって」
先生の捕縛テープによって無理矢理起こされる切島くんに、力の籠っていない声で返事を返す芦戸ちゃん。苦しそうな声で"補習"を強調しつつどうにか体を動かし始める上鳴くん。そう、私たちは期末試験で無事赤点を取った補習組。訓練・夕食・入浴を終えた後、他の生徒たちが就寝時間を迎える夜10時頃から夜間の補習授業を受けていたのだ。補習組が就寝できたのは夜中の2時。そして起床時間は、皆と同じ朝の7時だ。今までは睡眠時間が短くても大丈夫な方だと思っていたがとんでもない。昨日の疲れが全く取れないまま無理矢理体を動かしている状態だ。先生が個人の個性強化について語っているようだがほぼ耳に入ってこない。
「そして何より期末で露呈した立ち回りの脆弱さ!!お前らが何故他より疲れているか その意味をしっかり考えて動け」
「痛っ!」
再び動きが鈍くなってきた私に先生が脳天に手刀を落とす。痛みに目が覚め訓練に集中する。嗚呼駄目だ駄目だ。此処で疲れや補習授業を理由に逃げていては。そう思いながら腕を翳した時、ギロリと相澤先生の目つきが変わった。続けて「麗日!青山!」と先生が訓練中の2人の名を呼ぶ。
「赤点こそ逃れたがギリギリだったぞ。30点がラインだとし35点くらいだ。気を抜くなよ。皆もダラダラやるな」
個性の酷使で既に少し青ざめていたお茶子ちゃんと青山くんの2人の顔が更に青くなる。確か2人の相手の先生は13号先生だったか。どういう戦闘だったのかは詳しく聞いてないけど、相澤先生の言い方だと本当にギリギリだったようだ。否、無理もない。13号先生の個性も凄い強いし、私だったら作戦も何も思いつかないし…あ、これは結局赤点ルートだったかも、なんて自分自身で思ってしまい更に気が滅入ってしまう。
「何をするにも原点を常に意識しとけ。向上ってのはそういうもんだ。何の為に汗かいて何の為にこうしてグチグチ言われるか常に頭に置いておけ」
遠くを見つめたまま相澤先生の言葉にそっと自分の手を見つめる。原点。原点、原点…。私の"原点"っていつだった?再びボーっとしてきた思考の片隅で自分に問いかける。今までの生活で傷だらけになってきた手。体育祭のトーナメント戦で小さく火傷になった掌の小さな傷。世間でいう女子の手とはかけ離れているその手はいつも私の個性を支えてくれた大事な手。そうだ、私は、この手で、この個性で、皆を―…。
「そういえば相澤先生、もう3日目ですが」
「言ったそばからフラっとくるな」
「今回オールマイト…あ、いや他の先生方って来ないんですか?」
気を抜かず、ダラダラするなと言ったばかりの相澤先生の目の前で何かを思い出したように出久が声を上げた途端にフラリと揺れた。意志とは別で体の方はやはり皆疲れが出てきているのだろう。
そういえば出久の言う通り合宿3日目だというのに、此処に来た先生はA組担任の相澤先生とB組担任のブラド先生だけで、あとはプロヒーローのプッシ―キャッツしかプロヒーローはいない。本来ならあと1人、2人ぐらい様子見に来そうなものだがその気配もなければ話もない。特にオールマイトなんてこういうの好きそうだし、一番に駆けつけそうなものだが。
「合宿前に言った通り敵に悟られぬよう人員は必要最低限」
「よってあちしら4人の合宿先ね」
「そして特にオールマイトは敵側の目的の一つと推測されている以上、来て貰うわけにはいかん。良くも悪くも目立つからこうなるんだあの人は…」
「そっか…」
敵(ヴィラン)の一件があってから雄英は本当に慎重に判断して生徒を護ろうとしてくれていると感じる。例年の合宿先をキャンセルし、宿泊先を親は勿論生徒自身にも当日まで隠しておくという徹底ぶり。先生たちの間でもこの合宿先を知っているのは極僅かなのだろう。そんな中オールマイトというヒーローの中のヒーローがこんな山奥に姿を現せば情報が漏れることを懸念し、学校側の配慮でオールマイトを含め他の先生たちを近づかせないのだろう。本当に徹底している。
「ねこねこねこ…それより皆!今日の晩はねぇ…クラス対抗肝試しを決行するよ!しっかり訓練した後はしっかり楽しいことがある!ザ!アメとムチ!」
他の先生方に会えないのは少し残念だが、生徒の事を考えた学校側の配慮に納得出来る。残念な気持ちを閉まって再び訓練を再開しようとした矢先にピクシーボブがこれまた悪戯な笑みを浮かべて何とも楽しそうに宣言をする。その宣言の内容に思わず「うげぇっ!」と小さく声を上げてしまった。正直、肝試しとか、苦手だ。
苦い顔をしている私の傍で顔を青くしている耳郎ちゃんが「怖いのマジやだぁ…」とぼやき、またその傍で常闇くんが「闇の狂宴…」と何やら呟いていた。苦手〜とか、対抗ってトコが気に入ったとか、楽しそう!とか色んな意見がA組からもB組からも飛び込んでくる。
「というわけで、今は全力で励むのだあ!!」
『イエッサァ!!!』
決して頑張れる気にはなれなかったけど、訓練とそれは別だ。出来ることを出来るうちにやらなければと気持ちを切り替えてやる気になった皆に合わせて訓練を再開させた。
―――…
無事に今日の訓練を終え、再び夕飯を自分たちで作る時間。離れた所では勝己が凄い速さで野菜を切っている事に対し才能マンとかなんとか聞こえている。そんな中、私は轟くんと一緒に切った食材を大きなボウルに入れて運んでいた。
「出久、オールマイトに何か用でもあったの?」
「え」
「相澤先生に聞いてたろ」
運んでいる途中、簡易かまどの前で火を起こす準備として薪を並べている出久の背に轟くんとともに声を掛ける。相澤先生に声を掛けた時、多分出久は他の先生方よりもオールマイトが来ない事が気になっていたのだと少なくとも私と轟くんは気付いていた。
「ああ…っと…うん。洸太くんのことで…」
「洸太?誰だ?」
「ええ?ほら、あのマンダレイの従甥の…って、あれ?」
「あれ…またいない」
あんなに衝撃的な出会いをしたと言うのに轟くんは洸太くんの事をまるで覚えていないようだった。あの子だよ、と教えてあげようと声を発しながら辺りを見回したが洸太くんの姿がまるで見えない。出久も周りを見回して声を零す。そういえば、私たちの事を本当に嫌っている様子だったし出来る限り一緒に居たくないのかもしれない。
「その子がさ、ヒーロー…いや、"個性"ありきの超人社会そのものを嫌ってて、僕は何もその子の為になるような事が言えなくてさ。オールマイトなら……何て返してたんだろって思って…」
いつだって出久は優しい。分かっている。その子の傷をどうにか埋めようと、ずっと洸太くんの事を気にかけていたのだろう。でも何もできなかった自分に対し、どうしたらいいのか分からなくなっている…という事だろうか。だからヒーロー社会の象徴であるオールマイトに相談したかった。アドバイスして欲しかったのだ。
「…轟くんと帷ちゃんなら、何て言う?」
ボウルの中の野菜の1欠片がボウルの端へとゴロリと落ちていく。かまどの前で薪を並べていた手を止めてこちらを振り返った出久の問いに私と轟くんは一瞬、間を開ける。
「「………場合による」」
「っ…そりゃ場合によるけど…!!」
見事に言葉を被らせ真顔で言うこちらに出久が的確なツッコミを入れてくる。それが面白くて笑いながら「冗談だよ」と誤魔化しながらボウルを抱えなおす。
「…私なら、素性も分からない通りすがりに正論謂われても煩いだけかな」
目を伏せがちに呟くように吐いた言葉に出久と轟くんの視線がこちらに向いた気がした。嫌いになるならなるだけの理由がある。それは本人にしか分からないのに、声を掛けてきた方はきっと優しさとか思いやりを持って声を掛けたつもりだったのだろう。でも、声を掛けられた側にとってみれば"お前に私の何が分かるんだ"状態だ。貴方は私じゃないでしょう?って。
実際、何度もそう思ったことは私にもある。あの母の一件で色んな人から色んな声を掛けて貰ったし、色んな話も称賛も聞いた。でも、そんなの私の生きる糧にはならなかったし、私の中の後悔と疑問に対して何の解決にもならなかった。これだけは本当だ。
「言葉だけで動くならそれだけの重さの気持ちだったってだけ。大事なのは―、」
「大事なのは"何をした・何をしてる人間に"言われるか…だ。言葉には常に行動が伴う……と思う」
言葉だけで頑張れるならそれでもいい。でも、世の中それだけじゃ納得できないものもある。嫌悪感を増す時だってある。その人に本当に歩み寄れる時って、轟くんの言う通りその声を掛ける人がどんな事をしてきた人か、どんな事をしている人なのかによる。それは本当に大きい。実際、ここに居るのはそんな人に影響を受けた人ばかりじゃないか。
「出久こそ、それを知ってるんじゃない?」
きっと君は知っている筈だ。今まで沢山それを行ってきた人でもあるのだから。ニコリと微笑むと出久は少し安堵し、私たちの話に納得したように小さく息を吐いた。
「…そうだね。確かに…通りすがりが何言ってんだって感じだ」
「お前がそいつをどうしてえのか知らねえけど、デリケートな話にあんまズケズケ首突っ込むのもアレだぞ。そういうの気にせずぶっ壊してくるからなお前。意外と」
「そうそう。出久って土足でいきなり乗り込んでくるもんね」
「…なんか すいません…」
真顔で平然と言う轟くんの言葉にコクコクと頷く。大人しくて温厚な性格かと思えば、いきなり危険を顧みずに突っ込んでくるし真っ先に飛び出すし、オタク話は止まらないし…。いつだって出久は唐突に壁でも何でも突き破って、真っ直ぐに飛び込んでくるからこっちも受け止めきれないこともあるし、むしろ受け止めに行かないと止まらないと思ってしまうほどに熱くなる。それがしかも無意識なのだから、出久というのは本当に恐ろしい存在だ。
そんな会話を繰り広げていると「君たち手が止まっているぞ!!最高の肉じゃがを作るんだ!!」と後方から飯田くんの急かす声が聞こえてきて、はいはいと轟くんと共にボウルに入った野菜を調理場に届けるために歩き出した。