朝起きるとタイミングを見計らったかのように部屋の前を通り過ぎようとしていた彼―…燭台切光忠と鉢合わせした。彼の手には既に空になっている茶碗と皿の乗ったお盆。それを見て察する。どうやら他の刀剣たちは朝ご飯を終えたらしい。
というより、陽が少し高い位置まで昇ってしまっているようにも感じた。嗚呼、また昼近くになってしまったかな…なんて思いつつも今だ寝起きでぼんやりとしている思考の中、視線の先で立ち止まった光忠がフワリと笑いながら


「嗚呼、起きたんだね。おはよう」


と薄く目を細めて優しく話しかけてくれるから思わず「うん」なんて眠気眼のまま(恐らくひどい顔で)素直に返事をすれば、


「サツキちゃんもご飯にする?それとも先にお風呂入る?昨日入らないまま寝ちゃったでしょ?」


なんて、まるで新婚さんが玄関先でやるようなやり取りが聞こえてきた気がした。未だに思考がぼんやりとしているその時の私は特に何も突っ込まなかったけれど、今思うとそんな事をすんなり言える光忠が凄いと思った。否、彼にそんなつもりは微塵もないのだろうけど。
眠気を振り払おうと軽く目を擦りながら、徐に「お風呂…」なんて返事を返せば分かったなんて間を入れずに納得してくれる彼。そういえば昨日入らずに寝てしまったし、一回心も体もさっぱりしたい…そう思ったからだ。すると


「じゃぁサツキちゃんがお風呂入っている間にご飯の用意しておくね。…あ、お風呂の場所分かる?」

『……分かんない、かも』

「そっか…参ったな。ちょっと離れてるからな…」


お盆も置いてきちゃいたいしねぇ…と厨のある方向へと視線を向けながら苦笑する光忠。どうやらお風呂は光忠が向かいたい方向とは逆方向にあるらしく、此処まで来て踵を返すというのも2度手間な上に、彼は食器の乗ったお盆を持っている。置いて来てしまいたい気持ちはかなりわかる。あまり迷惑をかけても申し訳ない。取り敢えず口で場所を説明して貰って、1人で行ってみようかなんて思って口を開こうとした時、長い縁側の通路を歩いてくる足音が響く。


「おー、やっと起きたか」

「あ、御手杵くん」


私と光忠のやりとりに横から入り込んできたのはあの長身の男、御手杵だった。眠気眼の私を見て笑っている。


『御手杵おはよー…ふわぁあああ』

「ハハ、でっけえ欠伸。正国が言ってた通りだ」

『ふぇ?…あ、正国め…余計な事を…って、あれ?そういう正国さんは?』

「正国ならとっくに起きて鍛錬してんぞ」

『…あー、正国っぽーい』


夕べの事を早速話したのかあの正国は。きっと私のお腹の中には凄い腹の虫が居るとかなんとかも話しているに違いない。…で、その当の本人は庭で鍛錬。良く分からないけれど、納得できる。見た目通りと言うのも変かもしれないが彼は朝から鍛錬とか好きそうだなぁとか思ってしまうのも事実だ。
で、勝手ながら常にセットのイメージがある御手杵は彼と手合せしていたけれど、休憩がてらお茶を飲みに来たのだという。これもこれで彼らしいから何かみんな見た目通りの性格してんだなぁとかまだ日も浅いのにそう思ってしまった。


「丁度良かった。御手杵くん、お風呂場までサツキちゃんを案内してくれないかい?」

「え?あ、そっか。来たばっかじゃ本丸中で迷子になるよな」


直ぐに内容を理解してくれたらしい御手杵が「良いぜ」と快く引き受けてくれた。これで少なくともこの広い屋敷で独り遭難はせずに済みそうだ。よっこいしょと布団を畳み、軽く身形を整えてから部屋の敷居から縁側の通路に足を踏み出す。
俺も鍛刀されて此処に来た当初は迷った、なんて笑う御手杵。あちらこちらに目を奪われていたらいつの間にか1人で屋敷の隅の方で逸れてしまっていたという。…その時彼の案内を任されていたという同田貫の顔を思い浮かべて、思わず苦笑した。


「あとで着替えとタオル持って行くね」


ゆっくり入ってきて良いよ、なんてにっこり笑顔で言う光忠。嗚呼、なんて眩しいんだ。彼と会ってからそんな時間も経っていないけれど、確実に1つだけ分かった事がある。彼はこの本丸の"オカン"的存在だということ。胸を張って言っても良い。絶対そうだ。じゃなきゃ色々と説明できない。


そんなこんなで光忠と分かれて、「こっちだ」と少し頼もしそうに言う御手杵の大きな背について歩き出す。そういえば昨日もあちこち短刀部屋など色んな部屋を駆け回ったが、ゆっくりと本丸を見ていなかった分、少し新鮮だ。
キョロキョロと少し辺りを見回しつつ長い廊下を進めば、しばらくして湯殿の木札が下がった部屋に辿りつく。自分が寝ていた部屋があった建物とは別のちょっとした離れみたいな空間だった。


「着いたぜ」

『おぉー』


ガラガラと木製の引き戸を開けて中に入る。普通の家の浴槽よりも少し大きめのものだろうと思い浮かべていた私の予想をはるかに超え、中は広々としていた。ちゃんと湯船も広いし、身体を洗うスペースだってかなり余裕がある。脱衣所もちゃんと棚があるし…あ、あれだ、銭湯に近い感じ。
朝風呂に入る連中もいるからとお湯は当番制で朝と夜に沸かしているそうだ。湯船の淵きり一杯に湯が張ってあるのを見て、今すぐ湯船に飛び込みたい衝動に駆られる。嗚呼、日本人の血は抗えない。さて、さっさと入っちゃおうと服に手を掛けたその時、ふと隣に居る存在を思い出した。…御手杵だ。


「………あー…」

『…ん?』

「俺も入ろうかな」

『………へ?』


思わず思考停止。今何と言った、この槍。停止状態に陥っている脳をどうにか呼び起こしている私を余所に「よっこいしょ」と言って上着に手を掛ける御手杵に私はただ固まるしかない。


「…?入らないのか?」

『……え、あ、いや。入る。けど、ちょ、待っ、て…』

「?どうかしたか?」


平然とした顔でこちらを見たまま上着を傍に置かれていた脱衣用の籠の中に投げ入れる御手杵が、自身の赤いTシャツに手を掛けた時にようやく固まる私に違和感を抱いたのか首を傾げて問い掛ける。ゴメン、御手杵が冷静過ぎて思考が追い付かない。


『…御手杵って男だよね?』

「そうだな」

『じゃぁ、私は何に見える?』

「人間だろ?」

『………』


ようやく声を出せたと思った矢先に再び固まる私に、え?もしかして違うのか?なんて問いかけてくる御手杵。嗚呼、違う。違うんだ御手杵。私は君にそういう答えを求めていたんじゃない。…どっから、どう説明したらいいのだろう。そもそも彼にはどこまで知識が―…。


「おう、お前等も風呂か」

『あ、正国さん』


動かない思考を無理矢理動かそうとした矢先、ふと開け放たれたままだった湯殿の戸から黒い影が現れる。同田貫だった。先ほど御手杵が鍛錬と言っていたが切り上げて来たのだろうか、薄っすらと汗が浮かんでいるのが見えた。
ツカツカと湯殿の脱衣所まで入り込んでくる彼に、半ば私は助けを求めるように声を発すると無意識に彼の事を"さん"付してしまっていた。しかしこれで何かアクションがある筈だ。御手杵も納得してくれるような、この可笑しな状況を説明してくれる彼の言葉が―…。


「おー、今入るところだ」

「そうか」

『………』


無い。そんな馬鹿な。嘘だろうと思うサツキとは裏腹、脱衣所まで入り込んできた同田貫までもが首元の襟巻をシュルシュルと外し、手に持っていた刀を棚の上に置く。終いには上着に手まで掛け始めた。その横で今日は素振り何回したんだ?なんて呑気に問いかけながら赤いTシャツを脱ぐ御手杵。


『(駄目だ!此処にはツッコミ役がいない!!)』


嗚呼、私、何処見てればいい?てか、今すぐ逃げ出しても良い?否、幾ら私自身に女子力ないからってそこまで気にされないのかな?「どうした?」「入るんだろ?」なんて此方を見ながら脱ぐ手を止めない御手杵と正国。これは寧ろ開き直って一緒に入っちゃっていいのかな?男所帯で育った私にとってみればこれと言って問題は無いけど…否、無い訳無いんだけど。


「サツキちゃん、着替え持ってきた…よ」


いっそ2人で先に入ってと言って逃げ出そう。あとでゆっくり話し合おうと思って後退を始めたその時、再び脱衣所の開けっ放しの戸を覗き込む1つの影。手には折り畳まれた着替えの衣類とタオルを乗せたまま、こちらを見て固まっていた。


「…え?」

「あ?」

「どうした?燭台切」


開け放たれたままの戸を見て、まだ私が風呂に入っていない事を察しながら覗き込んだのであろう彼の綺麗な金色の隻眼が何度も瞬きする。将に信じられない状況を視ているかのように。あ、もうこれで無理なら無理だ。一か八か、彼には常識があると信じてサツキは静かに彼を振り返って声を発した。


『……光忠。助けて』

「…う、う、うわあああああああ!?」


徐々に赤面し、慌てふためく光忠。彼独特の素敵な声の悲鳴に似た叫び声に既に上半身は裸と化している正国と御手杵がビクリと肩を震わせて光忠を「何だどうした」と見つめている。瞬間、私は物凄い勢いで駆け寄ってきた光忠の黒い手袋をした大きな手にサッと目隠しされて脱衣所から連れ出された。あ、どうやら私助かったみたい。






×
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -