柔らかい微睡の中、ふわりふわりと徐々に浮上する意識。自身の瞼の上に温かい日差しの差し込む感覚を憶え、まだ完全に覚醒していない脳をどうにか働かせる。


『(……朝?)』


自分が眠っていた事は理解できる。温かい敷布団と掛け布団に体が挟まれている感覚がはっきりしてきた。徐々に覚醒へと向かう脳の中でふと思い出し、もぞもぞと体を動かす。


『(…あ、部活…いかなきゃ…)』


今日は平日の筈。こんなに朝日が窓から差し込むほど昇っているのならもうすぐ目覚ましが鳴る時間になるだろうし、このまま2度寝してしまえば確実に朝練に遅れてしまう。起きて、顔洗って、朝ご飯食べて、支度して―…。
もそりと起き上がり、ふわああああと欠伸を零す。ううーんと伸びをして何度か瞬きを繰り返し、布団から抜け出そうと掛け布団をバサリと捲り倒した。まず朝学校に着いたら道場の掃除しなきゃ。今日は誰と一緒だったか、な…。そこまで考えて、私の思考は停止した。


『………』

「………」

『……………?』


捲り倒した掛け布団からゴロンと何かが転がった感覚がして、未だ寝ぼけ眼の眼をどうにか開けてそちらを見れば、小さな影と目が合った。ん?目が合った?うん。間違ってはいない。此方を驚いたような表情で見つめたまま固まるその小さな影は何処かで見覚えがあった。
青い髪を紅い紐で纏め上げ、これまた青い着物のような衣服を纏った少年…よりも幼く見えるぐらいの子供。綺麗な瞳が私を捉えたまま、ピクリとも動かない。私も停止してしまった思考を必死に動かすのに必死で、しばらく2人でお互いを見つめ合うという不思議な空間が出来上がった。
誰だこの子は。しかも此処、私の部屋じゃない。そう思い始めた頃、遂に寝ていた脳が覚醒した。最後の記憶を辿ればあっという間に思い出すこの状況…否、この状況になった経緯は分からないけれど、少なくとも夢でない事は確かだという事。そして何より、


「…………」

『………ッ?!』

「あ、」


パニックだった。今まで起きた事が全て夢ならば、きっといつものように私は何の問題も無く朝練に向かっただろう。なのに、あの狐と言い、あの化け物と言い、全てが夢でなかったなんて起きたばかりの私にとってみればパニック以外の何物でも無かった。況してや刀剣男士が本当に存在している、なんて。
全てを思い出した頃、慌てて飛び起きて無我夢中で布団から這い出る。後ろで小さく、その小さな子が声を発したように聞こえたけどそんなのお構いなしだった。古びた障子戸に手を掛けて乱暴に開け放ち、そのまま部屋の外へ駆け出す。
外に飛び出し、縁側を伝って一気に駆けていく。田舎の婆ちゃんちみたいに大きな日本家屋のような建物は何処か懐かしさを感じるが今はそれ所じゃない。兎に角、訳も分からないまま走った。何処かに、出口があるんじゃないかと思ってなのか誰かに助けを求めていたのかも分からない。ただひたすらに走り、角を曲がった瞬間。


「っと、」

『ッ?!!』

「…嗚呼!起きたんだね!」


トスッというなんて言うか安定感と言うか…ぶつかった衝撃を吸収された感覚。と、同時に頭の上から振ってくる声に顔を上げれば、見覚えのない隻眼のお兄さんが此方を見て微笑んだ。きっと、この笑顔を見たら日本中の女子が黄色い悲鳴を上げるだろう…が、


『………ッ!』

「ちょ、お、落ち着いて!大丈夫、大丈夫だから!」

『だ、だだだだ大丈夫なもんかああああ!!』


いつの間にか回された腕で逃げられないし、油断も隙もあったもんじゃない。慌てるこっちを「危ない」だのなんだの言いながら何とか宥めようとしてくれているみたいだが、こっちにとってみれば知りもしないこんな男の人に掴まって落ち着いて居られる訳がない。況してや、この状況が状況だ。私にもし乙女心が残っていたのなら、きっとこのシチュエーションは遅刻しそうな女子高生がパンを咥えたまま通学路を駆け、曲がり角を曲がった瞬間イケメンとぶつかってそこから出逢いが―…っていうベッタベタなシチュだろうが!!とツッコミを入れていた筈だ。だが、生憎こちらに乙女心は毛頭ない。…自分で言うのも何だが。


「んだよ、うるせぇな…敵襲でもあるめぇし…」

「くわああああ」

『!』


パニック状態に更なるパニックに陥っていた私の耳に飛び込んできたその聞き覚えのある声にハッと顔をそちらに向けるとそこには見覚えのある顔が2つ。私が意識を失う直前、あの大きな化け物を倒した"刀剣男士"、だ。不機嫌そうな顔の黒装束の男と、眠そうに欠伸を零す長身の緑の衣服の男。記憶と違うのは服装がかなりラフになっている事ぐらいか…否、今はどうでもいい。


「おお、何だ?」

『………』


バッと隻眼の男性が油断して居る隙に逃げ出し、こうなれば…と半ば助けを求めるように長身の緑の装束の男の腰付近を掴み、男の後ろに身を隠す。何の言葉を発することなく、ジーッと隻眼の男を緑の装束の男の後ろに隠れながら見つめる。恐らく、今自分は凄く警戒している顔をしているだろう。


「へぇ…珍しい。燭台切、お前警戒されてるみてぇだぞ」

「え〜、カッコつかないなぁ…」


しょくだいきり、と呼ばれた隻眼の男は、黒い装束の男の少し笑みが含まれた言葉に苦笑しながら参ったなぁとばかりに頭を掻いた。あんま初対面で嫌われる事無いんだけどなぁとか何とか言う隻眼の男と確かになぁなんて零す緑色の装束の男。そんな男達のやり取りを眺めながら、ハッとまず自分が問うべき事をようやく思い出した。


『こ、此処どこ?!私、誰?!』

「えぇ?」

「しっかりしろよ」

「そうそう。まずは落ち着こう。ね」


兎に角、一度は面識がある穏やかそうな緑の装束の男に後ろに隠れたまま問いかければ、男は困ったように声を上げて、少し驚いたように此方を見ていた。隣の黒い装束の男は以前として不機嫌そうなまま声を飛ばしてくる。大して隻眼の男はニッコリと浮かべた笑みを絶やす事無く依然として此方を宥めようとしてくれている。…案外、この中で真面な人材かもしれない。
ようやくパニック状態から、少しでもこの状況に対応しようという人間の本能のその奥底に眠っていたような適応能力が目覚めてくる感覚がした。信じられない事は多いがまずは今の状況をしっかりと理解しなければ。自分に起きた事を憶えているとはいえ、まだまだ分からない事は多い事に変わりない。
兎に角、ゆっくり話そうか。と隻眼の男に促され、最初に私が寝ていたあの部屋に戻るとそこには私が起きてそのままだった布団を畳むあの男の子の姿。此方を見て、あ。というな表情を浮かべたけれど、慌てた様子も無く小さく会釈してくれたので思わずこちらも会釈して部屋に入った。


―――…



「―…という訳でキミは此処に居る訳」

『…成程』


畳に腰を下ろし、隻眼の男…燭台切光忠の分かりやすい今までの出来事の解説を聞く。部屋の入口の障子戸の縁に寄り掛かったまま同じように説明を聞いていた黒い装束の男…同田貫正国と部屋の柱に寄り掛かってウトウトしていた緑色の装束の男…御手杵。そしてあの青い髪と装束の男の子…小夜佐文字。やはり皆、"刀剣男士"…だそうだ。
話を聞けば、どうやらあの化け物を倒した後に私は意識を失って此処に運び込まれた…。此処、この日本家屋のような建物の事を"本丸"と呼び、いわば刀剣男士とその不思議な力を持つ審神者の拠点になる建物、と言う事らしい。そして彼らの家であるこの本丸で、さっき目を覚ました…その後は言わずもがなである。
その意識を失っていた間ずっとこの小夜佐文字が私の傍にくっ付いて見ていてくれたという事だ。それを聞いて、説明してくれた燭台切の後ろからこちらの様子をずっと見ていた小夜佐文字を軽く覗き込んで微笑む。


『君が、ずっと見ててくれたんだね。ありがとう』

「……こっちこそ。直してくれてありがとう」


お礼を言うと少し驚いたように目を見開いたように見えたけれど、すぐに少し照れくさそうに視線を泳がせながら小さく会釈してお礼の言葉を返してくれた。なんて礼儀正しい子なんだ。


「で、起きて早々なんだけど…相談があるんだ」


本題は此処から何だけど、なんて燭台切が改めて姿勢を正すものだからこちらも思わず肩に力が入ってしまう。そんな付喪神と言えど、立派な神様である彼の頼みなんて何を言われるのだろうと自然と身構えた。


「実はこの本丸―…あー、この家にはまだまだ怪我してる子達が沢山居て…もしよければその子たちも直して貰えないかなって…」

『…え、あ、あの…』

「君が審神者じゃない事は聞いたよ」


思わず拍子抜けした。と言うより、なんで審神者でも無い事を理解していながらそんな事を頼んでくるのか。幾ら同田貫や御手杵や小夜を直したとはいえ、あの時は勢いだけでやった部分もあるし、本当にまぐれかもしれない。なのに、頼んでくるという事は、彼ら刀剣男士にとってみれば"手入れ"というものは余程の事なのだろうが。


「左様」


不意に何処からともなく凛とした声が響く。室内に居た皆が一斉に顔を上げ驚いた表情を浮かべ辺りをキョロキョロと見渡す。しかし自分でも驚くぐらい、私は冷静だった。何より聞き覚えのある…というより、その声の正体を一瞬で脳裏に思い浮かべる事が出来たからかもしれない。何処から聞こえてくるのかも分からない声に続いて、チリンチリンと鈴の音が聞こえ、そして。ポン、と言う様に小さな煙を立てながらそれは私の目の前に姿を現した。


「その方は審神者ではございませぬ」

「こ、こんのすけ?!」

「てめっ!!」


フワリ。尻尾を揺らしながら現れた狐…そう、私を此処に連れてきた張本人である"こんのすけ"だ。突如何も無い空間から現れたこんのすけに逸早く御手杵と同田貫が反応した。先ほどの燭台切の説明にもあったが、こんのすけはいわば新人審神者の補助、案内役を行う存在…。それがどうしてまた、私が審神者では無いと断言しながら此処に連れて来たのか、それが今私の中に残っている一番の疑問だった。


『…なんで私を此処に連れて来たか、まだ聞いてなかったね』


今にも切り掛かりそうな勢いの同田貫や驚いた様子の燭台切を横目に、私は静かにこんのすけに問いかける。と、此方に背を向けた状態で現れたこんのすけは、ゆっくりと此方を振り返り見上げながら、そうですね…と徐にその口を開いた。


「…この世界を救うため、貴方を現世よりお呼びしました」


―チリン。また、何処かで鈴の音が鳴った。






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