「夜な夜なあの河原を通り過ぎようとした人間が川に落ちて死んでいる事があるらしい。否、落ちたんじゃない。引き摺り込まれるんだ」

「歩いていて突然、か?」

「否、なんでも川の方から赤子の鳴き声が聞こえて足を止めちまうらしい。その瞬間足を掴まれてズルズルと…」

「…引き摺り込まれて溺れ、死ぬ。と」

「そう言う事。ま、世間じゃ酔っ払いが足を滑らせて良く落ちる、とか自殺の名所だ、とか言って事件性も何ももみ消しちまってるようだがな」

「ひとって、しんじられないものはとことんひていしますもんね」

「………」

「どうよ旦那。興味あるだろ?」



ニヤリと笑った薬研の顔が忘れられない。あの悪そうな顔、やはり薬研も"此方側"のモノである事を改めて実感したような気がする。まぁ、本性が悪い奴でも無いし騙すという事は無いのだろうが、どうもあの手のモノは本性を掴みにくいのが少し難点だ。…頼りになる点も大いにあるから何とも言えないのだが。


「して、藤乃。どのような妖か見当はついておるのか?」

「…大方の目安は、な」


ぼんやりと脳裏に浮かんだ薬研の事を考えていると不意に斜め後ろを歩いていた岩融が声を上げる。薬研に教えられた場所に向かうため、私と今剣が並んで歩きその少し後を護衛するように岩融が歩いている。
大通りから一本裏道に入れば幾ら文明開化が進んでいると言ってもまだまだ発展途上の部分が多い。裏道に入ればそこに街灯はほぼ無く、道も何となく荒れている状態のままだし建物もトタンやら木造の古ぼけた物が目立つ。細道に人気は無く、ぼんやりと点いていた民家の明かりも徐々に遠のく。
足元を照らすのは今剣が持っている小さな提灯のみ。あとはほぼ月明かりで賄う状態だ。こんな時間に出歩くなど、見回り組にでも見つかれば即逮捕か良くて事情聴取。どっちにしろ面倒な事に変わりない。


「恐らく"川赤子(かわあかご)"の類だろうが…」

「なにかひっかかりますか?藤乃」

「嗚呼、」


川赤子という妖怪は、一般的に川や沼で赤ん坊の泣き声を出す妖怪で、その声を聞いて助けようとするとその者は足を取られて落ちてしまう。というものだ…だがあくまでそれは助けようとして川に向かった者が足を取られるというもので、足を止めただけでは何も起こらない筈だ。況してや溺れ死ぬことは稀で、大体は自力で川岸に這い上がって助かる事が多い。
…少なくとも藤乃の知る川赤子という妖はそんなほいほいと人殺しをするようなモノではない筈なのだ。だから引っ掛かる。何かの恨みか、はたまた気が狂ったか。兎にも角にも何かに足を取られると言うのならその正体を知る必要がある。況してや人が死んでいるとなれば尚の事。


「…ん?」

「どうした?岩融」

「いや、何かに袖を引かれた気がしたのだが…」


後ろを歩いていた岩融の足が不意に止まり、彼が後ろを振り返る。それに合わせて私も今剣も足を止め彼の後ろを見た。しかしそこには何も無い。気のせいだったようだ、と笑いながら岩融が此方に向き直った。そして再び歩き出そうとしたその時、


「わ、」

「っと…大丈夫か、今剣」

「ぼ、ぼくもなにかにひっぱられたみたいなかんかくが…」


何かに躓いたようによろめいた今剣をとっさに支える。提灯の灯りがフワリと揺れ辺りがフワリと照らされた。今剣が自身の袖を見ているのを見て、藤乃はその違和感に気づく。そして徐に今剣の傍に目をやり、その名を呼んだ。


「…"袖引き"」


名を示されたソレは形となって現れる。今剣よりも幼い少年のような容姿のそれは、未だ今剣の袖の端を遠慮がちに摘まむようにして持ちながら立って居た。"袖引き"とは袖引き小僧の事で、道を歩いていると後ろから着物の袖を引かれ、驚いて振り返ると誰もいない。そのまま歩き続けているとまた袖を引かれるという、何とも悪戯好きだが無害な妖怪だ。
姿を現した袖引きに「ほほぉ」と何とも面白そうに袖引きを興味深そうに見る岩融と、わっと驚いてとっさに私の後ろに回り込む今剣。こらこら、お前が隠れてどうする。身軽な動きで動き回る今剣の手に持っている提灯が揺れ、袖引きが時折自分を照らす灯りに眩しそうに目を細めている。


「何か用か?袖引き。私たちはこれから…」

「…ソッチ、アブナイヨ」


トコトコと私の傍まで歩み寄ってきた袖引きが今度は私の袖の端を掴みながら言う。人間の言葉を扱えるようだが、やはり妖は妖。上手く綺麗に聞こえない部分もある。…が、内容を理解するには何とかなりそうだ。妖の中には全く人の言葉を話さない奴も居るのだから、今回は良い方だろう。


「何?」

「なにかしってるんですか?」

「ソッチ、アブナイ」

「何が危ないのだ。応えよ」

「止しな、岩融」


先ほどから"危ない"を繰り返す袖引きに少し痺れを切らしたように岩融がグイッと身を乗り出したのを片手で制する。目の前の袖引きが岩融に怯えているのが見え見えだ。それでも私の袖を離さないのはそれなりに理由があるからだろう。
藤乃はスッと身を屈め、自身の袖の端を持つ袖引きの目線と同じぐらいまでしゃがみ込む。良く分からないモノにおいそれと近づくなと言っておるのに、と岩融の表情が険しくなる。彼女の後ろに隠れている今剣もそっと警戒しているのが分かる。何かあればすぐに今剣が動くだろう。


「この先に、危険なモノが居るんだな?」

「……ナンニンモ、死ンデル」

「知ってる。私たちはそれを確かめに行く」

「…アイツ、オカシクナッタ」


ポツリポツリと話し始める袖引きの言葉から藤乃は小さく目を細めた。"アイツ"という言葉が出るということはこの先に居る"ソレ"と何らかの関係が袖引き(コイツ)は関係があるという事。後ろで威圧している岩融と今剣にも負けず、懸命に話そうとしてくれている彼の言葉を投げやりに返す訳にはいかない。


「マエ、モットヤサシカッタ。イッショニイタズラシテタ」

「急に可笑しくなったんだな?いつからだ」

「…イッカゲツマエグライカラ」

「そんなにまえからですか?」

「ヒトヲコロスヨウニナッタノハ、ココサイキン」

「成程な。通りで騒ぎが少ないわけだ」


どうやら袖引きと"ソレ"は仲が良かったようだ。最初は悪戯をする程度の妖怪、それが急に可笑しくなり此処最近は人に手を掛けるまでに変貌したらしい。やはり薬研の情報に間違いはない。まさに怪異。人間にとってみれば、単のお化け話か殺人事件の類で処理されるだろうが、我々にとってみれば立派な仕事内容である。


「ソノウチ、モトニモドルダロウカラ…アイツヲホウッテオイテ」

「ほんとうにもとにもどるんですか?」

「…ワカラナイ。ケドホウッテオイテ。…オネガイ、コロサナイデ」


殺さないで。その一言でようやくこの袖引きが私たちの事を止めている理由が分かった。否、きっと彼はソレを殺さないでほしいという事と、これ以上私たち…つまりソレの手に掛かって誰も死んで欲しくないのだ。コイツは、それぐらい心優しい妖怪だ。その意図を知って思わず藤乃は小さく微笑んで彼を見つめる。


「袖引き、私たちはお前の言うようにソイツが元に戻るとは思えない。お前も本当は分かっているんだろ」

「………」

「この先に居るのはお前の大事な友と言う事は分かった。だが、私たちは怪異に目を瞑る事が出来ない。分かるな?」

「…アイツハ、ワルイヤツジャナイ」

「分かってる」

「アンタラハアイツをコロスンダロウ?」

「それはソイツ次第だ」


そして袖引きは私たちの事も知っている。その仕事内容も。だから、こんなにも必死なんだ。ずっと一緒に居た妖怪…人間で言う友とでもいうのだろうか。そんな存在を失いたくないのだ。そんな袖引きからしてみれば私たちなんて、友を消そうとしている連中にしか見えないのだろう。…実際、間違ってはいない。でも、


「勘違いするな。祓い屋と聞いてすぐに妖や悪霊の類を殺す、滅するヤツと思う輩が多いが我らは違うぞ」

「ぼくたちはきちんとみきわめる"はらいや"、です!」

「?…ミキワメル?」


依然として私の袖から手を離そうとしない袖引きに、岩融が静かに言い放った。それに続いて私の背から身を乗り出した今剣が高らかに言う。先ほどまで物凄い威圧感を放っていたとは思えないほどの2人の代わり様に袖引きは少し驚いていたようだった。


「滅すべきものか、そうでないか、をだ」


全てを祓う訳では無い。本当にソレは滅していいものなのかどうかは実際に目で見て、対話し、判断する。滅する前に、出来る限りのことをしよう。前回のお化け列車とは訳が違う。そう、こう言った理由を踏まえているなら滅するのは最終手段だ。それが私たち祓い屋だ。


「離して、くれるな?」


そっと半透明の袖引きの手に自分の手を添えて、まるで子供を宥めるように優しく言うと、ゆっくり…そしてスッと自分の袖を掴む感覚が無くなる。暗くて良く見えなかった袖引きの顔が此方を見上げ、ほんの少し表情が和らいだように見えた。





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