カンカンカンカン…タタン、タタン、タタン、タタン…。


藤乃達がゆっくりと車内に足を踏み入れるや否や、その頃合いを見計らったように後ろのプシュウとまた空気の抜けたような音を立てて扉が閉まる。そしてそのまま発車の鐘を響かせ、車体が静かに動き始める。揺れる車内に合わせ、乗り込んだ3人の体も揺れた。


「ほぅ…これはまた面妖な」


静まり返る車内。見回して第一に声を上げたのは岩融だった。彼の言う通り、車内は普通の電車とは全くの別物であった。まぁそれなりに内装は普通の電車と大きく変わっている訳ではないが、そこに居る"モノ"に問題があった。人の形をした黒い影のようなモノが居たのだ。
黒い影は車内のつり革に掴まりながら立って居るモノも居れば、あちらこちらにちらほらと座席に座っているモノも居た。嫌に鼻につくこの感覚…直感で分かる。これらはこの世のモノではなくなってしまったモノ達の怨念だ。この場に残された、否しがみ付いている"気"だけが影となっているのだろう。


「…普通なら"お化け電車"は狐狸の仕業と言われるが…どうもこれは違うみたいだな」


同業者の間で話に上がるお化け電車は狐狸の類のせいだとされる。実際その場合(ケース)が多い。電車はつい最近現代社会に文明開化と共に現れた代物である。そんな代物が付喪神になるほどに年月が経って居る訳でも、況してや意識のないモノ自体が怨霊と化すなど無理に等しいからだ。
山を荒らされた、などの理由で狐狸が人を騙し人を山から追い出そうとする際にこういう手を使ったりするようだが、明らかに今日のこれは違う。そんな生易しいものじゃない。もっとこうドロドロと体に纏わりつくようなとても嫌な感覚と共に感じるのは、電車でも黒い影でもない別の存在。


「うぅ…。ぼく、このにおいきらいです」

「嗚呼…なんとまぁ…血生臭い電車よのぉ」


恐らく、この地で人身事故やらで亡くなった連中の放つ瘴気と邪気が混ざってこのような澱んだ空気を生み出してしまっているのだろう。そして、この辺りを走っていた電車の絡んだ事故で死んだ者以外の禍々しいものまでこの電車は恐らく引き寄せてしまっている。
顔を顰めて思わず鼻を手で覆うような仕草をする今剣に、電車の奥を見据えたままニヤリと笑う岩融。2人も気づいて居る。この邪気にも似た空気を発しているその存在がいることを。


「おや、おや、おや。珍しい乗客だ」


ガラガラガラ…。客室の奥、恐らく運転室があるであろう方向にある扉が開き奥から何か異様なモノが姿を現した。一見、人のように見えるが違う。電車会社の制服を纏った人型の"何か"。深く被った帽子の下で黄色く光る2つの光が恐らくヤツの目であろう事が分かる。


「ああん?貴様、何者ぞ」

「おお、怖い怖い。アッシはただの案内人ですよォ」


禍々しい空気を纏うそのモノはまるで人の形をした黒い塊。周りに居る人型の影とは違い、ヤツは存在がハッキリしているように感じる。のっぺりとしたその顔に凹凸は無く、岩融の問いかけに光る眼が微かに細められ、ケタケタと黒い顔に浮かんだ口が弧を描き笑う。


「この世の人達をあの世に導く、ね」


ゾワリ。背中を気味の悪い感覚が一気に駆け昇って行く。恐らく普通の人間ならコイツの瘴気で良くて気を失い、悪くてそのまま死に絶えるだろう。そこで藤乃は大凡の予想がついた。…嗚呼、これは死魔の類か、と。
なれば理由は明白。人間の怨念によってその存在を大きくし、噂の力で此処まで形を成した。性質の悪い悪霊の類。自分に関わった者が死ぬのが面白くて仕方なかったのだろう。人が死ねば死ぬほど、己の存在を大きくしたのだ。
恐らく今私は凄い顔をしているだろう。腹の底から湧き起り始めた怒りに小さく拳を作りながらキィッとヤツを睨みつけるがヤツはそれをも面白いという様にケタケタと笑った。


「もう一度問う、何者だ」


脳内でペラペラと紙を捲る音が響く。ある程度の知識が脳内に本となって蓄積されている。死魔であるならば何か弱点があるか…否、この類だと一説の知識とは違うかもしれない。使える札はどれだ、呪符は?刀は?何ならコイツを祓えるのか…静かに発したヤツの正体を問う一言の内に一気に脳を精一杯働かせる。


「名乗るほどの者じゃないさ。まぁ…強いて言うなら"車掌"とでも?」


深く被った帽子のツバを黒い指先で撫でながら言う黒い塊は、明らかに此方を馬鹿にしている。まぁ、普通のこう言った悪霊や妖の類は自身の弱点を知られるのを恐れ、そう簡単に自身の正体を教える訳がないが…これはどうにもこうにも頭に来る。ムッと表情を更に曇らせる藤乃を余所に岩融と今剣はその堂々と言い放った黒い塊に向かって鼻で笑っていた。


「ハッハッハ!相当自分に酔っていると見える!我らを誰と思っての発言か?!」

「ぼくといわとおしにくらべれば、ぜんぜんこもののくせに…。フフ、わらっちゃいますね」

「何、だと…?!」


高らかに口を開き笑う岩融に、口元を押さえて笑う今剣。そんな2人の態度に黒い塊の態度が一変。少々不機嫌になったように黒い表情に浮かぶ2つの光が笑った時とは違う形で細くなる。このままヤツの調子に乗せられればそれこそ終わりだが、そう簡単に行く藤乃たちでは無い。


「貴様、車掌と言ったか?嗚呼、もはや名などどうでもいい。貴様は些か度が過ぎたみたいだな…否…"かなり"度が過ぎた、の間違いか」


車内に佇む黒い影の数を眺めながら藤乃が微かに笑う。幾らなんでも人殺しが許される訳がない。きっと今此処にいる影の他にも今までにあの世に連れて行かれた者たちが大勢いるのだろう。そう思えば、これは目を瞑って置ける案件では無い。かなりの悪行だ。


「…黙れ。黙れ黙れ黙れ黙れぇ…!!アンタ等に何が出来る?!え?此処はアッシの領域(テリトリー)!途中下車は許されない、あの世まで直行でさァ!」


余裕綽々の藤乃たちの態度と言葉に黒い塊が頭を抱えながら発狂するように声を発する。まるで壊れた人形のように動きもガクガクと明らかに人間には出来ない動きで体を揺らす。…気味が悪いにも程があるだろう。
そして何より、車内に居た人の形をした黒い影たちが溶けるように姿を消し、代わりに更なる禍々しい雰囲気と共に電車の奥や閉まりっきりだったはずの窓から完全な人の形にもなれない黒い塊が幾つも幾つも溢れては集まってきている。


「サア、アッシ等と一緒にあの世へ行きやしょうよ。へへへ…へハ、ハハハハハハ!!」


ヤツの分身、と言ったところか。悪霊にも妖にも成れない不完全な黒い澱んだ塊は人になろうとしたのか2本の足を作り上げ、此方に歩み寄りながらこれまた不完全な腕のようなモノを伸ばしてくる。嗚呼、本当に気味が悪い。


「他者(私たち)の気も感じられぬほど酔ってんのか、馬鹿め」

「どうする、藤乃。我らは準備万端ぞ」

「…ハー…ま、仕方がない、か…」


徐々に集まってくる黒い塊たちは恐らく車掌と名乗ったその存在に操られているのだろう。動きが遅いとは言え、囲まれ始めているこの状況を突破するには手段は限られている。そして自然と背中合わせに成り始める藤乃と岩融、今剣の3人。ニヤリとこの状況でも笑みを絶やさない岩融の言葉に致し方ないと両の手を翳し一呼吸置く。


「"岩融"、"今剣"。これより戦闘を―…許可する」


その言葉と共にブワッと藤乃を包み込むように湧き起る風。そして頃合いを見計らい、藤乃が翳していた両手の内の片手を勢いよく真横に切るとその風は傍に居た岩融と今剣をも巻き込み、結果3人を包み込むような形になった。


「オォウ!そう来なくてはなァ!!!」

「わーい!ひさびさにおおあばれですー!」


嬉しそうな声が響く。巻き起こる風に何が起きているのか分からず車掌と名乗った黒い塊の顔が曇り、周りにいた黒い塊たちも少し怯えた様子でその風に3人に近づけずに居た。そしてそう時間を開ける事無く、パチパチと風の中に微かな閃光を見た―、刹那。

ヒュン、ザシュッ。


「な、な、ななななななな?!」

「がはははははは!!今更我らとの差に気づいても遅いぞ!!」

「ふふふー。おそいですよっと」


天にも轟きそうな声を上げながら風を裂くようにして振り下ろされた大きな薙刀は、傍に居た黒い澱んだ塊たちをも巻き込んで切り裂いた。3人を包んでいた風が消え、中から現れた3人に車掌は目を大きく見開いて口をパクパクしている。それもそうだろう。
風の奥から現れた岩融は大きな薙刀を携え、纏う衣も先ほどとは打って変わりまるで僧侶のような僧兵のような出で立ちである。そしてヒョイヒョイと飛び回り次々と黒い澱みを切って行く今剣は手には短刀、出で立ちはまるで山伏のような衣装に真っ赤な一本下駄である。先ほどまでの雰囲気とは全く別物だ。


「ちょっ!岩融!!今剣!!はしゃぎすぎるなよ!」


唯一身形を変えていないと言えば藤乃ぐらいだろうか。しかしよく見れば彼女の手の甲にはそれぞれ何やら紋のようなモノが視えた…が、それぐらいだ。慌てたような声を上げる藤乃を余所に、2人は遠慮なしに黒い塊を切って行く。
次々と切り裂かれた黒い塊が小さくオオオオオ…と声にもならないような音を発して消えて行くのを車掌は2つの瞳を揺るがせながら見ていた。


「ァアンタ等一体…?!」

「ん?あー…ぼくらはただの"はらいや"ですよ」


ニッコリと笑って応える今剣。フと微かに彼の背中に黒い羽が視えた気がしたがそれも一瞬で、カランカランと下駄の音が鳴る度に黒い塊が見事に切り裂かれていく。誰を相手にしているか、ヤツも理解できただろうか。と思った矢先、ふと藤乃の上に影が出来る。視線を上にやればそこには黒い澱んだ塊がそのドロドロとした体を広げ、今にも藤乃に襲い掛かろうとしていた。


「へぇ?私なら殺せるだろうって?ハハ、まァ頭使ったなァ?」


岩融と今剣が他の塊を狙って自分から離れて行ったところを狙って来たのだろう。どうだとばかりに車内の奥でこちらの様子を伺っている車掌が微かに見えた。しかし藤乃自身、慌てる様子も逃げる様子も無い。


「舐めるな」


瞬間、ピッと黒い塊に一閃が走ると塊は真っ二つに裂け静かに消えて行った。消えゆく黒い塊の向こうで無傷のまま立つ藤乃の手にはいつの間に…どこから取り出したのか1つの刀が握られていた。そんな馬鹿な…とばかりに呆然と立ち尽くす車掌。
徐々に車内に溢れていた黒い塊も藤乃たち3人の手によってあっという間に滅され、消えて行く。既に車内に残る悪霊は車掌のみになっていた。


「嗚呼…嗚呼、同志よ!!…ひっ?!」


黒い塊が居なくなって随分と閑散とした車内の中、車掌が哀しそうに床に膝を着きながら声を零すとすかさず岩融が構えていた薙刀の刃を車掌の真横に突き立てる。怯えた様子の車掌に岩融がグッと顔を近づけて、笑う。


「ハハ、どうだ?此処は地獄よりも恐ろしかろう?」

「あのよあのよと…ほんとうのじごくをしらないあなたがじごくをかたるなど、かるがるしいにもほどがありますよ?」


車掌は何も言い返せなくなった。ようやく感じたのだ。自分と彼らの纏っている瘴気の差を。そして何より…"見えた"のだ。金色の目をギラつかせて笑う岩融の深く被った布の奥から覗く1本の角。クスクスと口元を押さえながら笑う今剣の光る紅い目と背に生えた黒い翼。
唯の人の子では無いと思っていたが、似たような類の者…いやそれ以上のものであったか。と今更ながらに車掌は自分が敵に回した相手の正体を悟った。幾ら生まれたての悪霊とは言え、その瘴気の差に相手がどれだけの相手か察せない訳では無い。どうして此処まで気づかなかったのかのかが疑問なぐらいだ。


「さてさてさて。調子に乗りすぎたな、名も無き悪霊さんよ」

「ひいっ」


それを従えている様子の藤乃の顔を見るや否や、車掌は一目散に後退した。それほどの存在を従えているこの女子もどうせただの人の子では無い。一瞬の内にそう悟ったからだろう。慌てて逃げようと車内の奥の扉に手を掛け開けようとする。が、開かない。


「おいおい、途中下車は出来ないと言ったのはお前だろう?」

「何?まだ逃げようとしておるのか。こやつは」

「おうじょうぎわがわるいですね」


必死に開けようとしている此方を見て笑みを零す藤乃たちの声を後ろに聞きながら車掌はふと視線を横に移す。見ればいつの間にか扉に見覚えのない札が貼られている。見覚えはないが、体全体が拒否反応を示しているその札も恐らく自身を傷つけるものだろうと悟り、バッと3人の方へと振り返る。


「な、なんなんだよ…」

「んん?」

「何なんだよ!!アンタ等はァ!!」


すっかり怯えきった車掌の声が悲痛な叫びに変わる。目の前でこちらを見下ろしている3人の存在自体が…どうしてそんな大きな存在が此処に現れたのか分からず混乱しきっているようでガクガクと体が震えている。散々人をあの世に送ってきた悪霊の末路がこれとは笑わせる。


「今剣が言っただろ?唯の"祓い屋"だ、と」


ガクガクと震え此方を見る車掌を名乗った黒い塊に向けそう言い捨てるや否な、藤乃は手に持っていた刀の刃を軽く一撫でするとそのまま車掌の黒い帽子ごとヤツの頭に突き立てた。





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