※独歩視点




「このまま消えた方がいっそ楽なんじゃないかって」


そうやって力なく笑った彼女は、今にも消えてしまいそうで。何もかも投げ出して、どこか遠くに行ってしまいそうなそんな儚さ。ふわりと揺れたカーテンが、ふとあの日を思い出す。


「何も残ってないわけないだろ」


彼女の言葉に反応してとっさに口から飛び出した自分の言葉。思いの外投げつけるようなその言葉に「え、」と彼女が驚いたような表情でこちらを見る。


「俺、お前が一二三と交代で料理用意してくれることが嬉しくて。今日は居るかなって、会えるかなーって仕事で疲れ切っていても心のどっかで楽しみにしてる自分が居てさ」


連勤の果て、電車に揺られながら脳裏を過ぎる。自分の家で夕飯を用意して出迎えてくれる彼の―…彼女の姿。休みの日は一二三と一緒に真剣な表情でテレビゲームしてる姿。2人してキッチンに立って楽しそうに料理してる姿。「おやすみなさい」と零しながら家を出ていく姿。色んな彼女の表情を見るたびに心に自棄に焼き付いて、離れなくて。


「でも俺、お前のこと何も知らなくて、一二三に鍵だけ残して居なくなったって聞いたときはどうしたら良いか分からなくなって、でも探したくて、居なくなって欲しくなくて」


バイトをしてるっていうのは聞いていた。でも結局聞いていただけだった。どこでバイトしてるのかも、そもそもどこに住んでいるのかも分からなかった。聞く事さえしなかった。踏み込みもしなかった。結局俺は、俺たちは彼女のことを何も知らないんだと酷く痛感したんだ。
それでも心の底から探さなきゃ、って気持ちはあって。でも探して、見つけたとして俺に何ができるだろうか。自ら離れていった相手を引き留める理由も言葉も俺には無いような気がして、一二三みたいにすぐに行動できなかったのは事実だ。それでも、それでも、偶然だとしても彼女を見つけて、助けなきゃって思って、死んでほしくなくて。


「私なんて、貴方が思うほど良い人間じゃないですよ」

「いや、お前は俺よりも全然良いヤツだよ」


今までずっと騙されていた。助けたのに、記憶を消された。傍から見れば酷い話かもしれない。だけど彼女は泣いていた。彼女のリリックを受けて遠のく意識の中で、彼女は泣いていた。彼女が泣くところなんて見たことなかった。何度も謝っていた。何度もごめんなさいって…はは、いつもの俺みたいだ。


「皆に酷いこともいっぱいしてきたのに」

「そういう気持ちがあるなら、謝ればいい」

「今更どんな顔して謝ればいいのかわかりません」

「なら俺が一緒に謝ってやる」

「え、」


酷いことなんて何もしていないのに。違法マイク狩りも結局は違法者だけを狙ったものだったし、記憶だって消したとはいえ無事に思い出したし、人体に影響は無かったようだし。彼女は胸に抱えた罪悪感で今にも自分自身を押し潰してしまいそうで。彼女の過去も正体も知った今、自分に何ができるのか分からなくて。何をしてやれるのか分からなくて。どうしたら彼女を救ってやれるか、なんて…俺なんかにはおこがましいことなのだろうけど。


「自分で言うのもあれだが、俺は謝罪のプロだぞ」


彼女が1人で罪悪感で押し潰されそうだというのならどんなところにでも赴いて、どんな人にも一緒に頭を下げてやる。何度だって、許して貰うことで彼女が救われるのなら許して貰うまで何度だって力を貸してやる。現役サラリーマンをなめるんじゃねぇ、なんて。吐き出した言葉に対し、彼女は一瞬だけキョトンとした表情でこちらを見て次の瞬間には小さく噴き出して笑っていた。そんな彼女の笑顔につられて俺も小さく笑った。


「もう、弟くんにならなくていい。お前のまま…XXXのままでいい。好きに生きてくれ」

「私のまま…好きに生きる…」


今までが偽りの自分だったとしても、これからを変えていけばいい。無理に誰かのフリをして生きなくていい。誰かになろうとしなくていい。きっと俺たちの前で料理を振るってくれたりして色々接してくれていたのは彼女自身なのだから。彼女は弟くん…コウスケじゃない。コウスケの姉なのだ。先生から教えて貰った彼女の本名をそっと呼んでみる。少しだけ違和感があったけど、気になんてならない。


「消えたいなんて、何も残ってないなんて言わないでくれ。頼む」


どうか生きてくれ、消えようなんて思わないでくれと、静かに思いを込める。ベッドの上に置かれた彼女の小さな両手を包み込むように自分の手でそっと握りしめながら見つめる。


「あ、」


ポタリ、ポタリと綺麗な翡翠色の瞳から溢れ出るそれが、彼女の仄かにピンクに染まった頬を伝って落ちる。薄く開いた窓のカーテンの隙間から差し込む午後。ふわりと外から流れ込んできた風がカーテンと彼女の黒い髪を軽く弄んでいく。


「貴方に出会えて、よかった」


また1つ、2つ、と小さな涙を零しながらふわりと笑った彼女の顔が酷く綺麗で。空気に溶けてしまいそうなほど小さなその言葉の音に俺まで幸せになってしまって。
あの日、病室の窓から外をぼんやりと眺めている長い黒髪の少女の姿がチラリと脳裏を過ぎる。吹き込む風がその綺麗な黒髪を弄び、チラリとその透き通るほど白い顔がカーテンの隙間から見えてそして――…小さく微笑んだ顔が重なった。


Epilogue End...






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