「神宮寺、寂雷…だと…?!」

「何故此処に…」

「おい!セキュリティーはどうなってやがる?!!」


ざわつく辺りに微動だにしない大きな背中。大勢の人たちの前でも凛と立つその姿は例え白衣の背中であっても間違いなく先生だ。そして、私の体に腕を回してくれている優しい手も間違いなく最後までずっと脳裏に過ぎっていたあの人のもの。


「大丈夫か?…って大丈夫な訳ないか」

「どっ、ぽさん…」


掠れた声でその人の名を呼べば、いつもの困ったような優しい笑顔を向けてくる。嗚呼、夢じゃないのだ。此処にいるのは間違いなく、あの観音坂独歩なのだ。回された腕に自然と頼ってしまって、ゆっくりと地面へ座らされる。足に上手く力が入らない。呼吸するだけでもかなり苦しい。


「何とか間に合ったみたいですね」

「せん、せ…」

「コウスケくん!無事かい?!」

「ひ、ふみさん…まで…」


傍らに寄り添い背中をやさしく撫でてくれる独歩さんと座り込む私を振り返りながら、先生がほほ笑む。そのあとを追うようにして「2人とも速いな」なんて零しながらジャケットに付いた埃を払いながら一二三さんが駆け寄ってくる。マイクを片手に持っているのを見るに警備の人たちを片付けながら此処まで来たのだろう。


「なん、で…」

「なんでって…」


積りに積もった疑問の声を出す。だって、私は貴方たちに酷いことをした。これ以上巻き込まないようにと突き放したのにどうして彼らが此処にいるのか理解できなかった。


「申し訳ない。君との約束を破ってしまいました」


困り顔で先生が小さく笑った。言葉は謝罪しているものの、それほど悪いとは思っていないであろう言い方だった。約束…先生と交わした、約束。思い当たるのは1つしかない。


「全部、先生から話は聞かせてもらったよ」


静かに一二三さんが応える。私の過去も正体も全て、話したということか。いずれ話すであろうとは思っていたが、まさかこのタイミングか。否、このタイミングだったからか。と妙に納得する自分がいる傍ら、納得していない自分も居る。
大体、その話を聞いたのなら私がずっと彼らを騙していたという事実を知ったであろうし、周りの人たちを傷つけて生きてきたことも知った筈だ。なのに何故、此処に来たのだろう。どうして、私なんかを放っておいてくれなかったのだろう。疑問は消えない。


「で、も…、わた、記憶…」

「あー…確かに記憶消されたのは辛らかった…。正直、まだ曖昧な部分もある」


確かに私は彼の記憶を消したのだ。私のことについて。出会った時の事も、家にお邪魔して夕飯を作ったことも、一二三さんとゲームしたことも全部。全部このマイクで…と、不意に自身の手中に何もない事を思い出す。今まで忘れていたマイクの存在を思い出し、視線を移せば、それほど離れていないところの床に転がったマイクが見えた。マイクヘッドの部分が歪み、本体と離れかけている。いくつかの部品と配線が限界だとばかりにパチパチと小さく火花を散らしているのが見えた。


「何も言わなくていい。もう、大丈夫だから」


マイクが壊れれば、能力も効果を失うのかは分からない。けど、よく頑張ったなと独歩さんに優しく頭を撫でられる。その一言で私は疑問を投げかけるのをすべて放棄した。何を言ってもこの人たちは私を救おうとしているのだと、嫌でも理解した。此処まで一人で頑張ってきた私自身から、やっと解放された気がした。手放しても良いのだと、今頃になってそう思えた。否、自分の力は此処までなのだとようやく理解したからそう思えたのかもしれない。


「麻天狼…」

「貴方が、玖藕女 麗久(くぐめ うらく)さんですね」


少し距離を開けて立っている玖藕女に向き直った先生がいつものように落ち着いた口調で問いかければ、彼女はあからさまに嫌そうな表情を浮かべた。


「なにか用?」

「外道と聞いていましたが、まさか中王区からも隠れて実験を続けていようとは…」

「私の大事な研究施設を吹っ飛ばした馬鹿が居たから仕方なく、だけどね」

「そこで研究は打ち切りになったはずでは?」

「止められるわけないじゃない。こんなに楽しいこと」


突き放すような言い方だった。自分がしていることは間違ってなどいない。当たり前の事をしているのだ、というような口ぶりだった。中王区の中でも上手く隠れられていた施設がなくなり、新たに壁の外にわざわざ施設を構えるぐらいだ。上にバレたくないことを続けていることは理解しているはずなのに、自分は悪いことをしているわけじゃないと最早開き直っているようにしか思えないようなその態度。相変わらずだ。反吐が出る。


「で?貴方たちには何も関係ないでしょう?私はただ研究施設を吹っ飛ばしたその子を始末したいだけ。そこを退きなさい。これは命令よ」

「おや、その命令を大人しく聞く理由が我々にあるとお思いで?」


静かにマイクを構えた先生と、私を庇うように前に出た独歩さんと一二三さん。その目は真っ直ぐに玖藕女という存在に向けられていて、周りにも緊張感が走る。しかし麻天狼の視線を集めている当の本人である玖藕女はこれといって驚いた素振りも、慌てる様子もない。妙に冷静で、怖いぐらいだ。


「あー怖い怖い。…貴方たちこそ、この状況を理解しているの?」


パチンと指が鳴らされる。それを合図にどこにいたのか先ほどから控えていた研究員や帳兄弟とは別に更に施設の奥からゾロゾロと大勢の人たちが出てくる。男性女性が入り乱れ、施設内が溢れるのではないかと思えるほどに。


「うわ…」

「ざっと100人ぐらい…って所かな」

「懲りないですね、貴方たちも」


はあ、と先生が横目で帳兄弟を眺めながら小さく吐息する。前にも似たような事があったのだろうか。独歩さんも一二三さんも少しばかり顔がダルそうだ。


「へへへ、前の俺たちとは違うぜ?なんせ、俺たちのヒプノシスマイクは最新版…つまり改正ヒプノシスマイクだ」

「改正ヒプノシスマイク?」

「改良に改良を重ねて作られたヒプノシスマイク。試作品とはいえ、威力は抜群。君たちの昔ながらのヒプノシスマイクとは質も威力もケタ違い」


コツコツコツ、と数歩だけ距離を詰めてきた玖藕女が自慢げに軽く説明する。そして徐に地面に膝をついたまま呆けている私に視線を投げてニヤリと笑った。


「君なら理解しているだろう?御厨。基は君が作ったデータから出来たマイクなのだから」


忘れるわけがない。偶然とは言え出来てしまった…作ってしまったあのデータ。施設のデータを消したのに、記憶媒体に残したのが間違いだったと幾度も後悔したあの産物。忘れられるわけがない。やはり研究を続けているのなら何かしらに使われているとは思っていたが、まさかここで基を作り上げた自分にこんな形で返ってくるなんて。良いように利用されていたあの日々に、何も言い返すことも出来ず下唇を噛み締める。


「ふ、我々は時代遅れ…とでも言いたそうですね」

「実際そうだけど?」

「言ってくれるね…」

「でも実際この人数全員がその改正版を持っているとなると…」


苦笑の表情を浮かべながら一二三さんがマイクを構え直す。帳兄弟だけならまだしもざっと100人近くが改正ヒプノシスマイクを持っているとなるとその威力は未知数だ。そもそも私はデータを作っただけで、実際に実験も試作品も作ったことはない。使用者への負担も、使った相手へのダメージも全て画面上におおよその予想で算出された数値でしか見たことはない。それでも、かなりの威力だというのは間違いない。ゴクリと独歩さんの喉が鳴る。嗚呼、こんな時には"あれ"があれば―…。


「なぁに、ビビってんだぁ?麻天狼ともあろうもんが。あぁ?」


ダン、と乱暴に開かれる扉。響く怒声。聞き覚えのあるその声にそちらに反射的に振り返る。綺麗な白銀の髪と射貫くような真っ赤な瞳が視界に飛び込んできた。間違えるわけもない。彼は、


「おやおや…麻天狼に続き、MAD TRIGGER CREWの方々までお目見えとは…」


苦笑した帳残閻の言葉通り、現れたのはほかの誰でもない。碧棺左馬刻。ギラギラとした瞳で帳兄弟や玖藕女を睨み付けているその表情はいつにも増して威圧的だ。


「おい銃兎ォ…どういうことだ?先生に先越されてんぞ」

「あぁ?!全部こっちに丸投げしておいて何なんだその言い草!!だったらテメエで―!!!」

「ム。2人とも、争っている場合ではないのではないか?」


そんな左馬刻さんの傍らを付き添うようにして空間に足を踏み入れてくる銃兎さんと毒島さんの姿も見え、思わず周りの連中同様にこちらまでもが呆けてしまう。


「あーもう!一体全体どうなってんだぁ?!」

「情報駄々洩れじゃねえか!」

「ハッ、あんなお粗末なセキュリティーで何を言ってんだか。じきに応援も来る。テメエら全員まとめて豚箱行きだ!」

「ひっ!!」


帳兄弟を筆頭に辺りがざわつき始める。麻天狼のみならず、MAD TRIGGER CREWまでもが此処に辿りついたのだ。それなりの情報網と、手段がなければ見つけるのは到底無理だ。徐に情報通…と脳裏に過ぎったのはイケブクロの萬事屋を引っ張っている彼。まさか、なんて思いながらも脳裏に浮かんでしまった彼と彼の弟たちの姿に何故だか吐息してしまう自分がいた。
その傍ら、銃兎さんが眼鏡のブリッジを指先で上げながら叫べば周りにいた研究員たちや他の連中も思わず声を漏らす。本職が本職なだけにその言葉の威力は抜群だ。怯んだ周りをぐるりと見回しながら自分たちの元へと歩み出てくるMAD TRIGGER CREWの3人を誰も止めようとはしない。


「おー。生きてたか」

「…さ、ま」

「いい、喋んな。後で全部聞いてやっから」


ちらりとこちらに視線を移した左馬刻さんと目が合う。煙草を咥えたまま話すいつも通りの彼に思わず泣きそうになりながら口を開けば彼は私の言葉を遮って、ふうと一つ紫煙を吐いてそのままゆっくりと視線を前へと移して進んでいく。


「ふふ遅かったね、左馬刻くん」

「あ?待ち合わせなんてしてたか?」


小さく微笑んだ先生の横に並んだ左馬刻さんが煙草をコンクリートに投げ捨て、ぐりぐりと足先で火を消す。その後ろに控える銃兎さんに毒島さん。そして一二三さんに私の傍らにいた独歩さんがゆっくりと私に添えていた手を放して立ち上がる。皆が見つめる先に居るのは他でもない、玖藕女ただ一人。


「男どもが増えたところで私の目的は何も変わらない」


苛立った様子で表情を歪ませながらこちらを睨み返す玖藕女が、表情とは裏腹に冷ややかに静かに言い放つ。


「さっさとあの子を始末しなさい!!」


ビシッと伸ばされる腕。向けられた先には私。目的はいずれにせよ私だ。これ以上生かしておく理由がない。利益がない。寧ろ玖藕女にとって私は悪でしかないのだ。玖藕女の声を合図に控えていた周りの人たちが何かを吠えながら一斉に動き出す。まさに数の暴力。マイクの起動音があちこちから聞こえる。それだけでも怖いはずなのに、


「上等…!!」


私に背を向け立つ、目の前に居る人たちは怯むどころか自身のマイクを構えて一歩も退かない。完全にこの大勢を相手に戦闘態勢だ。その姿に思わず見惚れていれば不意に自分を呼ぶ声が聞こえて視線をすぐ傍にいる彼に移す。


「俺の後ろに居ろ」


バサリと靡く黒いジャケット。こちらを振り返ったわけでもなく、その表情こそ見えない。けれどその一言がとても重い。いつも以上に低い声色で、酷く真剣で、本当に信頼して良いのだと思うしかないぐらいに。彼の片手に握られたガラケーが静かに起動音を響かせた。

瞬間、全てが終わるのだ。そう思えた。

それなりに広い空間のあちこちで怒声や罵声、悲鳴に鳴き声。阿鼻叫喚とはまさにこのことか。改正ヒプノシスマイクにも怖気づくどころか果敢に挑んでいく6人のその卓越したリリックやフロウが聞こえる。所詮、どれだけ良い道具を持っていてもそれを使う者がワックではまるで話にならない。力の差をマジマジと見せつけられている気分だ。逃げまどい始める人たちもちらほらと見受けられる。

全てが、全てが壊されていく。私をずっと苦しめていたそれが目の前で次々と。彼らにとって利益などないのに、私なんか放っておいてくれても良い存在だったのに。私の前に立ちはだかっていたそれを彼らは何の戸惑いも疑問もなく薙ぎ払っていく。全部、全部、私の過去も壊して、消していく。その光景に言葉も出ない。ただ、沸き起こる感情を言葉にできないままそれを見つめていた。


「どいつもこいつも。本当、役に立たない…」


カツン。微かに耳を掠めたリリックともフロウとも違うただの音だった。でも自棄に耳に残って、地べたに座り込んだまま顔だけその音の方を振り返る。私を睨み付ける嫌悪に塗れた醜い瞳と目が合う。え、と声を零す前にその瞳が微かに笑った。瞬間、見えたそれに何もできなかった…。のに、


ダアアアン


残響。私の体は何かに突き飛ばされて、気づけば床に転がっていた。耳の奥を劈く音を脳裏に残しながら体を起こす。チッという舌打ちが聞こえて、次の瞬間飛び込んできた光景に息が止まる。


「は、」


辺りも静まり返っていた。ほんの数秒の出来事だったはずなのに、自棄に長くて重くて。自分の呼吸する音と脈打つ心臓が煩くて。さっきまで私が居た場所に転がるあの人の姿に、理解が追い付かなくて。あの子の姿と重なってしまって。


ッ!!!!独歩さん!!!!


まっすぐ私に向けられていたはずのそれは、その数秒という極僅かな間に別の何かを打ち抜いた。本来であれば私に襲い掛かるはずだった痛みも、私から溢れ出るはずだった紅いそれが、目の前で舞った。悪夢だった。





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