「君はもっと利口だと思っていたよ」


コンクリートの地面に冷たさも硬さも何も感じない。揺らぐ視界の先で、女が笑う。無謀だとは思っていた。でも、此処まで届かないものなのか。意気揚々と乗り込んで、敵を前に勢いよくマイクの電源を入れたところまでは覚えている。そこからはほぼ自棄だった。今まで練ってきた計画も、相手がこう出てきたらこのリリックで応戦して、とかすべてが水の泡だ。何も、何も考えられなかった。ただただ、こちらの言葉をぶつけていた、筈だったのに相手は無傷に等しい。
彼女の周りには幾人もの味方(恐らく中王区から引き連れてきた研究員)がいて帳兄弟が彼女を護衛するように配置されていた。私のリリックもフローも全部彼女に届く前に消されて、弾かれて、反撃され……ひどく、とても長い時間が過ぎていたように思えたけど実際は随分と短かったらしい。「口ほどにもねえ」って吐き捨てられた言葉を遠くに聞きながら、気づけば私は地面に伏していた。


「復讐に燃えるのは結構だが、展開があまりにもお粗末すぎるね。君の能力も実に中途半端だ」


コツコツコツ、と低めのヒールの音が近づく。相変わらず、刺さる言い方をしてくれる。いっそ意識が飛んでくれればそこで終いだったろうに、意識が飛んでいない自分はどうも諦めが悪いらしい。地面に伏したままでも手中に収まったままだった己のマイクを残った僅かな力で握りしめる。


「確かに君の能力のせいでこちらも色々と手こずったこともあった。試作品のキャンセラーも壊された。けど、結果はどう?復讐に燃える犯罪者である君の体はすでにボロボロ。自分の力に見合わぬマイクを使い、幾度となく無意味に酷使したことによって、君は自滅の道を辿ったに過ぎない」


そうだ。私が使っているのは正規のマイクではない。あの日、無意識に持ち出していたあの子が使っていたマイクを幾度となく改造して、有り合わせの部品で代用して、繋ぎ合わせてきたボロボロのマイクだ。正規品のマイクを使わないことは使用者の身体に多大な影響が出ることは十分承知していた。


「こうなることはわかっていただろうに」


ああ、その通り。言われなくても、知っていた。だって、そのマイクの研究をしていたのだから。知らないわけがない。使い始めて試験段階の影響なんて比べ物にならないぐらいのダメージが体に蓄積していくのを嫌でも感じた。十分な休息もままならないまま酷使し続けて、体が限界だった。ああ、全部分かっていた。分かった上での結末だった。


「だ、から…?」

「ん?」

「だから…復讐をやめ…、とでも説教、するつもり、か…?はは、笑わせ…な」


それでも使い続けなければ。だって、それ以外に私がこの女に対抗する手段がなかったから。武器が、なかったから。私にはこれしかなかった。あの子が褒めてくれたリリックを使って、色んな人たちのバトルスタイルを見て学んだそれを駆使してぶつけるしかなかった。感情をぶつけるしか、何もかも失った私には残ってなかったから。


「私、は、もう、どうで…いい、んだ」


アンタが世間に 御厨 XXX は死んだと公表したあの日から、とうに私は死んでいる。今、ここにいるのはアンタが犯罪者として今も逃げ延びていると中王区に報告した御厨 コウスケなのだ。なら、犯罪者は犯罪者らしく、あの日しくじった復讐を今日こそ遂げるだけ。
この憎き相手である玖藕女 麗久(くぐめ うらく)が描いた事実を捻じ曲げられた最悪のシナリオを、私は演じて生きてきた。なら、最後まで演じきらなければ筋が通らない。そして、そのシナリオの幕引きを決めるのは"私(役者)"だ。


「最後までよく吠えるようになったじゃない。あんなに大人しくて、なんでも言うことを聞いてくれて、褒めれば子犬みたいに尻尾振って喜んで可愛かったのに」

「なんとでも、言え。その可愛い子犬を、殺した…のはアンタだ」


思い返せば、施設にいる時間はまるでぬるま湯に浸っているような時間だった。熱を込めて真剣に仕事に打ち込むわけでもなく、自由もなく、ただただ画面と向き合うだけ。それでも生活も家族も保障されている。それでいい、と思っていた何となく生きているだけの時間。褒められれば嬉しかったし、成果を残せればそれで私は中途半端に満足して…いや、満足してるフリしてただけだったな。


「今、アンタの目の前にいるのは、死にかけの狂った獣さ」


握りしめたマイクを離さないようにゆっくりと体を持ち上げる。すでに壊れていて、電源ランプが微かに点いているぐらいの灯。いや、ほぼ使い物にならないだろう。それでも私は体を持ち上げる。これが本当に最後の力だ。死に際の動物ほど恐ろしいものはない。口の中に広がる鉄の味にまだ味覚は生きていたことを実感する。体の節々が悲鳴を上げている。呼吸するのも億劫なぐらい、体が重い。それでも起き上がるのは本当に諦めが悪いんだと思う。


「殺して。これ以上私たちの邪魔をさせないで」


ワントーンだけ低く、あの女が吐き捨てる。傍らに立っていた帳兄弟がマイクを構えてジリジリと近づいてくる。こんな時、一般人だったら命乞いでもするのだろうか。今更助けて、なんて言えるわけないのに。一体、誰に、助けを求めるというのだ。自分自身でそう思い乾いた笑いがこぼれた。
ああ、もう、全部、吹っ飛ばす。私も奴らも全部巻き込んでこの建物ごと。もはやそれしかない。手中でマイクをただ握りしめ、その最後のスイッチに指を添え笑った。死ぬのが、怖いわけ、ない。

帳兄弟が再びマイクを構えた。その光景を最後に目を伏せる。ああ、随分と遠回りしちゃったな。またご飯作ってあげたかったな。もっといろんなお話したかった。施設にいた時よりも、ずっと楽しかった。外に出てあんなに楽しかったのは…はは、今頃気づいてしまった。


「   」


嗚呼、どうしてだか此処まで来て震えが、止まらない。覚悟、してたはずだったのに。やっぱり出来てなかったじゃないか。いつだって中途半端で、ただ言い聞かせてただけ。本性を隠すために逃げてただけなのだ。いつまで経っても弟が大好きな弱虫なのは変えられなかった。
「これで終いだ」とか「くたばれ」と吐き捨てられた言葉が酷く遠くに聞こえる。帳兄弟から放たれた最後の渾身のラップが間を入れずに襲い掛かってくる。嗚呼、握力がなくなっていく。指先からマイクが床に零れ落ちる。ガツンとマイクが床に叩きつけられた音が響いた、瞬間―…。


ブワアと巻き起こる風を感じ、ぎゅっと瞑っていた両目を一気に見開く。


「本当に、"外道"ですね」


腹の底から響くような落ち着いた低音の声。フワリと風に乗って揺れる紫の長髪がとても綺麗で。大きな背中と風にはためく白衣から微かに鼻先を掠める薬品の匂いにどこか安堵する。なんであなたが此処に?と声が出るより先に自然と溢れた涙が頬を伝う。


「コウスケ」


その声と共に背後から体に回される優しい手。細くて綺麗でいつも一生懸命仕事をしているこの手を私は知っている。安堵とともに今にも崩れ落ちそうになる体を支えてくれるその手から視線を移せば、フワフワと赤い髪の毛先を揺らしながらいつものように優しい面持ちの綺麗な瞳とバッチリ目が合った。





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