※寂雷先生視点




彼女に初めて会ったのは…そう、酷く雨が降っていた夜でしたね。


丁度その日は夜間勤務で病院にいました。中王区で何やら爆発があったようだと小耳に挟みつつ、私は私自身の仕事をこなしていました。此処で騒いだところで何にもならず、況してや中王区となれば状況などすぐには分からないでしょうから。しかしそんな話を聞いたものだから少しだけ緊張感の漂い始めている職員たちを横目に通路を歩いていた時でした。
自身のスマホに着信。画面を開けばこれまた久しい名前が並んでおり、思わず驚いてしまいました。TDDを解散してから恐らく初めての会話、だったから。

電話に出てみれば画面の文字通り左馬刻くん本人で少し早口気味に久方ぶりの挨拶を交わした後、徐に「頼みたいことがある」と真剣な声色でいうモノだから思わずスマホを握る手に力が籠ってしまった。
ザックリとした説明ながらも電話口の左馬刻くんは真剣そのもので、その内容を聞いてすぐさま私はオペの手配と病室の手配をしました。幸い、急患もなく人手もあった時間帯だったので難なく手配は出来ましたし、彼が到着する頃にはすべての準備も整え終えていた。

救急の出入り口に現れた彼の腕に抱きかかえられたその存在を準備していた看護師や看護婦たちが受け取り急いでストレッチャーへと運ぶ。脈拍の確認、呼吸、負傷ヶ所など瞬時に確認が取られ数値化されていく。


「先生、後は…頼むわ」


彼の衣服にも滲む紅い染み。それが彼のものだとは思わなかった。平然とした相変わらずの表情でストレッチャーに乗せられ運ばれていく彼女を見送りながら、彼はそう言って踵を返し歩き出していく。雨が止むまで君も休んでいけば良いのに、と声をかけたが彼は振り返ることなく「落ち着いたら連絡くれ」とだけ言い残して去って行ってしまった。彼らしいと言えば彼らしいのだが。久々に会って積もる話も出来ただろうに、どうしてこう、溝は埋まらないものなのか。小さく吐息しながら、気持ちを切り替えて私も彼女が運ばれていったオペ室へと向かいました。

そう、この時、左馬刻くんが運び込んできた彼女こそコウスケくん。いえ、本名は"御厨 XXXくん"でした。

左掌に刺さったガラスからの出血や所々に受けていた負傷ヶ所も酷かったですが、何よりロクに睡眠も食事も摂っていなかったのでしょう。雨の中運ばれてきたというのも相まってかなり衰弱していました。
それでも何とかオペを終え、安定するまでと彼女を匿うように一般の病棟とは少し離れた病室の一室で目覚めるまで数人の看護士や看護婦の方々にも手伝って頂きました。私も毎日容態を確認しながら彼女の経過を見守りました。

目覚めた彼女は酷く憔悴していた。

それでも怒鳴り散らしたり、フラフラとで歩いてしまったりと情緒不安定な事もなく、ただただ穏やかに窓の外ばかりをみて一日を過ごしていました。穏やかすぎて生きる気力さえ失っているような、そんな子だと私は思っていました。
食事も摂れるぐらいになり、彼女も自然と会話ができるぐらいに回復していたこともあり彼女の境遇を聞きました。すべてを聞き出すのは無理だろうと思っていた。なのに、彼女は包み隠さず、私にすべてを話してくれた。彼女の素性も、家族の事も、今まで何をして生きてきたのかも、どうしてこうなってしまったのか…も。彼女の人生、すべてを。

そして理解した。彼女が「もう私は生きてる意味が無いんです」と笑顔で呟いた理由を。

それでも私はカウンセリングの一つとして彼女と対峙して来た。何か生きるきっかけを与えたくて。何か1つでも良い。どんなに小さなことでもいい、と。それを願いながら彼女と接し続けて数か月。ある日突然、彼女は病室から居なくなっていた。
協力を要請していた看護婦や看護士たちはパニック。勿論、私も焦った。自ら出て行ってしまったのか、はたまた中王区絡みで連れ去られたのか。いずれにせよ、彼女の身に何かあったのは確かだ。不安と緊張の中の数日間、時折外へと出てみては探してみたり身辺に協力の要請をしてみたが見つからず半ば院内でもどこか一目の付かないところで独りで…と諦めムードが出始めた頃だった。
いつものように患者を診察し終え、休憩に入ろうとした頃スマホが着信を知らせる。ロクに画面も見ずに通話ボタンを押せば左馬刻くんからの電話で、思わず固まってしまった。

連絡を受け、左馬刻くんの元に駆けつけた時、すでに―…彼女は彼女ではなかった。

長くて綺麗だった髪を肩上までバッサリと切り、身形もどちらかと言うと男性よりの物を着た太めの黒ぶち眼鏡の青年がそこに居ました。こちらを振り返り、ニコリと笑ったその顔は彼女のままなのに「先生」と読んだその声は青年の声で。嗚呼、彼女はその道を選んでしまったのか、と直感しましたね。案の定、左馬刻くんにも素性を含め全てを話した上で今後の事を私と左馬刻くんに打ち明けてくれて…私たちにこのことは秘密にしておいて欲しいと彼女は頭を下げました。

死んだ弟として―…男として生きる。

本当は止めたかった。彼女の本当の目的が復讐であることは言わなくても分かっていた。それでも彼女の覚悟は堅く、きっと私たちが否定しても無駄だったでしょう。秘密にしておく代わりに無茶はしない。復讐なんて考えないこと、と念を押してもそれも無駄だと分かっていながら。だから、せめて、何かのきっかけで彼女が復讐なんて考えずに普通の…彼女自身として生きられる時が来ることを信じて見守ることにしたんです。
ヒプノシスマイクを使うことになるかもしれない。が、それは本当に打つ手がない時の最終手段だと、思っていたのですが。



―――…



「―…まさか彼女の方が上手(うわて)でしたね」


はぁと思わず吐息が零れてしまう。男装で上手く街に溶け込み、人に近寄り、時には離れを繰り返し情報をかき集めて。それでも限界を感じたのか違法マイク狩りと称して世間を騒がせ、中王区や目的の人物に自分の存在を知らしめて注目を浴びさせる。目的の人物をあぶりだす為、中王区に真実を暴かせるために。反撃の機会を伺って―…。


「死んだ、弟の代わりって…?」

「…彼女には、弟が一人居ました。両親も物心ついたころにはおらず、弟くんだけが唯一の家族でした。でも彼は…ある研究施設で、亡くなっています」


震える一二三くんの声。息を飲む独歩くん。一郎くんもスマホのスピーカー越しではあるが言葉を失っているのが分かる。以前一二三くんがコウスケくんに家族は居るのか?と問いかけた時「弟が1人」と応えたと聞いた時には思わず胸が詰まる思いでした。唯一の家族を…今まで一緒に生きてきたただ一人の弟が死んで、生きている意味がないと吐いた彼女の顔が今でも酷く脳裏に焼け付いている。嗚呼、それほどまでに彼女は、本当に。


「彼女は、中王区のとある施設で開発員として雇われていたそうです」

「≪え…?!それって≫」

「ええ、弟くんが亡くなった施設です」

「「「≪?!!≫」」」

「当時中王区の傘下にあった中王区第9番開発・実験施設」


あの夜、中王区内で爆発が起きた場所がその施設だった。驚く3人を横目に、彼女から堅く秘密にしておくと約束をしたその内容を私は淡々と語っていく。


「当時の施設長はヒプノシスマイクの開発・実験を繰り返し実績を上げていたようですが…裏ではかなりの非人道的な人物だったようです」


中王区の名を使って色々な実験を行い、秘密裏な研究も行っていた様子。独自の開発に力を入れ施設長という権力を振りかざし研究員を好き勝手動かしていたようですし。実際に会った事は無いですが、彼女の口から出てきた僅かな人物像だけでどれだけ嫌悪感がせり上げてきたことか。きっと彼女の知らない所でも手を汚して来た人物であろうことは容易に想像できた。
学生時代から目をかけられていた彼女は高校卒業後すぐにその人物の施設に就職し、来る日も来る日も色々なプログラミングや部品の製造・実験を繰り返して、世の中に役に立つ新しい物を生み出そうと働いていた。そんな真面目で、素直な少女が。


「一部品とは言え、彼女は知らぬ間に恐ろしい武器を作っていた」


施設長の意向に沿うように、皆の期待に応えられるようにと日々自分の腕を磨きながら必死に働いてきた彼女がその事実を知った時、どれだけ絶望したことか。役に立つどころか平和を乱す代物を生み出そうとしていたのだ。完成させればどれだけの人に影響が出るか分からない。彼女は戦争なんて、争いなんて望んでいなかったはずなのに。


「それに気づいた彼女はどうにか組織を抜けようとしていた。だが、既に彼女を助けようと施設に乗り込んだ彼女の弟が実験台に使われていた」

「そん、な…」

「それを知った彼女が弟を助けようと実験場に乗り込んだ、でも―…」


非道な人体実験。生身の人間を使い、新たに改良されたヒプノシスマイクなどを実際に使用させ人体にどれだけの影響が出るのか、はたまた相手にはどのような効果をもたらすのかを観察・確認していたという。それすら開発部の彼女の耳には届いていなかった。あの日、までは。


「経緯は不確かですが、真正ヒプノシスマイクの実験中で彼女が弟くんの持っていたマイクで反撃した直後、爆発したとのことです」

「≪それが世間で公表されず、中王区内で揉み消された爆発事故…≫」

「そうです。当時目撃者も少なく、見た者もメディアも中王区の圧力をかけられたのでしょう」

「ひっでえ…」


彼女のスキルなのか、はたまたマイクの性能の問題だったのかいずれにせよ施設は爆発して閉鎖されたようだ。それなりに被害も出たはずなのに綺麗さっぱり彼女の事も非道な研究も何もかも揉み消され、施設長は生きているという。なんという皮肉だろうか。
あの壁の向こうの惨状がこちらには届かない。彼女のような人間がどれだけいるのかも我々は知らない。どのような人たちが生きているのかも、どのような生活を送っているのかも全てが未知数だ。権力も勢力も全て、中王区の名の下に動いている。


「自分だけ生き残った彼女にもう生きる意味はない。彼女はそう言いました」


そんな世界で、彼女が唯一縋った存在が。彼女の全てだった存在が居なくなってどれだけの苦しみを味わっているかなんて計り知れない。それでもいつか彼女の寄り辺がきっと見つかると信じて、信じて見守ってきたというのに。


「結果、彼女は復讐を果たそうとしている。…この先の最悪の結果がどうなるか、わかりますね?」

「っ…!!!」


行きつく先は目に見えていた。それでも止められなかったのは結局私の驕りだ。独歩くんや一二三くんと飲んだあの日、車から飛び出していった時に力づくでも止めていれば良かった。男として生きると決意した時、反対していれば良かった。いつだって、傍に、居てあげれば良かったのに。


「独歩くんや一郎くんの弟くんたちの記憶を消したのも自分自身が中王区からの追跡を逃れる為だけじゃない。深く関わってしまったからこそ、彼女は中王区から君たちを守ろうとした」

「記憶が無ければ、中王区も話にならないと目にも止めない…?」

「話せる情報が無いからね」


世渡りと料理は上手な癖に、いつだってこういった人との関係には不器用で横暴で適当で。向き合おうとしてくれなくて。いつも逃げてばっかりで。親しくなるのが怖い、臆病な優しい…そう、ただ優しい子なだけだったのに。どうして自ら辛い道に身を投げてしまうのか。どうして、自分だけを犠牲にしようとするのか。


「探さなきゃ…」


ポツリ、と独歩くんが呟いた。記憶が無い筈の、独歩くんが。俯き気味だった顔を勢いよく上げて力強く、使命感に駆られたように呟くように言葉を紡ぐ。


「先生、俺、コウスケに…会わなきゃ…会わないと」

「彼女が救いを望んでいないとしても?」

「それでもです」


言いたいことが、あるんです。と彼は真っ直ぐな眼差しでこちらを見つめた。嗚呼、一つ私は大きな間違いをしていたのかもしれない。


「…せんせー、俺っちもコウスケにチョー会いてー」

「彼女が女性だと知ってもかい?」

「関係ねぇっス。俺達になんの相談も無しにそんな勝手に突っ走って…第一に独歩の記憶消しといて逃げるとか、絶対許せねーつうか」


文句の一つぐらい言ってやりたいっつーの!とか色々呟く一二三くん。彼らしいというかなんというか。何より自分の文句よりも独歩くんの心配なんて…うん、如何にも彼らしい。


「一郎くん、君はどうする?」

「≪…俺だって、ダチ見捨てる人間じゃねぇっスよ≫」

「そういってくれると思った」


スピーカー越しに聞こえてくる、久々に聞いた一郎くんの酷く落ち着いた声色。この場に居る皆の意志は決まったと言っても良いだろう。きっと、左馬刻くんも動き出すだろう。ならばこちらはこちらなりの方法で動き出さなければならない。


「一郎くん、依頼をお願いしても?」

「≪はい≫」

「調べて欲しい人物が1人」


爆発した施設の施設長。中王区の傘下に未だ居るとすればすぐに情報は手に入るはずだが、いまいちピンと来る情報が手元にない。あれだけの非道を繰り返した人物だ。懲りずにどこかで活動しているとみて間違いないだろう。だからこそ彼女が真っ先に中王区に乗り込むことはせず、壁の外で情報をかき集めているに違いない。後は時間との勝負。


「その人物が居るその場所に彼女は居る」


我々が彼女を見つけるか、彼女が仇を見つけるか。いずれにせよ、今すぐに動くことに無駄は無い。私は彼女との秘密を破って事情を全て皆に話した以上、最早縛るものは何もない。彼女と私を繋ぐものは秘密の共有ではない。事実を知っても尚、皆が彼女を止める手助けをしてくれるというのなら、皆と今、迎えに行こう。今度はきちんと止められるように。





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