気が付いた時には両親は居なかった。いや、戦乱に紛れて居なくなっていたといえばいいか。安否は知らない。知ろうとも思わなかった。だから私はあの子と2人で生きてきた。生き抜いてきた。楽な道なんてなかった。偶然と必然が妙に少しだけ重なり合って生きてこれただけ。それでもきっと私がこの世界でも楽しく居れたのはあの子が居たから。あの子が居たからこそ、私は此処まで―…。


「やっほー!生きてる?」


薄暗い路地裏の陰、静かに息を潜め座り込んでいた自身の頭上から何とも明るい声が落ちてくる。ニャーと同じく縄張りとして寛いでいたのであろう野良猫がそそくさと退散を始めているのを横目に重たい瞼を持ち上げてゆっくりと顔を上げれば、彼は少し顔を歪めた。


「わ、ひっどい顔。いつもの可愛い顔は何処に行ったの?」


お疲れなんだね、ヨシヨシと深く被ったフード越しに頭を撫でてくる彼に今日は酷く違和感しか感じない。どうして此処にいるのか、どうしてそんなことを言うのか。すべてが変だ。自分の頭を撫でる彼の手を軽く払い除け、未だ疲れが抜けきらない体でフラリと立ち上がる。


「なんで此処に…」

「え〜?それはこっちの台詞だよ〜」


依然としてニコリと笑った表情を崩すことなくこちらを見つめるその瞳に息がつまる。カランと彼の口の中で飴が転がる音がした。背筋を何かが駆け上がる感覚にどうにか足を踏ん張らせる。気を抜くとその場に崩れ落ちてしまいそうだ。


「違法マイク狩りに、帳兄弟とラップバトル…ダイスの記憶まで消しちゃってさ〜!」

「っ!!」


あ、リーマンの記憶も消したんだっけ〜?なんていつもの軽いトーンで続けるものだから恐ろしい。思わず驚き目を見開いて彼を見つめれば彼はまた「あはは」と笑った。薄暗いこんな路地裏に彼の姿も声もまるで似合わない。酷く浮いて見えたのが余計怖くて。


「…流石、情報が早い」

「えへへ〜!僕ってば、色んなお友達いーっぱい居るからね〜」

「友達、ねぇ…」


一体、どんな繋がりを持っていればそんな情報が入ってくるというのか。本当か嘘か分からないがこれは相当厄介な相手だ。彼の本心が見えない以上、此処に来た理由も何をしようとしているのかもまるで分からない。でも、残念なことに彼が"味方"には決して見えなかった。だから、そっと、それに手をかける。静かに上着の下から取り出したそれを視界に収めた彼が目を細め、ニヤリと笑った。


「あれ〜?僕と正面からやる気?」

「………」

「僕は全然構わないけど〜?」

「…………」


余裕の表情。当たり前だ。目の前に居るのは誰だと思っている?不意打ちでも何でもない、真っ向から勝負を挑んで勝てる相手か?今の自分を振り返ればそれは一瞬の内に理解できた。無理だ。近日急激にマイクを使用し続けていた為か身体への負担と疲労が酷い。正規のマイクではないし、それぐらいのデメリットは覚悟していたがあまりにも酷すぎた。…なんて、今頃気づいても遅いのだが。
握りしめたマイクを静かに下げる。無理だ。こちらからの攻撃は彼に届かないだろうし、彼の攻撃に耐えられる自信がない。逃げ道も活路も、何も見えない。


「だよねー。どう考えたって、コウスケに勝ち目ないもんねー」


今、残している体力も気力も此処で使い切る訳にはいかないと出来るだけ温存していた申し訳程度のものしか残っていない。それで、彼の攻撃を耐えるなんて無謀も良いところだ。無言のまま静かにこちらがマイクを下ろしたのを見て彼はまた満足そうに笑った。


「はーい!お利口さんのコウスケには、とーっておきの情報あげる!」


ワントーン高い声色で片手を挙げた彼がピョンピョンとこれまた軽い足取りで近づいてくるとスッと小さな紙切れらしきものを差し出して来た。明らかに帝統の記憶を消したことや世間を騒がせている元凶と知られている以上、潰されることを覚悟していたこちらにとってみればあまりにも予想外の展開に固まっていると、ほら!と彼は更にそれを突き付けてくる。おずおずと小さな紙切れを受け取りそっと開く。


「これ…?!」


そこに書かれた内容に思わず声を上げて顔を上げる。メモ程度に書かれた字面でありながら、それは今の自分が喉から手が出るほどに欲しい情報が書かれていた。事情を知っていなければこんな事はしない。


「僕とコウスケだけの秘密だよ」

「…どうして」

「えー?だってー僕たち友達でしょ?」


シーッと口元に人差し指を当てた彼の顔はまさに幼さを帯びていて、この状況を楽しんでいるようにすら見えた。やはり本心は分からない。だから出会った時からこの人は少し苦手だったんだ。カラカラと笑った彼の口元から飴玉が転がる音が酷く響いた。
これを吉と取るか凶と取るか。いや、今はこれを利用しない手はない。事情なんてどうでもいい。仮に彼の気まぐれや計画的な何かだったとしても事実、私がこれから向かうべきところは決まった。やるべきことは、決まった。


「深くは聞かないでおきます…今は」

「ふふ、コウスケってば怖ーい」

「いずれ、貴方には、聞きたいこと、が、たくさん、あります、ので」


疑問の塊でしかない彼に今まで飲み込んできた質問をいつか…いつか全て投げつけて、全て白状してもらうことを夢見てた時もあったな、なんて思い出して微かに笑みを零す。紙切れを上着のポケットにしまい込み、フラフラと歩き出す。今は時間が惜しい。


「…ねぇ、教えといてなんだけどさ、本当にそんな体で行く気?」


思い通りに動かない体に最早苛立ちすら感じない。おぼつかない足取りで歩き出した自分を追うわけでもなく、言葉を投げかけてきた彼の声色は先ほどよりもかなり落ち着いていた。こんな状態でも動こうとしている私を見て少し呆れている感じがした。


「もう、終わりにしたいんです」


振り返らなかった。きっとこの人は私の過去を知っている。私の正体を知っている。その投げてきた言葉に私を止めようとする意思はない。ただ、どうしてそこまでするのか疑問と呆れから投げられた言葉だろう。理解してもらおうだなんて思わない。一刻も早く、終わりにしてしまいたい。結末が、どうであれ。吐き捨てるように言って再びゆっくりと歩き出す。


「そっか。じゃぁ…頑張って」


少し言葉を迷ったようだがよりにもよって投げかけられた言葉が「頑張って」か。なんて思いながら振り返ることのないまま通りへ出る。出来るだけ人に紛れて、怪しまれないように。ゆっくりと、確実に目的地に向けて足を向けた。もう、いい加減、この馬鹿げた私の意地を、愚かな私を、実にくだらない嘘を吐いた私を終わらせたいのだ。


「まぁ、死なない程度に、ね…」


街中に紛れて消えていく彼女の背を眺めながら、彼が静かに口に含んでいた棒付きの飴玉を取り出してボソリと呟いたのも知らずに。





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