街の一角にポツンと置かれ、今や数も少なくなったというガラス張りの公衆電話にするりと体を滑り込ませながら周囲を確認する。慣れた手つきでスマホを取り出し、登録されている電話番号のダイアルを押して受話器に耳を当てればすんなりと呼び出し音が鳴る。数回の呼び出し音の後、「はい、萬屋ヤマダです」なんて営業トーンの彼が電話に出た。


「あー…もしもし?一郎?俺だよ。コウスケ」

「≪おお!!コウスケか?!ったく、心配させやがって!!≫」

「ん、すぐに連絡できなくて悪かったな」


先ほどまでの営業トーンは何処へやら。スイッチが切り替わったかのようにいつもの声色で受話器の向こうで食らいつくように言葉を浴びせてくるものだから思わず笑みが零れてしまう。打って変わって静かに返事を返すこちらに一郎もすぐに落ち着いたらしく、一息吐くと少しだけトーンを落として来た。


「≪…それで?大丈夫なのかよ。お前≫」

「まぁ今のところは何とか。一郎こそ、あの後大丈夫だったか?二郎くんと三郎くんは?」

「≪俺は何ともねぇし、二郎も三郎も無事だ≫」

「良かった」


正直、何が大丈夫なのか分からない。傍から見れば、中王区に追われているこの状況を大丈夫と言える訳がない。いつ、だれが見ているのか分からないしあまり気も抜けない状態が続いている。深く被ったフードの端を摘まんで更に引き下げながら受話器の向こうの一郎の声に耳を澄ます。身代わりになって逃がしてくれた優秀な弟たちの無事も確認できたし、嗚呼…何だかとても気が抜けてしまいそうだ。


「なぁ、今からちょっと外で会えないか?」

「≪ん?ウチじゃ駄目なのか?ゆっくり話せるだろ?≫」

「嗚呼、色々あってな…人ごみに紛れていたほうが良い」

「≪そうか≫」

「話したいことがあるんだ。一郎だけに」

「≪…分かった。行く。場所は?≫」


それ以上一郎は深く突っ込んでは来なかった。時間や場所も全て任せてくれたし、一郎とだけで話したいんだと言えば弟たちや他の誰かを連れてこないと約束してくれた。とても素直にこちらの要望を聞いてくれるあたり、一郎は優しい人間だなぁとつくづく思う。


「≪なぁ、コウスケ≫」

「ん?」

「≪本当に、大丈夫か?≫」


一郎はとても出来た人間だ。眩しいぐらいに、全然違う別次元を生きている生き物みたいに。それに比べて、いかに自分が汚れ切ってしまっている事か。考えれば考えるほどに虚しさしか出てこない。考えるのを、辞めた。


「大丈夫だって」


突然の約束をこじ付けて、嘘を吐いて、一郎の優しさに付け込んで。卑怯の塊でしかない自分に嫌悪しかない。それでもこの選択をするのは、第一に連中の手から守りたいからだ。分かってもらえなくても良い。それだけは、それだけは本当だから。
小さく笑みを含みながら一郎にそう返して、じゃぁ何時間後にと約束の場所で会おうと言い残して電話を切った。すぐに移動しなければ。ガラス張りの箱の中から飛び出し、人ごみに紛れる。時間が無い。いつ、連中が嗅ぎつけてくるか分からない。少しでも、一人でも多く、私を消さなければ。



―――…



ガチャリと鍵の掛かっていない入り口を開けて中を確認する。玄関先に並べられた見覚えのある愛用の靴は2足。長男の靴は無い。それを一瞬の内に目視して声を上げた。


「ごめんくださーい」


静けさが立ち込めていた空間に響く自分の声。そう間を開けずに奥の方からバタバタと慌ただしい音が近づいてくる。奥の仕切りの影からひょっこりと顔を出したのはこれまた見覚えのある顔が2つ。驚いた表情でこちらを見ていた。


「え、コウスケさん?!」

「コウスケさん?!!」


明らか寛いでいたのであろう二郎くんと三郎くんが、その綺麗なオッドアイの瞳をぱちくりと何度か瞬きを繰り返しながらこちらを見つめている。それはそうだ。本来、此処にいる筈の無い人間が目の前にいるのだから。


「兄ちゃんが会いに行って来るって言って―…」

「さっき出て行ったんですけど…」

「嗚呼、事情が変わったんだ。一郎には連絡してある。すぐ戻ってくるさ」


チラリと時刻を確認すれば、今頃一郎は自分が電話で指定したあの場所に着く頃だ。自分との約束を守り、たった一人で会いに行ったようだ。当の本人が約束の場所に向かわず、此処(一郎の自宅)にいるとも知らずに。
自分でも驚くぐらいサラリと嘘を吐きながら背負っていたリュックから上着と帽子を取り出す。この前身代わりになってくれた時に貸してもらったもの。二郎くんの無防備な頭によっと被せ、三郎くんには綺麗に折りたたんだ状態のまま「ありがとう」とお礼を述べながら手渡した。


「と、とりあえず上がって下さい」


悪いね。と小さく声を零し、リュックを整えながら軽く屈んで靴を脱ぐ。一歩玄関から廊下に出れば2人の大きな弟たちは少し先を歩いていく。


「兎に角、コウスケさんが無事で良かった」

「あの後なんの連絡も無いから一兄も僕も心配で心配で―…」

「お、俺だって心配してたろ!」

「五月蠅い低能」

「なにを―!!」

「こらこら。辞めなさい。すぐに連絡できなくて悪かった。でも本当、2人には助けられたよ」

「何言ってんすか」

「当たり前の事しただけですよ」

「…そっか」


階段を上り、山田家のリビングの入り口で喧嘩しかけていた2人を仲裁しつつ感謝すればクルリと徐に前を歩いていた2人がこちらを振り返って、サラリと言うものだから思わずこっちの方がドキリとしてしまう。ふ、と息を吐きながら軽く目を伏せる。


「ありがとう」


この兄弟は一体何処までお人よしなのだろうか。兄も兄なら弟も弟でしっかり人間が出来ている。嗚呼、優し過ぎる。眩し過ぎる。感謝の一言を呟くように吐けば2人はこれまた嬉しそうに笑いながら「さぁどうぞ」なんて部屋に招き入れようと足を進めていく。
そんな2人の後ろで、密かに準備していたそれを手中に収めたまま後に続いて部屋の中に足を踏み入れる。カチリとスイッチを静かにゆっくりと入れ、こちらに背を向けている2人の姿を目を細めながら見つめる。


「ゴメンな、」


誰に聞こえるでもない謝罪を吐き捨てながら手に持っていたそれを構える。嗚呼、酷い人間だ。騙して、不意打ちして、一郎の居ない隙を狙って。一瞬こちらを振り返ろうとした2人の表情を視界にしまいこんで言葉を紡ぎ、ぶつける。真っ向勝負ならきっと彼らの方が強いだろうし、技術もある。一郎が居れば、確実に勝ち目はない。彼が戻ってくる前に、反撃されないうちに。どうして?と問いかけているような表情で一瞬こちらを見た2人に、兎に角言葉の雨を降らせてぶつけるしかなかった。





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