眩しさを感じて薄く目を開ける。

嗚呼、そんな時刻かと壁に掛かっている時計に目を移しながら重い体をどうにか持ち上げる。微かに開いたカーテンの向こうから朝日が差し込み、既に会社員や学生たちは出勤通勤している時刻。
んんーと思わず口の端から声を零しながらゆっくりと伸びをしてベッドから抜け出す。顔を洗い、身支度を整える。最初は苦しいと感じていた胸のサラシも苦しくないし寧ろ無いと物足りないぐらいに。あの日以来バッサリと切った髪も、女っ気の欠片もないこの身形にももう慣れた。自然と難しい顔になっている自分が鏡の向こうに見える。脳裏に過ぎるあの子の姿を嫌でも重ねてしまってどうにか笑顔を作り、度の入っていない伊達眼鏡をかける。鏡を見る度に感じる自分という存在が不明瞭で不安定であることも全て慣れた。慣れてしまった。

ふうと息を吐き、シンプルな部屋の中で唯一自分の持ち物であるリュックの中身を確認し肩にかけて部屋を後にする。朝食も何もとりあえず後だ。チェックアウトを済まし、途中朝食を手に入れるためにコンビニに立ち寄り、おにぎりを頬張りつつ今日の予定を立てながら駅へと向かう。


これが日常。御厨 コウスケの朝はほぼ同じように始まる。


ある日はビジネスホテル、また別の日はネットカフェなど色んな宿泊施設を利用しながら移動を繰り返す。ハッキリ言えば"家は無い"。一カ所に留まることはせず、出来る限り1日1日を別の場所で過ごしている。時折入っているバイトの収入と先日のように観音坂独歩と伊弉冉一二三の家に乗り込んで料理を作るついでに自分の分もちゃっかり頂いたり、はたまたご厚意でご飯を食べさせてくれたり援助してくれる友人知人の力を借りてどうにか生き長らえている。
交友関係は広い方かもしれない。色々可愛がってもらえていると自分自身思っているし、色々と積み重ねてきたその努力というか嘘が力を発揮していると思う。一番怖いのはその嘘が崩れた時と…"奴ら"に見つかった時だ。奴らのせいで常に周りに気づかれないよう警戒する癖が身についてしまったし、不意に此処で見つかったらあっちに逃げて―…と嫌なシュミレーションを気付くと考えるようになってしまった。本当、嫌な癖だ。

時刻通りに駅に着いた電車に乗り込み、席に着く。通勤ラッシュを一通り終え落ち着いた様子の車内にはちらほら人が居るだけで比較的静かだ。スマホを取り出し何の通知が無いのを確認してまた一つ息を吐いて力を抜く。
ふと視界の隅に映った黒いスーツの男性に自然と意識が向く。営業だろうかカッチリとスーツを着てビジネスバックを持ったまま吊革に掴まっている男性。今ならどこでも座り放題のガラ空きの席に着くことなく揺られながら時折時間を確認している。

独歩さんは無事に会社に行けただろうか。

なんて自然と脳裏で観音坂さんの事を思い出していた。昨日の夜も凄い遅かったし、ちゃんとご飯食べてくれただろうか。お風呂も入れたかな。「泊まっていけばいい」という言葉が怖くてさっさと出てきてしまったから確認も出来なかったけどきっと大丈夫だろう。大人だし。
同居人の一二三さんも家に帰ってきてのんびり休んでいる時間だ。作り置きの料理、美味しかったかな。今頃寝てるかな。いや、もしかしたらこの前一緒に遊んだテレビゲームしてるかも。なんて、いつの間にかあの2人の事を考えていた。自然と零れた笑みに気づいて、どんだけあの2人の事気にかけてんだよ。と自分自身にツッコミを入れてしまう。

確か彼に会ったのは1年ぐらい前だったか…ハッキリとは思い出せないが、久々に私が先生の病院に顔を出した時の事だ。確か病院の通路を歩いていた独歩さんが何に躓いたのか抱えていた資料を床にぶちまけたシーンを偶々通りかかったタイミングで目撃してしまい、暗い顔で資料を拾い集めていた独歩さんを手伝ってあげたことが初めての出会いだったような…。初めて会った時も酷く疲れた顔してたし、目の下は隈で染まってたし大丈夫かこの人。と本気で思ったなぁ。
そこから先生の知り合いってこともあって徐々に話す機会が増えたし、何より同居人の一二三さんの出会いも大きかった。あの性格でグイグイと色々な質問攻めにあった挙句、料理が出来る事とゲームが好きな事を知ったあの時の一二三さんの顔は今でも忘れられない。目をキラキラとさせて「じゃぁ今度ウチに遊びに来て、なんか料理作ってくれよ!」なんて。最初はお世辞か何かかと思って軽く受け止めていたんだけど、あの家に連行された時は本当に驚いた。

目的地の駅の名がアナウンスで車内に流れ、同じ目的地らしき人たちが下りる準備を始める。それを横目に自分も膝の上に置いていたリュックを担ぎなおして傍のドアの前に立ち流れる景色をぼんやりと眺める。

一二三さんに誘われるまま、言われるがまま一緒にテレビゲームをし、夜は彼らの家の冷蔵庫の食材から簡単に料理を作った。「ただいま」と珍しく終電前に帰ってきた独歩さんがネクタイを緩めながら台所に立つ自分の姿を見て固まったのを覚えている。何度か瞬きした独歩さんとガッチリと目を合わせながら徐に「お、お帰りなさい」と返事を返せば、独歩さんは無言のままドサリと資料やら色々入っているのであろう重みの音を立てながらビジネスバッグを落とした。夢じゃないと思ったらしい。明日は休みだからとお風呂の掃除をしている一二三さんを探して「ひふみーーッ!!!!」と慌てて部屋の奥に走っていった。あの光景は面白かったなぁ。

ゆっくりと停止した電車のドアが開く。足を踏み出し、改札を抜ける。相変わらず人も多いし音も多い。自分が本当に飲み込まれてしまいそうなその人の波の中を臆することなく進んでいく。

その後、独歩さんに「人様に迷惑かけるな!」と怒られた一二三さんだったが結局その時の料理が気に入ってもらえたのか今の今まで時折ゲームの相手と料理を作りに行くという関係は続いている。いつの間にか独歩さんも慣れてきたみたいで合鍵まで渡してもらえるまでになっていた。
可笑しいな。あの日から出来る限り人と関わらないようにしなきゃと思っていたはずなのに。それでも今はこの状況を気に入っている自分が居たりする。あの2人は何処か放って置けないし、先生も先生で2人と仲良くしてやってくれと言ってくれるし。今のところ何の問題もない。これ以上深い関係にならなければ恐らくは大丈夫だろう。もし問題があれば、なるべく早くいつものように"消える"だけだ。


「そこのお兄さん」


なんて、過去の事を久々に思い出しながら歩いていると明るい声に呼び止められる。思わず足を止めてしまった自分とキラキラしたお姉さんたちの視線がガッチリ合う。嗚呼、面倒な。と脳裏で悪態を吐くが時すでに遅し。ツカツカと近づいてきたお姉さんたちがニコやかに笑う。


「ホント可愛いわ!!よく見つけたよね!!」

「でしょ?!私の千里眼凄いでしょ?!」

「ねぇねぇ、お兄さん今ヒマ?」


ほのかに香る甘いお酒の匂い。おいおいまだまだ昼だぞお姉さんたちよ。それにこっちは貴方たちよりも明らかに年下だぞ。ちゃんと見えてるか?と内心ため息を吐きながら困り顔でほほ笑む。此処で嫌々な対応をすると後々厄介な事になる場合もある。


「すんません。これからちょっと用事があるんで無理です」

「え〜!ノリ悪い〜」

「いいじゃん減るもんじゃないし!ちょっとご飯食べいこうよ!!」


今は、女性が覇権を握るようになったH歴。高い壁に覆われ男性を完全排除した中王区の外にも勿論女性たちは居るし、殆どの女性が普通の生活を送っている。しかし女性が優遇されるこの時代、自分たちの思い通りになると思ってついお酒の勢いなどが重なって調子に乗ってしまう輩も少なくない。今、まさにその場面に直面している。
用事があると言ってるだろうが。と徐々に穏やかじゃなくなってきた心情に比例してお姉さんたちの絡みは増してくる。触れられそうになるがどうにかさりげなくその手を逃れながら攻防を続ける。近くを通り過ぎていく人たちに冷ややかな視線を送られているのにも気づくことなくほろ酔い気分の女性たちはケラケラと笑っている。


「大事な用事なので」

「お仕事じゃないんでしょ〜?良いじゃんちょっとだけ〜!」

「ねぇ!お兄さんモデルでしょ?!見れば見るほど肌とか綺麗だし!」

「アタシたち今日も明日もお仕事休みだし!遊びいこ〜!」

「……はぁ」


そちらの事情は知りません。休みとか知りません。ほろ酔い気分で昼間からこんな歳下に絡んで楽しいですか。いや、きっと本人たちも可笑しなテンションになっている事に気づいてないのだろう。酔いが醒めたら後悔する系だこれ。未だ離れようとしない女性たちに思わずため息が零れる。これ以上絡まれて注目もされたくないし、何より写真でも撮られてSNSに上げられたらまた面倒だ。出来れば傷は浅いまま終わらせたかったんだが。


「こんな時間から酔っぱらって大声出して…しかもこんな年下の小僧相手に本気出してからかってるなんて呆れを通り越して面白いです。日頃からよっぽど不満が溜まっているんですね。いつもお疲れ様です。さっさと帰って寝た方が良いですよ。俺、貴方たちより見た目も性格も何百倍も可愛い彼女が待ってるんで」


ピシャリ。女たちの動きが止まる。笑みもこちらを捕らえようとしていた綺麗な手も。ニコリと笑みを作ったままハッキリと言った自分の顔を見つめて固まる女性たちの顔が徐々に引きつり始める。んじゃ、と吐き捨てそのまま踵を返して歩き出す。着いてこないし、声も聞こえない。放心しているのか人ごみの中に消えていく自分の背中に向けた彼女たちの声は聞こえてこない。
今の今までそんなハッキリと男性に断られたことが無かったのかもしれない。ノリが良くって時間もある男性なら彼女たちと楽しむという選択肢もあるだろうし、逆に断るにも命がけで丁寧にどうにか逃げ切るタイプ…つまり女性たちが傷付かないように対応してくれる男性ばかりと運よく出会っていたのかもしれない。だが、自分は違う。
チラチラと周りの視線を感じながらも何事も無かったかのようにただ足を進める。別に声を掛けてくる人もいないし、皆関心がそれほどないことを良いことにどんどん人に紛れて今日の流れを取り戻す。そう思っていたのに。


「へぇ…?彼女が居るなんて初耳だなぁ?」


ハッと息を飲み、振り返る。流れていく人の波の中に声の主を探す。居ない。空耳…な訳がない。キョロキョロと辺りを見回し自然と早まる鼓動。そして突如ドンっと背後からぶつかる衝撃とグッと腹部に回された腕。鼻先を掠める先ほどのお酒とは違うお菓子のような甘い香り。


「僕にも紹介してよ、あのお姉さんたちよりも何百倍も可愛い彼女」


衝撃で少しズレた眼鏡を掛けなおし視線を落とせば、ガッチリと回された腕の主と見事に視線が合う。そうだ。この街に来る時に気を付けておかなければいけない存在をすっかり忘れていた。偶然なのか、はたまた必然なのかこちらを見つけた事にご満悦な彼。綺麗なピンク色の髪の毛先が悪戯に笑う彼の動きに合わせて揺れる。カランと彼の口内で転がるキャンディが音を立てる。いつから見られていたのだろう、若干恥ずかしさを感じながらも思わずため息を零す。
逃がさんとばかりに腹部に回された腕の力は振り払えない。一見すると小学生のような容姿だが彼はちゃんとした成人男子。可愛らしいその表情に一体どれだけの世の女性たちを虜にしてきたのだろうか。いや、恐らく男性にも好かれてるだろうその可愛らしさに、こちらはただため息を零し折れるしかないのだ。逃げるチャンスを見つけるまで。





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