思った以上にのんびりしてしまったようだ。冷え切った身体にお風呂は心地よくて。久々にこんなにもゆっくりを風呂に入り浸ってしまった。それも他人の家の風呂だというのにどこか懐かしくて、落ち着いていてそれが余計に。


「嗚呼、出ましたか」


脱衣所に用意されていたタオルで髪を拭き、首に掛けながら明かりと声のする方へと足を向ければ小さなリビングのような空間。台所に立ったままこちらを振り返った夢野先生と、先生と話しをしていたのだろうだらしなく椅子に座っていた帝統がこちらを見て笑う。


「おっ!じゃぁ次は俺の番〜!!」


明るい表情を浮かべながら椅子から飛び上がるようにして立ち上がり、慣れた様子で脇を通り抜けていく。シャンプーを無駄遣いしないでくださいね!と夢野先生が既に無い帝統の背中に向かって声を飛ばす。バタバタと慌ただしい足音と共に消えた帝統の姿を確認して、静かにその空間に足を踏み入れる。


「どうして」


小さく、でもはっきりと聞こえるように言葉を発する。勿論、首に例のチョーカーは着けていない。素の、本当の私の声だ。しかし夢野先生はこちらと一瞬だけ目を合わせるとすぐに台所と向き合うように背を向けてしまった。


「おやおや。随分と愛らしいお声になってしまわれて」

「誤魔化さないでください」


微かに笑みを含んだ声色だった。揶揄うように言われて、思わずキツめのトーンで言い返してしまう。トントントンとリズムよくまな板を叩く音がスッと消えた。


「はて?どうしてとは?」

「見捨ててくれてよかった。あのまま追い返してくれればよかったのに」


先ほど家を訪ねた時、帝統と共に家に上げずに追い返してくれればそのまま帝統の元からどうにか逃げだしてどこかに身を隠していただろう。そもそも彼が此処までしてくれる理由が見当たらない。理解できなかった。


「ずぶ濡れでひっどい顔した女性をあの男と一緒に放り出すと?小生だってそこまで悪魔に魂売ってないですよ」


呆れたように言い放ち、彼は当たり前のように平然と手を再び動かし始める。彼のその言葉で全てを察した。というより、薄々感じていたその予感が確信に変わった。


「いつからですか?」

「初めて会った時から、と言っても納得してくださいます?」


そう。前から知っていたのだ、この男は。私が女だと言う事を。男と偽りながら、この世の中を生きていることを。彼の言う通り、初めて会った時からなのかは分からないがきっと彼の鋭い感覚が私が女であると察していたのだろう。


「簡単なものですが」


コトリ、と小さめのテーブルに置かれた小皿には綺麗に握られたおにぎりと漬物。簡易的ではあるがどうやら夕飯…時間的に夜食を用意してくれたらしい。その美味しそうな夜食を見て急激に空腹を感じる。そういえば最近まともに食べていなかった事を思い出す。
まぁ兎に角お座りなさいな、と綺麗に伸びた睫毛が印象に残るほど美しく伏せた瞳の下で優しい口元がふんわりと弧を描く。どこか懐かしく安心するその雰囲気に言われるがままテーブルに着く。鼻先を美味しそうな香りが掠めた。


「夢野、先生」

「はい?」


コトン、と今度は可愛らしい湯飲みが置かれる。仄かに湯気が立っていて、手に取りゆっくりと喉の奥へとひと口流し込む。暖かさがじんわりと体の奥から広がっていく感覚を覚えながら呼びかけに対し優しく返してくれた整ったその顔を静かに見上げる。


「今まで嘘を吐いて生きてきました」

「ええ。貴方は大嘘つきです」

「…もし、そのずーっと今までに吐いてきた嘘が大切な人にバレてしまったら、どうしたら良かったのでしょうか」


ポツリと零れた心の声。後悔。今までにも似たようなことは行って来たはずなのに、今回はとても胸が痛い。慣れたはずだったのに、彼を助ける為だったのに、どうしてだかあれから酷い後悔に似た感情に襲われている。あの選択は間違っていたのではないか、と。


「どうしてそれを小生に問うのか疑問なのですがー…うーんそうですねぇ」


普段、嘘を吐いていない時が無いくらいの筈なのに白々しくそう言って、少し悩んでいるような声を上げつつ台所へと踵を返し戻っていく。カチャカチャ、と食器の擦れあう音がする。後片づけを始めたようだった。


「強いて言うなら、永遠にバレない嘘などないのですよ」

「え、」

「いずれ嘘と言うものはバレます。本人がバラすもあり、他人がバラすもあり。予期せぬ形で真実が暴かれたりと形はどうであれね。その吐き続けた嘘を貴方自身が頑なに貫き通すのか、可笑しな笑い話に変えるのか…」


片付けの音が止み、夢野先生がこちらを振り返る。恐らく先生の話を聞きながら呆けているであろう私の顔が面白かったのか、小さく笑った声が先生の口から零れた。


「貴方が吐いた嘘なんて、ほんの些細な事ですよ」


まるで私自体が大したことでは無かったかのように言ってのける先生自身は、一体どれ程の嘘を抱えているのだろうか。常に嘘を吐いて生きてきた人間同士でもその事の重さは互いに分からない。分からないからこそ、先生はそう言ってのけたのだろう。
バレようが、バレまいがいずれその結末は訪れる。それが早いか遅いかの違いだけ。そのあと誤魔化して嘘を吐き通すのか、白状するのかは自分次第。結果、私の選択が間違っているのかは分からない。答えなんてない。それでも今は突き進むしかないと、そう思えた。


「それでも、私はその些細な嘘に私自身のすべてを賭けてしまった」

「愚かですね」

「…ええ、とても」


全てを賭けた時点で私の結末は決まっている。でも少しだけ、ほんの少しだけ気持ちが楽になった気がした。大したことじゃない。それだけで僅かでも救われた気がしたんだ。実際問題、自分自身にとって重大な事柄であることに変わりないが、傍から見ればそれほどの事なのかもしれない、と。いい意味で諦めというか胸の奥が楽になる。これほどまでに今まで話しやすい人間に出会って来なかったのかもしれない。


「それを食べたら隣の部屋で一眠りしなさい。帝統は上手く誤魔化しておきますから」

「人が良すぎて気持ち悪いですね」

「失礼な。いつだって小生は良い人ですよ」


リビングを出ていこうとする先生が言い返して来たのを横目に、ふふと笑えば先生はヒラヒラと手を振ってどこかへ向かって行った。恐らく帝統の向かった風呂の方だろう。足音が遠のいていくのを聞きながら、目の前に置かれた小さなご馳走に目を移してそっと手を合わせる。


「いただきます」


温かいご飯と少し塩気のある漬物の相性はこれまた抜群である。久々に人の作った家庭の味に思わず微睡みながらも、あっという間にペロリと平らげてしまった。





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