人ごみを掻き分け、建物の影に飛び込み逃げ続ける。さっさとこのディビジョンから一度離れなければいけないのにどうしてこうもしつこいのか。自分で呼び寄せておいてなんだが、正直お前らを呼び寄せたのではない。まだ第一段階だ。次の段階に早いトコ切り上げてくれれば楽なものを。そんな事を脳裏で思いながら足を動かす。当然、相手に自分の意志など分かって貰える訳もなく、どうにか捕まらずにいる状況だ。
あちらは圧倒的に数が多いし、持久力を含めれば断然あちらに利がある。時間を引き延ばせば伸ばすほどこちらが不利になるのは目に見えていた。駅に近づこうとしていたはずが随分と幾つかの駅を逃げることでいっぱいになって見送り、遠回りしてしまっている。後ろからは依然としてこちらの姿を捉えているらしく連中の制止の声がする。これではいつ周りの人々もこちらに飛びかかってくるか分かったものじゃない。
さて、どうしたものか。と思っていた矢先、ガシリと掴まれた手首。え、と思う暇もなく一瞬にして最悪の事態が脳を駆け巡る。振り払おうとして思いきり身を捩ろうと振り返った時、見覚えのある顔と目が合った。


「見つけましたよ」


なんで。

その言葉が一瞬にして頭を過ぎった。しかしその問いを投げるより前に掴まれた自分の腕をグイと引かれる。こっちです、と静かに声を零した彼の顔を見つめたままイケブクロの市街地から人ごみに紛れて一つ細い道に引き込まれる。そのまま足を止めずにただ腕を引かれるままに走る。一瞬の内に人ごみの中に引き込まれた事で中王区の連中も即座に反応できなかったようだった。振り返っても姿は見えない。
引き込まれた細い道を抜け、別の道に出る。普段あまり通らない道だ。見覚えが無い。それでも自分の腕を掴んだまま前を行くその中学生にしてはかなり大きな背中にようやく声を投げた。


「三郎、くん」

「一兄から状況は聞きました。詳細は後で良いです」


しかし彼はピシャリと言葉を切るように静かに息をひそめながら進んでいく。どこかのスパイ映画みたいだし、イケブクロを知り尽くしているであろう彼に最早頼もしさしかない。ただ相手が相手だ。こんなところを見られれば三郎くんにも飛び火するのは目に見えている。急いで離れなくては、そう思うのだが如何せん力が強い。


「これからどうしたいんですか?」

「え、」

「貴方はどうしたいんですか?」


理由は聞かず、要件のみを確認する。普通ならどうして追われているのかとか寧ろあちらに逆らおうとはしない筈なのに、どうしてこの人たちは…。そこまで考えて半ば諦めた。此処で手を振り払って逃げ出すのも、闇雲に走り続けるのも時間の無駄でしかない。だったら利用しない手はないだろう。


「一度、イケブクロを出たい」

「と言う事は、駅に向かえば良いんですね」


意を決して目前の目的を話せば、三郎くんはすぐに理解した。幾度となく先回りされ遠回りをし、見送ってきたその場所に向け三郎くんが角を曲がり足を進める。勿論、依然として腕を引かれている状態なのでそのまま彼の後を追うように自分も足を進める。
タンタン、とスマホを片手に何やら打ち込んだらしい三郎くんがこっち、と少し速度を速める。後ろから追っ手の気配はない。上手く巻けたのだろうか。


「うおぉっと?!」

「うわっ?!」

「うぐっ?!」


細い路地を抜け大通りに出ようとした瞬間、大きな影が目の前に飛び込んでくる。飛び込んできた相手と三郎くんの驚いた声がした途端、足を止めた三郎くんの背中に軽くではあるがぶつかってしまった。


「何やってんだよ低能」

「なっ!こっちだって急いで駆けつけたんだろうが!」

「遅いんだよ」


聞き覚えのある声。三郎くんの大きな背中で遮られた前方をそっと覗き込めばそこに立っていた人物と目が合う。これまた見覚えのある顔だった。


「二郎くん」

「どーもコウスケさん。あー…なんか大変そうっスね」


三郎くんの影に隠れていたこちらを少し覗き込むようにしながら困り顔で笑ったのは二郎くんだった。どうやら一郎は自分が去った後、弟たちに連絡を取って協力するよう依頼したらしい。全く、いつも思っていたがどこまでお節介なんだか。


「駅の方は?」

「嗚呼、アイツらスーツでウロウロしてるから滅茶苦茶目立ってる。唯のアホだ」

「やっぱ張ってるよな」


路地の角から駅の入り口を確認する二郎くんと三郎くん。二郎くんも状況を把握しているのか黒いスーツの連中が数人張っているのを確認したと言っていた。やはり先回りして張っている所を見るとこのイケブクロから出る前に自分を捕まえる気なのだろう。


「これは別のルートから―…」

「いや、俺に考えがある」

「え、」


別のルートから向かったとてその駅に張っていないとは限らないし、張られていれば否が応でも連中とぶち当たらないとならない。となると更に厄介な事になるのは目に見えているし、一郎だけでなく二郎くん三郎くんも巻き込むことになる。まだ、本題にも入れていないのに此処で捕まって詰みにされてたまるものか。そんな事を考えていると不意に二郎くんがこちらに歩み寄ってきて、凄い形相でこちらを見ていた。


「コウスケさん、失礼します」

「…は」


どういう意味かと問うより前に、問いと疑問の答えは出た。歩み寄ってきた二郎くんがいきなり自分が着ていた深めに被っていた上着のフードを捲り頭部を外へとさらけ出すと、そのまま上着を脱がされたのだ。一瞬の出来事に固まっていれば、隣に居た三郎くんが代わりに声を発してくれた。


「はああ?!」

「三郎、お前は上着脱げ」

「……はぁ…そういう事。まぁ二郎にしては考えた方か」

「うるせえよ」


奪った上着を手に持ったまま三郎くんに指示する二郎くん。三郎くんも彼の考えがようやく読めたのか、ため息を吐きながら自分の上着を脱ぐ。自分から奪った上着を三郎くんに渡し、三郎くんは先ほどまで来ていた上着をこちらに差し出して来た。


「コウスケさんはコレ着て下さい」

「あとコレ」


差し出された上着を三郎くんから受け取り、二郎くんからは帽子を被せられる。少しブカブカの帽子が目の上に掛かって視界を狭める。そこでようやく彼らがこれからやろうとしている事を察し、顔を上げた。


「どうして、俺なんかに此処まで…」

「俺ら萬屋ヤマダっスよ?一兄のダチ助けるのなんて当たり前だし、コウスケさんなら俺らだって喜んで協力しますよ」


ずり落ちそうな帽子のつばを掴んで顔を上げれば、そこには何の曇りもない顔で二郎くんが笑っていた。困ってる人を助けるのが萬屋ヤマダなんです、と目を伏せながら言う二郎くんはいつもよりも大人っぽく見えた。


「コウスケさんにも何か訳があるのは分かります。今は聴きませんから、どうかこれを返しに来る時に色々教えてください。待ってますから」


先ほどまで着ていた上着を三郎くんが袖を通し、傍からは顔が見えないぐらいにフードを目深に被る。遠目に見れば誰かなんて分からない。ニコリと笑った三郎くんが早くと急かすので少しブカブカの彼の上着を着る。先ほどとは少し雰囲気が変わっただろうか。此処まで来たら、と眼鏡を外しポケットにしまう。他人の記憶とは意外と曖昧なもので、服や小物で誤魔化せてしまうといつだったかテレビか何かで言っていたのを思い出す。


「僕らが幾ら逃げても所詮、時間稼ぎです。僕らが引きつけている内に」

「分かった」

「んじゃ、行きますか」


路地の影から駅の方を確認し、走る姿勢に入った2人がどれだけ頼もしく思えた事か。こんな得体の知れないヤツを此処まで信用して、理由も聞かずに此処まで協力するなんてとんだお人よしだ。兄弟そろって、彼らは優し過ぎるのだ。いや、いつだって自分の周りは優しい人ばかりだったか。


「…ありがとう、2人とも」


彼らの優しさが痛い。苦しい。それでも目的の為に突き進まなければならない。すべてが終わった時、彼らは俺を赦してくれないかも知れない。それでもいい。許されようとは思わない。恨んだって良い。憎んだって良い。それだけ迷惑もかけているし、酷いことをしていると思う。だから、今のうちに言えることは言っておかないと。


「お礼言うの早いっスよ」

「ではまた」


大通りに飛び出していく2人。人ごみに紛れ、奴らの視界に自然を装って入り込めば即座に「居たぞ!」と一人が声を上げ、周りの黒スーツの連中がそちらに集まっていくのが見えた。声を合図に二郎くんと三郎くんが一斉に駅から遠のくように駆け出す。その後を追ってスーツの連中が駅の周りから消えたのを見計らい、ゆっくりと慌てることなく一般人に混ざって構内に入っていつも通り電車に飛び乗る。

時間的にも今後の事を考えても丁度いい行き先の電車に飛び乗り、帰宅ラッシュも過ぎたのであろう少し空いた車内の座席に腰を落としながら深く息を吐く。ブカブカの帽子のお陰で顔は隠せているようだし、大きい上着も逆に体格を隠しているから上手くカモフラージュできているようだった。


「(…酷いヤツだ)」


ポケットに突っ込んだままだったスマホを取り出し確認する。LINEの新着に一郎からメッセージが届いていた。年下の2人を利用して、一郎の優しさを利用して自分は無事にイケブクロを脱出しているだなんて、酷いヤツ以外になんて言えばいいのか。酷い嫌悪感と徐々に溜まっていくのを感じ始めた疲労感に今は大人しく座席に沈む。計画性があるようで無くなってしまったような今回の衝動的な目的は、あとどれぐらいの人達を巻き込まなければならないのか。いや、巻き込まない為にもここ等が潮時だろう。静かに吐息し、目を伏せる。すべては一旦休息を挟んでから考えよう。そう思った。





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