日が沈み始めた頃、イケブクロの路地裏。大通りでは授業や仕事を終えた学生や会社員が行き来し帰宅ラッシュに差し掛かった頃合い。視線の先で先ほどまで酷く突っかかってきていた1人の男を見下ろしていた。
先ほどまでの威勢は何処へやら。すっかり伸びきってしまっている男の手から違法マイクを難なく取り上げる。深く被ったフードの奥で小さく息を吐きながら、取り上げたマイクをカバンにしまった。名前も素性も知らない。ただ、この辺りで違法マイクを使って縄張りを広げようとしていた1人だったということしか分からない。強いと聞いていたが、この有様か。通りで態とぶつかり、ラップバトルを仕掛ければ案の定乗ってきた。が、結果は見た通りだ。同情はしない。
薄暗さが増す。長いことイケブクロに留まってしまった。早く移動しなければ。そう思い、怠さを感じ始めた体をゆっくりと持ち上げた時だった。


「御厨 コウスケだな」


冷たい女の声だった。その声の方へと視線を向ければ、自分でも不気味なぐらい自然と口角が上がっていくのを感じた。黒いスーツに身を包んだ数人の女達。腕の腕章には大きく所属が記されており、その手には支給されたのであろう綺麗なマイクが握られていた。
嗚呼、嗚呼、この日をどれだけ待ち望んでいたことだろうか。ついに、ついに此処まで辿り着いた。今までの偽りの積み重ねが報われるこの瞬間が。


「("中王区"!!!)」


一つ向こうの通りで騒めく街の雰囲気。マイクを構える相手は既にこちらを敵視しているようだし、順調だ。後は上手く"奴"を誘き出すだけ。大人しく此処で捕まる訳にはいかない。もっと大騒ぎにして、"奴"を自ら赴かせなければ。


「…だったら?」


ここ数日休めていないままに思考回路を気力を頼りに巡らせる。このままでは関係のない人たちにも被害が出るだろうし、手に隠した不完全なこれをこの人数相手に放ったらどうなるか、想像も出来ない。ならば、


「今回のヒプノシスマイク強奪事件の重要参考人として―、捕らえる」


此処は逃げの一手。女の一言を聞き終えるか終えないかの合間にアスファルトの地面を蹴って路地を走る。後ろ手に「追え!」という声とバタバタと複数人が走ってくる音が響く。入り組んだ路地、逃げ道は幾つもある。すれ違う僅かな一般人の驚いたような表情を横目にとにかく走る。角を曲がり、昔ながらの趣がある居酒屋や最近出来たばかりの隠れ家カフェなど色々な建物の前を突っ切り、低めのフェンスを乗り越え、なだらかな坂を下ったり登ったり。とにかくひた走る。

追っ手の声が遠のく。追い込むために散ったのかもしれないが後方からの足音も少なく感じる。大通りへ抜け、どうにかこのイケブクロを出なければと駅までの道のりを幾つものルートで検索する。待ち伏せされている可能性もあるが、どこかに抜け道があるはずだ。出てしまえばまた身を潜められる。時間を稼がねば。そんなことを考えながら走っていた矢先、トンっと軽く肩がぶつかった。すみませんと一言声を上げようと口を開けたがガシリと腕を掴まれ、思わず声を詰まらせると相手の方が口を開いた。


「あ?コウスケじゃねぇか」


聞き覚えのある声。深く被ったフードの奥から相手を見上げる。こちらを不思議そうに見下ろすオッドアイの青年。急に飛び出して来たら危ないだろ、なんていつもの笑顔を浮かべていた。


「いち、ろ…」

「どうしたどうした?そんなに慌てて」


一番、会いたくなかった。いや、一郎の事が嫌いな訳じゃない。ただ、なんて最悪なタイミングなんだ、とこれほど思ったことはない。いつもならきっとすんなり離してくれる腕もずっと掴んだままだし、きっと一郎もこちらの異様な雰囲気を感じ取っているのだろう。こんな状況を奴らに見られでもしたら…そう思うと焦りが募ってくる。勢いで振り払って逃げてしまえばこちらのものだが、振り払えなかった時や逃げても一郎が追ってきた時を考えると下手に動けない。かといって、理由を正直に話す訳にも―…。
必死に言い訳を考える。まさかこんな事態になろうとは思っても見なかった。自分の考えが甘かったと嫌でも自覚する。このディビジョンに居れば会う確率だってあったはずなのに、なのに。言葉に迷い、固まる自分を当の一郎は大丈夫か?顔色悪いぞ?なんて顔を覗き込んでくる。と、不意に遠くで「そっちを探せ」だの「まだ近くにいるはずだ」だの色々な声が微かに聞こえて思わずそちらに視線を逸らしてしまう。


「…追われてんのか?」


どうしてこうも察しが良いのか。口籠る自分の視線の先を追って一郎が顔を声のした方へと向ける。何やらかしたんだ?と口の箸を吊り上げる一郎に嫌な予感が募っていく。スッと解放される腕。自信満々の一郎が身構えるように立つ。


「何だか知らねえが、コウスケが困ってるとなっちゃぁ放って置けねぇよな」

「一郎止せ!」


かかってこいとばかりに意気込む一郎の腕に思わず今度はこちらが飛びついた。相手を知ればきっと一郎は驚くだろうが、何より自分と関わりがあると奴らに知られるのが一番嫌だった。一郎まで巻き込みたくない。既に巻き込んでしまっているのかもしれないが、これ以上彼に、皆に迷惑をかけたくない。況してや一郎が奴らと接触すれば悪い方向へと転がっていくのは安易に想像できた。


「頼む、止めてくれ。一郎」

「どうした?俺なら全然平気だ、」

「駄目だ、一郎。お前は手を出したら…駄目だ」


必死に彼の腕を引いて止める。一郎の顔から笑顔が消えていく。忙しない足音が近づいてくる感覚がする。早く、行かなくては。


「…理由は?って、聞いても教えてくれなそうだな」

「悪い。理由は言えない」

「コウスケ、」

「ただ、いつか説明する。だから今は見逃せ。知らん顔しろ。俺と、関わるな」


静かに彼の腕から手を離す。追っ手の声が近い。この現場を見られるのもマズい。一刻も早く離れなければ。こんな自分にも優しい一郎を護らなければ。腕を離し、少しずつ離れていく俺を捕まえようとしたのか一郎の遠慮がちに伸ばされた腕を無視してフードの奥で笑う。


「頼むよ、一郎」


そう呟くように吐き捨てながら再びフードを深く被り直し、踵を返して走り出す。一郎が追ってくる気配はない。奴らが一郎を無視してこっちを追ってくる声と足音が聞こえる。そうだ、来い。目的は私一人だけで良い。他の皆に目をくれるな。私だけを、俺だけを狙えばいい。再びどうやって奴らを巻こうかと駅までのルートを再検索する。一郎は、どんな顔をしているだろうか。どう言い訳しようか、なんて考えていた頭を投げ出して足を動かした。





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