「着きましたよ」

「あざーっすっすー!」

「態々送ってもらってしまってスミマセン」


シンジュクの見覚えのある建物の前で停まった一台の車。後部座席の両サイドに座っていた独歩さんと一二三さんが闇夜のひんやりとした空気が広がる外へと降り立つ。急に広々とした空間に変わる後部座席に座ったまま降りていく2人を見送る。


「じゃあコウスケもまたな」

「はい。また、夕飯作りにお邪魔します」

「嗚呼、待ってる」


先生またね〜!なんて上機嫌の一二三さんがヒラヒラと運転席に居る先生に手を振ってる横で、後部座席を振り返った独歩さんが優しく笑ってドアを閉める。ふわりと入ってきた夜の空気が心地いい。


「おやすみなさい」

「おやすみ」

「おやすみんっ!」


ドアの窓を開け、小さく手を振る。バイバーイと一二三さんが大きく手を振り、独歩さんも片手を挙げて挨拶するのを見て先生がゆっくりとアクセルを踏み出す。車が動き出し、それなりに2人から離れた所で大人しく座席に座り直した。


「さて、と…」


先に呟いたのは先生だった。ふう、と息を吐き座席に座り直したところで先生は通りに出るや否やバックミラーでこちらに視線を送っていた。居酒屋から独歩さんと一二三さんが乗っていた先ほどまでの空気とは一転。2人きりになった車内で少しばかり気まずい空気が流れる。


「俺は駅で下ろして貰えれば―…」

「残念ですが君の意見は却下します」

「やっぱり」


ニッコリと微笑んだ先生から吐き出されたその表情と全くマッチしていない言葉に脱力する。大人しく下ろして貰える訳がない。分かっていた。だから2人と一緒に降りることも考えていたが、降りたところでそこからどう2人に言い訳してその場を後にしようかと悩んだ末に降りない事を選択した。下手をすればまた家に泊まっていけばいいなんて言われるか、不審に思われるだけだ。そう思ったから、この選択をしたのだが。


「もうこんな時間ですし、今日は私の家に泊まるといい」

「わー、神宮寺先生に誘拐されるー」

「こら」

「冗談ですって」


自分でも驚くぐらいの棒読みで外の景色を眺めながら言えば、ミラー越しで運転している先生が少し顔を顰めた。時間を確認して確かにもうこんな時間かと吐息する。しかし今駅に駆け込めばまだギリギリ終電には間に合うだろうか…そんな事を思いつつ、心地よい車の揺れに身を委ねてしまいそうになる。別に先生は俺の正体を知っているし、危険はない。偶にはこういったのもアリか…なんて。


「安心しました」


寂雷先生の優しい低音が車内響く。微睡に身を預けかけていた意識がぼんやりと浮上する。夜だと言うのに、やはり通りに出た車窓の向こうのシンジュクの町はネオンなどの建物の明かりはギラギラと輝いていて眩しいぐらいだ。


「何がです」

「君が、自分の事を話せる相手が出来た事に」

「酒の勢いと自分自身が酔っていて覚えてない状態でも、ですか」

「ええ、それでもです」


会社帰りに飲んだのか頬を赤らめながら上機嫌に帰路に着く人、華やかな格好でこれから夜の町へと繰り出していく人など様々な人が行きかい、車やバイクなんかも未だ多い。そんなシンジュクの町をぼんやりと眺めながら先生の声を聴く。何もかも肯定するような優しいその声に飲み込まれそうになる。


「そろそろ、話してみては?」


しかしその瞬間、スッと何かが覚める。何を?そんなの分かり切っている事だ。唐突に切り出してきたその話題に外を眺めていた視線を運転席の先生の背中に移す。再び先生がバックミラー越しにチラリとこちらを見た。


「…どうして」

「彼らならきっと」

「今の今まで"騙していた"ことを許してくれる、って?冗談キツイですよ先生」

「そうかな」


もはや乾いた笑みしか出なかった。今更正体を明かして何になると言うのだ。実は俺は私で、弟はもう居なくて、家も無くて、皆と仲良くしていたのは実は―…なんていきなり切り出して何になると言うのだ。


「そもそも話してどうするんです?あの人たちにはこんな―…俺の事なんて、関係ない」


独歩さんは言葉を失うだろうし、一二三さんは正体を知った途端に一変するだろうし2人とも平常心でなんて聞いてくれないだろうし、下手をすれば2人の…特に一二三さんのトラウマになりかねない。


「本当の事を話せば、彼らに嫌われると?」

「……そんなの嫌われるに決まって…」

「では、今まで築き上げたこの関係を崩したくないんですね」

「…何が言いたいんですか」


ハンドルを握ったまま、視線をこちらに向けることないまま先生が言葉を紡いでくる。困ったように、悲しそうな雰囲気を含んだ優しい口調が、痛い。それ以上の言葉を聞いてはいけない気がするのに、酷く遠回しな言い方に苛々してつい口調が強くなる。


「君は、彼らに嫌われることを恐れている」

「…………は、」


空気が塊になって口から吐き出される音が漏れた。先生の一言に一瞬だけドキリと跳ねた心臓が今度はズキリと痛む。何かに突き刺されたような感覚。とても苦しい筈なのに、それを徐に表には出せなくて自然と口が微かに弧を描き呆れた口調で声を零す。


「何を言うのかと思えば」

「本当は、気づいているのでしょう?」


その気になれば一瞬で崩せる関係をどうして此処まで続けてきたのか。そもそもこんな関係になるはずじゃなかった。もっとサッパリというか、本当用件のみの会話で済むような関係で良かったはずなのに。ただ、あの子として生きるのならきっとこの関係は間違ってなどいなかったのだろうとも思っていた。
いつだってあの子だったらこうしたかな?こういう友達が居たら楽しかったかな?こういう趣味を持ったかな?なんて思いながら色んなものに手を出したし、色んな人とも関係を持てた。…いや、持ってしまった。持ってしまったのだ。バイト先でも、こうした日常でも。いつでも切ろうと思えば切れると思って縁を繋がりを広げてしまった。


「(……嗚呼、くそ…)」


リュックのポケットにしまった例のモノもその時使わねばならない時が来た時、本当にその人に向けられるのか。何の迷いもなく。躊躇せずに切り離せるか…?嗚呼、いつの間にこんな疑問を作ってしまっていたのだろう。


「……それでこんな茶番劇は終わらせようって?」

「御厨くん」

「甘い。甘いですよ先生」


嗚呼、切り離せる。切り離せるに決まってる。切り離さなければ。出来る。今までもそうして生きてきた。出来る。出来るに決まってる。何を迷う必要がある。本来の自分の目的を忘れるな。皆に関係ない事だし、むしろ自分との関係を切った方が皆は安全な場合だってある。
いつだって先生は味方だ。それは理解してるし、いつだって優しいことを知っている。だからと言ってその手には乗らない。俺の、私の本来の目的をマイクも使わずに説得だけで辞めさせようなんて。嗚呼、ほら優しい。いつだって優し過ぎるのだ先生は。


「御厨くん!」


眠気も飲み会の余韻も心地よさも全てどこかに飛んで行ってしまった。目が覚めてしまった。ちょうどいいタイミングと言えばいいのか信号待ちで止まった車のドアに手をかける。2人を下ろした後ロックを掛けなかったらしく、すんなりと開いたドア。先生の驚いたような声を背にそのまま勢いよく外へと飛び出す。


「悪いけど、此処で降ります。今日はありがとうございました、先生」


ニコリと微笑んで軽く会釈をするとそのまま踵を返しネオンの明かりの輝く夜のシンジュクの町へと飛び込んでいく。後ろで先生がまた名前を呼んだ気がしたけど振り返らずに駆けていく。今から駅まで走れば終電には間に合うだろう。今は兎に角シンジュクから出なければ、何処でもいいから離れなければ、そう思った。
いっそ先生の優しさに飛び込んでしまえば楽だろうに、なんて誰かが脳裏で呟く。嗚呼、きっと楽なんだろうな。皆の優しさに甘えてこのまま嘘の人生に浸っていられれば幸せなのだろう。でもきっとはそれは無理だ。いつかそんな時が来る。それは覚悟の上、覚悟していたのに…。


「……怖くなんか、ないっての」


吐き捨てた声が微かに震えているような気がしたけど、聞こえなかったことにする。これ以上考えたら動けなくなってしまいそうで、とにかく駅に向かって路地を駆け抜けた。





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