嗚呼、失態だ。

起きたら目の前に独歩さんの顔があるなんて、誰が予想できただろうか。目が合った瞬間頭が真っ白になってただひたすらにシンジュクを飛び出した。人前で寝てしまったなんて失態は今の今までなかった分、心臓の高鳴りがしばらく収まらず自分の本当の"正体"がバレていないか不安で不安でどうしようもなかった。
更に言えば眼鏡を置いてきてしまった。伊達眼鏡なので生活に支障はないが、今頃独歩さんや一二三さんには伊達眼鏡という事はバレてしまっているだろう。眼鏡の印象を残そうと今までずっと付けていたし伊達眼鏡だという事を誰にも教えていなかった分、不審がられないか余計不安が募っていく。
確かに仕方ない。仕方ないのだが、本当に酒の力も働いて何かうっかり口を滑らせている可能性が高くて怖い。…嗚呼、そうだ。自分は"怖い"のだ。一二三さんもホストだし、聞き出すのも話を聞くのもそこらの一般人に比べればかなり上手いだろう。それでもあのまま家に置いてくれた上にソファーで眠らせてくれた事を考えると何も話していないのかもしれない…。不安と安堵が交互に襲い掛かってくる。

高鳴る心臓を無理やり押さえつけ、息を整えながらどうにかこうにか電車に飛び乗り逃げた先はイケブクロ。その足でネットカフェに飛び込みシャワー浴び、身形を整え適当に時間を潰そうとしたが集中できずそのまま早数時間。未だ不安は拭えないがずっと入り浸っているわけにもいかず重い足取りで溜め息を吐きながらネットカフェを後にした時だった。


「あれ?コウスケさん?」


不意に飛んできた声に視線を上げる。視線の先に立っていたのは見覚えのある長身の青年。青い上着に帽子。黄色と緑のオッドアイが不思議そうにこちらを見つめていた。


「あ、二郎くん」

「やっぱコウスケさんだ」


自然と近づいてきた彼はやはりデカい。自分もそれなりに身長があると思っていたが、軽く見下ろされてしまうほどにその差は歴然。これで高校2年生とは驚きだ。


「どうしたんスか。こんなトコで」

「えー…まぁ、ちょっと色々野暮用でさ」

「へぇ〜…大変ッスね」


少しだけ下がっている目尻で不思議そうにこちらを見てくる二郎に対し、丁度いい言い訳が見つからず苦笑しながら応える。今起こっている自分の中の混乱を話したところで余計変な話にもつれ込むのは目に見えている。下手をすれば自分の正体について危うい展開も考えられる。受け流すように視線を外せば、色々バイトを掛け持ちしていることを知っているからなのか彼は良いのか悪いのかそれ以上何も突っ込んでこなかった。
逆にどうして二郎くんがここにいるのかと問えば、何やら萬屋ヤマダとして一郎が受けた依頼の手伝いで出かけていた帰りらしい。お疲れ様なんて声をかければありがとうございますなんて素直に返事が返ってくる。これがブクロの番犬か。


「にしても、よく分かったな」

「ん?何がっスか?」

「いや、人多いし今眼鏡かけてないのにあんなトコからよく俺だって気づいたなぁって」


丁度自分が立っていたネットカフェの前から二郎が声を掛けてきたところは少しばかり離れていたし、時間帯の影響か少し人通りも多い。何よりもいつもかけている眼鏡を今はしていない。それに少し俯いていたはずなのによくもまぁ自分だと気づいたものだと感心していれば、二郎の視線が少し戸惑ったように動く。


「え、いや、そ、そんな、誰だってすぐ分かりますよ」

「そうか?」


戸惑いながら逸らされた視線と心なしか少しばかり赤く染まったような彼の顔を見上げて、ふうんと声を零しながら吐息する。そうか、眼鏡が無くても自分だと理解できるのか。嬉しいような、それでは駄目だという複雑な気持ちが入り乱れる。眼鏡の印象で自分の本来の顔をぼやけさせなければいけないのに。…まぁ、何度か顔を合わせているヒトなら分かるのも当然か。という諦めも見え隠れしてつい吐息が漏れてしまう。


「やっぱ、何かあったんスか?」

「……んーん。別に。何もないさ」


不意に自分の顔を覗き込むように彼の整った顔が視界に飛び込んでくる。年下が一丁前に心配してんじゃないと彼の帽子のつばを掴んで軽く下げてやる。何すんスか!と慌てる彼が面白くてつい笑みが零れてしまう。
…嗚呼、そういえば"あの子"も今頃なら彼と同じ年齢だったか――…なんて、脳裏で誰かがぼやいた気がした。


「あ、コウスケさんじゃないですか!」


本日2回目。何だがさっきと同じパターンの匂いを感じながら声の方を振り返る。ゲッという二郎の声を聴きながら視線の先に飛び込んできたのは見覚えのある顔。というより今自分の横にいる彼と似ている顔だ。


「ご無沙汰してます!」

「おー!三郎くん」


久し振り、なんて声を掛け合いながら近づいてきたのはこれまた長身の青年。山田家3男にして二郎の弟の三郎だ。少しばかり幼い顔つきはとても中学生らしく、その笑顔は可愛さすら伺える。にっこりと笑いながら挨拶を済ませると三郎の顔がスッと険しくなる。


「で…?なんでお前がコウスケさんと一緒な訳?」


嗚呼、そうだった。この兄弟、色々と訳アリだった、と思ったのもつかの間。傍にいた二郎にこれ以上ないほど鋭い視線で威嚇するように睨み付ける三郎に対し、二郎もあからさまに不機嫌な表情を浮かべながら三郎を見下ろす。


「うっせーな。何でもいいだろうが。ってか兄貴に向かってお前とか言うんじゃねえよ」

「お前の事をなんて呼ぼうが僕の勝手だろ?この低能」

「あ?テメエ今なんつった」

「コウスケさんこれから時間あります?良ければこの前手に入れた新しいボードゲームで僕と勝負しませんか?」

「無視すんな!」

「煩いな!僕は今コウスケさんと話してんだよ邪魔すんな!」

「何をォ?!俺の方が先にコウスケさんと話してたんだよ!!邪魔してんのはそっちだろうが!!」

「ちょ、ちょっとちょっとお二人さん?」


此処が街中だと言う事を忘れてるのではないかと思うほど、2人の熱はヒートアップしていく。傍を通り過ぎていく人たちの視線が痛い。とりあえず落ち着かせなければと声を上げるが2人の耳には届いていないようで今にも殴り掛かりそうな…いや、下手をすればマイクを取り出しそうな勢いの2人に直感的に危機感を感じた矢先、


「お、二郎に三郎じゃねえか。ん?それと…コウスケか?」


本日3度目の似たようなやりとり。ピタリと動きを止めそちらに向き直った二郎くんと三郎くんの顔と似た顔がこちらを少し驚いたような表情で見つめていた。


「一郎」


緑と赤のオッドアイが笑う。「一兄!」と綺麗に二郎くんと三郎くんの声が重なる。両手にスーパーの袋を抱えた山田一郎がそこには居た。二郎くんが聞いてくれよと一郎に「自分と話していたのに三郎が邪魔してきただの何だの」と言い出し、それに対し三郎くんが「僕がボードゲームに誘ったのにとかなんとか」と再び喧嘩の兆しが見え始めた時。ゴンッと鈍い音と共に「喧嘩すんなって言ってんだろ」と2人の頭に一郎の拳が落ちてどうにか止まった。


「こんなトコでどうした?なんか困りごとか?」

「…いや。別に何でもない」

「本当か?」


デジャブのように感じるほど、二郎と同じことを言っている一郎につい笑みが零れる。そんなに心配しなくても大丈夫なのに。寧ろどうしてそんなに心配してくれるのだろうかとすら思えてしまう。


「一郎の顔見たら、もうどうでもよくなった気がする」

「そっか」


そりゃぁ良かったと一郎が笑う。不思議と本当に先ほどまで感じていた不安も胸の高鳴りもいつの間にか消えていて、そこまで深く考えなくても何とかなりそうな気になってきた。シンジュクのあの2人に正体がバレていればきっと家に泊めるなんてしてくれないだろう。一二三さんも正気ではいられないだろうし、独歩さんも起きた瞬間に問い詰めてくるだろうし…。

そこまで考えを巡らせていると、ピコン!と途端にスマホが鳴った。LINEの通知を知らせるその音に小さく驚きながらもとっさにLINEを確認する。…噂の一二三さんからだった。
ゴクリと唾を飲みながら恐る恐るメッセージを見ると「眼鏡忘れてるぞ〜いつでもいいから取りに来いよ〜」という今にも一二三さんの声が聞こえてきそうな文字の羅列と一緒に眼鏡やら薔薇やら凄い絵文字に囲われたメッセージが画面に表示されていた。それを見て思わず笑みが零れる。嗚呼、心配するほどの事でもなかったようだ。
最悪、眼鏡を取りに行ったときに探りを入れてから今後の事を決めればいい。最終手段を使う事にならない事を祈りながらスマホをしまえば、一郎が「用事か?」と聞いてきたので「ううん」と首を横に振る。


「折角だし、飯食って行くだろ。ってか久々に何か作ってくれよ」

「え、」

「二郎も三郎もコウスケの飯食いたいよな?」


んじゃぁと口を開いた一郎の言葉に、ぐるりと視線を映せば「コウスケさんの…」「手料理…」と、先ほどまでの気迫が嘘みたいにキラキラと目を輝かせている2人の男子。子犬のような眼差しに断る選択肢は残されてなどいない。以前にも何度か山田家のご飯の手伝いはしたことあるが、自分が居なくとも一郎の料理は最高だし、二郎くんも三郎くんも料理は上手いと思う。それでも作ってくれというのは「一緒に飯でも食おうぜ」という一郎様特有の遠回しのお誘いで…嗚呼、完全に山田家の波に飲まれてしまっている。


「はぁ…いつもお世話になってる萬屋ヤマダ様に頼まれちゃぁ仕方ねーなー。二郎くんと三郎くんは何食べたい?」

「え、俺の意見は無しか?」

「お兄ちゃんだろ?我慢しなさい」

「あー!兄弟のいる家庭で兄貴が一番聞きたくない台詞!」


とりあえず不安因子は落ち着いたし、今日はバイトもない。久々に誘いに乗るのも良いだろう。素直に山田家の波(ペース)に飲まれるとしよう。スーパーの袋をぶら下げ、苦笑しながら歩き出していく一郎の後を追って歩き出す。未だ喧嘩の余韻が残っているのかお互いを睨むように不機嫌そうな表情のままの二郎と三郎もその後をついてきた。





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