はあ、と吐き出された1つの息に合わせて綺麗な紫の髪が微か揺れる。困り顔の額に手を当てながら小さく首を振ったその人の前で、俺は静かに回転椅子に腰かけながらその口が開くのを見つめていた。


「また無茶をしたそうだね」

「い、いえ。無茶というほどでは―…」

「たった一人で密輸・裏組織関係の倉庫に乗り込んだ事が無茶ではない、と?」

「……偵察のつもりだったので」


口を籠らせながら応えるとその人は、はあと本日何度目かのため息を吐いて青い瞳を微かに揺らす。細められた青い瞳が真っ直ぐに自分を射抜いている感覚に、まともに顔を向けることも出来ない。この人には逆らえない。
神宮寺寂雷。新宿の天才医師にしてシンジュク・ディビジョン代表 摩天狼のリーダー。世間では"神様"と崇められることもあるこの人は、私を救ってくれた人の一人。つまり、先ほど自分を此処に連れてきた張本人である左馬刻さんを除いた、世界で私の秘密を握る人物の内のもう一人だ。
異様な威圧感からこの人には左馬刻さんや一郎に向ける態度は取れやしない。本当に神様と対峙しているような…いやもう少し親近感があるか。凄いザックリと言えば保護者みたいな感じに似ているかもしれない。見守ると言うより見張っているという方が近い保護者。


「目的は、やはり違法マイクかい?」


直球で聞いてくる寂雷先生は、自分自身がこれから行おうとしている計画も目的も理由も何もかも知っている神様。俺を私として諭してくれるのはこの人だけ。だから左馬刻さんは此処に連れてきたのだろう。気に喰わない事を言った仕返しに寂雷先生に叱ってもらおうと。それが一番私の心にダメージを与えられる事を知っているから。
左馬刻さんが突如病院に乗り込み、休憩中だった寂雷先生を呼び出し帰っていった後残された自分に向けられる病院側からの冷ややかな視線と言ったら…思い出すだけでも恐ろしい。あの左馬刻さんだけではなく、わざわざ寂雷先生を呼び出せるほどの人物として病院側にマークされてもおかしくない。先生も先生で休憩中なら応答しなくていいのに。


「気持ちは分かるが焦りは禁物だ。無茶な真似は止めなさい。怪我をしたらどうするんだ。それで君が死んだら元も子も―…」

「現に怪我してないですし…あ!病院は怪我した人が来る場所ですもんね!俺、怪我してないんで帰ります!寂雷先生、休憩中にお邪魔しました!」


これ以上この空間に居たら丸め込まれてしまう。抱えているリュックのポケットに忍ばせているせっかく作り上げたソレも取り上げられてしまいそうで。上手い言い訳を捕まえるとそのまま逃げ出すように流れるような口調で素早く椅子から立ち上がる。待ちなさいという静止の声が飛んでくるより前に身を翻し、診察室のドアに手をかけた。


「最近、独歩くんや一二三くんに会っていないね」


いつもなら「待ちなさい」と静かな声が飛んでくるはずだったのに、その予想外に飛んできた言葉に診察室のドアに手をかけたまま思わず立ち止まってしまった。卑怯だ。


「一二三くんが連絡しても返事がないって泣いていたよ」

「…仕事で忙しい時は返事返せない時があるって断ってあるんで」

「独歩くんも意識してるのか分からないけど、時折君の話題を振ってくる時があるよ」

「…無意識でしょう。話題がないから何となく俺の名前が出てきただけで」


ドアに手をかけたまま応える。振り返ることはない。でも寂雷先生が目を伏せて微笑みながら言葉を紡いでいる姿が目に浮かぶ。そういえば最近シンジュクに顔出していなかったか。先生の言う通り、一二三さんにしつこく聞かれて仕方なく交換したLINEにメッセージが届いていたような気がする。普段から連絡を取り合う人なんて居ないからそのままにしたままだったか。
それなりに間隔を開けつつも料理を作りに家にお邪魔していた人物が不意に来なくなって心配でもしているというのだろうか。そんな、まさか。神出鬼没でどんな生活をしているのかも知らない、教えないこんな人間を心配だなんて。


「君が居なくなったら、悲しむ人は居るんだよ」


一郎くんも一郎くんの弟くんたちも、左馬刻くんもみんな君を気にかけてくれているだろう?と落ち着いた静かな声が診察室に響く。いつの間にか増えてしまった繋がりを、切るに切れずにいる繋がりを先生は良いことだと笑う。褒めてくれる。俺自身、どうしたらいいのか分からなくなるほどに悩んでいるというのに。


「…卑怯ですよ先生」


そう、いつだって先生は卑怯なのだ。何かと諭す時に自分の弱みを確実に突いてくる。逃げるに逃げられないラインの事を隙あらば突き刺し、俺自身を崩そうとしてくるのだ。


「でも俺は俺の道を進むしかないので。もう…決めた事だから」


先生がしようと思えばヒプノシスマイクで自分の事を"治療"出来る筈だ。でもそれをしないのは自分自身の意思でこれから進もうとしている道の進路を変えて欲しいのだろう。自分自身と葛藤して真っ直ぐに戦って欲しいのだろう。
でも、それは無理だ。疾うの昔に決めた事。あの日誓ったそれを今更投げ捨てるなんて出来るものか。たとえその先に待っているものが絶望でも死でも無だったとしてもそれでもやり遂げなければならないのだ。此処で、折れる訳にはいかないのだ。それほどまでに"私は"脆くない。
最後まで振り返ることなく、失礼しますと吐き捨てながらドアを開けて診察室を飛び出す。病院独特の匂いを吸い込みながら足早に長い通路を進む。すれ違う看護婦さんや患者に不審な目を向けられながらも一気に病院を飛び出した。





×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -