冷たい熱に浮かされる


 その夜は、なんとなくすぐ眠る気が起きなくて、けれども別段何かをするという訳でもなく。私はベッドに転がったままひたすらに呆けていた。その刹那に響いた曲が携帯の着信音であること、しかも特定の相手のそれだということに気付いてはいた。いや気付いていたからこそ、態ともたつきながら携帯の通話ボタンを押した。

「……なに」
『おっせーよ』

 電話を受ける際に確認したディスプレイに表示された時間は、一般には夜中と言われる時間帯であった。しかも、今日は偶々起きてはいたもののいつもなら私だって寝ている筈の時間なのだ。電話相手、もとい高尾とはある程度親しい間柄ではあるけれど、こんな時間に電話を掛けて来る自分の非常識さは棚に上げて人のことだけ非難することに正直むっとしたのだが。今日の私は寛大なのだ。感謝しやがれ。

『お前今暇か?』

 時間のことはさて置き、暇かと問われればこれ程暇だと言えることもない。「うん」と短く言うが早いかどうかというところで『降りて来い』とのたまった。

「なんでよ」
『なんでってなんだ』
「だってやだ。寒いし」
『俺だってさみーよ』
「は?なんであんたが……ねぇちょっと」
『なんだよ』
「今あんたどこにいんの」
『はー?お前ん家の前だけど』

 なんとなく予想の付いてたそれの答え合わせをするよりも先に、部屋のカーテンを勢いよく開ける。探すまでもなく見付かった電話相手は、自転車に跨ったまま此方を見上げている。思わず小さく「ほんとにいるし」と漏らせば、電話口から遠かったらしく『なんて?』と問われ「なんでもない、」と返した。
 答え合わせは見事に正解だった訳だが、当然と言わんばかりの返答に腹が立つ。こんな時間に電話を掛けて来る時点で非常識とは思ったが家にまで来るとは。耳に当てたままの携帯を握る手が少しだけ汗ばむ。平然を装いつつも私は確実に動揺していたからだ。それは非常識云々の話し以前に……いや急な電話も訪問も問題であることは間違いないのだが。兎に角私は、電話相手やら今現在目の前にいる人物に対して酷く動揺したのだ。取り敢えず降りて来るように急かすのに渋々ながら従うように言って一旦電話を切ると、目に付いたパーカーを羽織ってこっそり家から抜け出した。

「おーす」
「…何やってるの」
「うっわお前何その格好」
「普通にパジャマですけど」
「さっむ」
「だから、」

 言ったじゃない、と声にするよりも先にジャンバーを被せられる。体温が残ったままのそれは、なんだか妙に生々しく感じられて気恥ずかしかった。「いいし」と断れば「いいから着とけ」とご丁寧にファスナーまで閉められた。黙ったままでいれば今度はマフラーまで寄越して来たので流石に断ろうとする。しかし、問答無用と言ったようにぐるぐると巻き付けると「よし」と小さく漏らした。
 言っておくが全然全くかなりよしではない。私は殆んど完全防寒といった具合だが一方で高尾の方は心許無いにも程がある。しかし返そうとしても頑なに受け取ろうとしないので、有り難く借り受けることにした。やはりほんのりと残る温かさに顔を埋める。こういうところが、いやなのだ。

「つーか、早く乗れ」
「は?どこ行くのよ」

 「いいから」と急かされるままに二台に乗ると、そのまま走り出そうとしたので慌てて高尾の腰に手を回した。必然的に高くなった密着度に比例する心拍数は、どうしようもなく不可抗力であったのだがきっと高尾にも気付かれているのだろう。私は何食わぬ顔をしたまま、矢鱈と大きくなってしまったように感じる背中に額を押し付けた。
 結構なスピードで走る自転車は、明かりが疎らな夜道を進む。高尾が風除けになっていて私はあまり寒さを感じないのだけれど、高尾はもろに風を受けているのではないか。そんなことを危惧していれば案の定「さっみー!」と唐突に叫びだしたので「何時だと思ってんの」と背中を小さくグーパンした。ざまあみろ、だから言ったのに。心配は、口に出してやらない。私はそんなに殊勝な女ではないのだ。

 夜道というものはよく知っている筈の道であったとしても、まるで全く別の場所であるかのような感覚に陥ってしまう。それは暗さ故の視界の悪さというのもあるのかもしれないが、人も殆んど見受けられないだなんてなんだか異世界にでも迷い込んでしまったかのようで妙な不安を感じてしまうのだ。そんなことは実際に有り得ないことだとはっきりと理解しているのだが、なんだかこの世界で私と高尾のふたりきりのような、そんな夢見心地とも言える感覚が私の中にあって。どちらかと言えば願望に近いそれは決して叶うことはないのだけれど。
 冷たい風が頬を切り潮の香りが届いたとき、私はこの場所をやっと認識できた。真っ暗な空気と海水は、日中のような爽やかな雰囲気を一掃してどうにも恐ろしく構えているだけだった。そのまま自転車を止めた高尾に倣って二台を降りれば、高尾は私の右手を取って浜辺へと引き入れた。限りなく無人のそこに置かれていくふたり分の足跡を何気なく眺めた。

「お尻が痛いんだけど」
「へーへーすいませんねー」

 繋いでいる、というよりも掴まれている、といったような私の右手から伝わってくる熱は確かだった。それでも何処か甘やかさに欠けるそれは私たちらしいと思った。海に沿って暫く進めば高尾は急に立ち止まって「疲れたー」と零しながら砂浜にそのまま寝転がった。当然、右手を奪われたままの私もそのまま転がる訳で。ああもう、パジャマにも髪の毛にも砂が付いてしまう。

 ふとポケットに突っ込んだままの携帯を取り出せば、ちかちかとライトが点滅を繰り返していた。なんだか煩わしく感じたそれを頭の端に追いやって、携帯の電源を落とした。高尾はそんな私の行動をそれとなく目に入らないようにしつつも、止めることも咎めることもそれ以外のことも何もすることはなかった。
 今度は高尾の携帯だろう、誰でも知っていそうな流行の曲が流れる。高尾はそれを確認することもなく、私もそれに対して何か言うでもなく黙ったまま高尾に顔を向けてみる。軽快な音楽はなんだかとても無機質に感じられて、この何処か重苦しい情景に不釣合いだった。

「高尾、」

 耳障りなBGMが鳴り響く中、小さく言葉を紡ぐ。私の携帯に届いていたであろう並べ立てた軽薄な愛の羅列も、高尾の携帯を鳴らす向こう側の彼女の想いも、今の私にはただただ陳腐にしか感じられないのだ。
 なんとなく、ではないのだ。眠れなかったのは、云いたかったからで。動揺したのは、会いたかったからで。

「生まれてきてくれて、ありがとう」

 最高に臭い台詞だって、言えてしまうんだから。もっと大切なこと、ちゃんと云えられればいいのにね。


2012.11.21高尾はぴば!


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