手抜きだらけのラブロマンス


「なんしよん」

 殆んど独り言のように漏らしたそれは隣で何か、に勤しむ彼にはしっかりと届いたらしい。机に噛り付くように一生懸命ペンを走らせるそれが只の板書ではないことは、隣から断続的に聞こえてくる芯の削れる音から察せられた。明らかに板書の量を超えたそれは先生の瞳には、非常に熱心に授業に取り組む生徒に映るだろう。しかし私の知っている限りでは彼、伊月は度を越える程真剣に授業を受けるような人ではない。恐らく、今の彼は板書なんかは全くしていないのではないのだろうか。授業以外の何かを授業中なのに、それとも授業中だからこそなのか、黙々とこなしている。だからといって決して授業に集中していないことを咎めている訳ではない。かくいう私も眠り唄のような徒然無い授業に飽きた故に彼に声を掛けてみただけなのだ。
 授業中は暇だ、それが一般的な高校生の大半の証言である。当然そんな機微を彼も察するに至ったらしい、視線だけを向ける私に小さく笑んで見せた。授業中の暇というものは授業を受けている我々だけが感じているものであり、本来なら授業自体が目的なのだから暇も何もあったものではないのだが。しかしこの教室の中でのイレギュラーは、正に授業を行う先生ただ一人だけなのである。その一人を皆一様に如何に誤魔化し、より授業中の暇を埋めるかが学生の費やす時間の大半と言ってもいいだろう。だからこそ私も彼も先生の様子を伺いつつ、密やかな密談を進めるのだ。

「なんそい」
「これはなー、ネタ帳」

 なんじゃそら、一度視線を前方に移して溜まった板書を進めつつ再び彼の手元を見やる。驚くほどに埋め尽くされる文字たちに少しばかり気分が悪くなりそうだった。小さく眉を顰めると、両腕を使って文字たちは庇われるように隠されてしまった。

「え、なんで隠すと」
「いや、見るのは禁止なの」

 お楽しみは取って置く方がいいじゃん、そう続けた彼に対してあまりにもあからさまにげんなりしてみせた。しかし少しばかり意外ではあった。彼の駄洒落好きは隣の席になってから知ったことではあるが、それについて問えば自慢とばかりに見せてくるものかと思っていたのだ。しかしそんなことをされても殆んど迷惑と変わらない、その為にそのことについて触れずに来たのだが今しがたそれについてがっつり触ってしまったところだ。見ても特に面白いということはないだろうと、時折耳に入る彼のギャグセンスからは察せられたが、ダメと言われたらやりたくなるというのが人の性だ。隠されたら余計に気になってしまう。

「ちょお、見せんね」
「なんでだよ」
「いいじゃん」
「よくない」

 彼は意外にも頑なだった。シャーペンの蓋で腕を突いてお願いしてみてもダメだった。しかしダメと言われれば余計以下略

「授業中だよ」
「全く授業受けてなかった人が何を今更、つか数学だからいい」
「……お前、数学の成績良かったっけ?」
「全然?むしろ悪い」
「じゃあ、授業聞きなよ」
「だって分からんし。ていうか伊月だって聞いてないやんかて」
「俺は数学いいもん」
「お前……敵だ」
「そりゃどーも」

 数学なんて未知の教科が得意なんて奴は宇宙人に違いないというのが私の持論である。数学っていうか、理系全般全滅もいいとこなんですけどね。奴ら私の成績表に総攻撃仕掛けて来るからね。宇宙人こわい。そしてさり気無く話題をすり変えられていることに気付いた私は彼が宇宙人だったことも相俟って静かに憤慨した。

「ねー、ちょっと見るだけやっかー」
「だーめ」
「別にやましいこと書いてる訳やないんやろ」
「そんなんじゃない」
「じゃあいいじゃないですか」
「じゃあじゃない」
「けち」

 不貞腐れたように前に向き直ると板書が大分遅れてしまっていた。ちっ、伊月の所為で、と心の中でぼやいてから少し荒く文字を綴る。しかしそれとなく隣を伺ってみる。彼がまたネタ帳とやらを書き始めたときに盗み見てやろうと思っての板書再開なのだ。元々理解不能だった授業が彼との会話中に一部聞き逃したお陰で異国の言葉へと早変わりだ。しかし、そんな浅はかな思考は読めてますとばかりに此方に笑顔を向ける伊月は中々いい性格をしていると思う。

「授業受けなよ」
「伊月だって、授業聞かんと知らんよ」

 いくら数学が得意だからといって授業も聞かないで理解するだなんて未来人私は断じて認めません。断じて、

「ノート見れば大体は理解できるからいいんだよ」

 ぶん殴りたい衝動は抑えられたが思いっきり顔に出てたらしい。小さく吹き出す伊月のことを殴ってもいいんじゃないだろうか。殴っていいですかせんせー。いや、でも確か彼はバスケ部レギュラーだった筈、バスケ部といえばリコが監督をしているんだったか。大切な部員に怪我でもさせたらリコからの鉄拳が怖い、先生よりも宇宙人よりも怖い。そう言えば彼女は理系のみならず他教科もオールマイティにこなす超人であったか。宇宙人を越えるのも仕方がない。

「ていうか、伊月ノートも取っとらんやんかて」
「だからお前が板書しないと困るんだけど」
「はあ?……あぁ、」

 つまり私のノートを写させろと、そういうことですか。

「だが断る」
「言うと思った」
「なんで私が……あ、それやったら」
「ネタ帳見せろとかなしな」
「あら、伊月クン貴方立場が分かってらっしゃらないんじゃなくて?」
「どんなキャラだよ、つかお前も交換条件出せるような立場じゃないからな」

 何が、と返そうとして前方を指差される。まさか先生に気付かれたのかと一瞬焦ったが何のことは無く授業は続けられている。もう一度隣に視線を返すと左端、とよく分からない単語を付けられた。黒板に向けられたままの指先から、ああ黒板の左端ね。とようやく理解が追い付いた。しかし一体なんなんだ、と黒板の左端、授業の板書とは別に赤いチョークで書かれたそれは少しばかり見難かった。赤チョークってよく見えないよ、ね。

「は!?」

 思わず大きくなった声を誤魔化すように咳き込めば「大丈夫かー」と心配しているのかどうなのかよく分からない声を掛けられた。「平気でーす」と此方も適当に返答をしてから隣を見れば笑いを堪えてるのがありありと分かった。

「なんあれ」
「さっき先生言ってたぞ」
「私は認めん」
「認めなくても小テストはなくならいからな」

 黒板の箸に書かれたそれは小テストを行うという内容であり、範囲に今日の授業が大いに含まれていた。しかしもうどうしようもないくらいに進んでしまった授業は板書で精一杯なのだ。しかもこの先生は小テストで赤点を取ると放課後まで残される。どうする、リコに教えてもらうか。いやそんなことを言ったら勘のいい彼女には授業を聞いてなかったことがばれてしまう。そうすれば自業自得だと言われて教えてもらえないということになりかねない。そんな友人にさえ厳しいところが彼女のいい所ではあるのだが。いや、なんとか言いながらも教えてくれるかもしれないが、生徒会にバスケ部監督など、何かと多忙な彼女に頼むのはいささか気が引ける。そんな中、隣からの視線を感じてギギギ、と寂れたロボットのように彼を向けば先程のいい笑顔を向けたままである。

「ん?どうした?」
「……」

 態とらしい言い方に舌打ちしたくなったが、流石に女子としてまずいだろう。

「なんか言いたいことがあるんじゃないのか?」
「チッ」

 やっちゃったよ。でもだってすっごい嫌味じゃないのかな、この人。なんだその笑顔はワンパンキメてやろうか。リコが怖いから言ってみただけだけどね!

「あー、誰かにノート写させてもらわないとなー」
「……」
「俺は別に誰でもいいんだけどな?」
「……う」
「ん?」

 漏れ出た声に間髪入れずに反応した伊月に心の中で地団太を踏む。もごもごと口元を詰まらせる私を見るのが大層楽しいらしいです。なにこいつ性格わるっ。しかし、と黒板とノート、そして隣のノートを見比べてみる。既に閉じられたそれの上で頬杖を付いて此方を見やる伊月は見た目だけ切り取れば只のイケメンさんだというのに。頭にチラつく成績表の数字たちに、腹を括った。

「あ、のさ、」
「うん」
「ノート写してよかけん、数学教えてくれん」

 殆んど棒読みの言葉に、いいのかサンキューとこれまた態とらしく言ってみせた彼に歯軋りしかできない。元々そこまでネタ帳自体に興味があった訳ではないのに、ほんの授業中の暇潰し程度の感覚だったというのに。それにも関わらず彼に踊らされてしまったことが悔しいのだ。くっそテスト終わったら絶対文句言ってやる。そう心に誓うとひたすらに白い文字たちを追った。


方言女子!様に提出
方言好きです。かわいいです



BACK


「#オリジナル」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -