彼、赤葦くんと付き合い始めても特に私の生活に大きな変化は見られなかった。ただ、小さな変化で言えばいくつかある。
まず彼は私のことを名前で呼ぶようになった。私は呼び名を変えるのが苦手なので、せめて赤葦さんではなく赤葦くんと呼ぶようになった。それから前より一緒に食事をすることが増えて、送ってもらったあとにたまにキスをするようになったくらいだ。数え上げれば片手で足りるくらい。
わざわざ言うことでもないので、友人には特に知らせていない。聞かれたら答えようとは思うけど、友人との話題はもっぱら授業やサークルについてだ。友人の話には恋愛の噂話なんかも出てくるけど、それについては前から聞き役だったので私に話が振られることはない。

「名前は、なんだか冷めてますね」

カラリとグラスを振って赤葦くんはウイスキーをちびちびと飲んでいた。私の前には冴えた色のチャイナブルーが置かれている。今夜は最近の私のイチオシのお店、チャージの要らないショット・バーだ。大学から3駅ほど離れており、駅前通りから一本入ったところにあるので学生はあまり見かけない。ただ、交通費も含めると結構値が張るので、私もまだ数度しか来たことがない。ここのお酒は美味しくて、バーにしては安いけど、やはり居酒屋に比べて倍の予算は必要だ。

「いや、私なんかより赤葦くんの方がよっぽどクールだと思いますけど」
「そんなことない。だって、俺の方が色々いっぱいいっぱいです」

まだお互い2杯目だったが、赤葦くんは珍しく酔っているようだった。最近発表やら課題やらが重なってあまり寝ていないと言っていたから、酔いが回りやすかったのだろう。

「だって、絶対、俺の方が好きですし」
「いや、まあ、うーん……」
「未だに名前で呼んでくれないし」
「そうね……」

ううん、赤葦くんが喋る度に申し訳ない気持ちになる。ふと目が合ったマスターは、茶目っ気たっぷりににやりと笑っていた。

「名前、すき」
「ん、私もですよ」
「じゃあ」

今日、泊まっても良いですか。
その言葉に、色々なことが頭を過る。部屋掃除してない、赤葦くんの服とか無いけどいいのかな、ていうか、そういうこと、なのかな。経験がないわけではないけど、やはり動揺する。
こんな風に酔ってる人の言うことを真に受けたら駄目なのかもしれない。むしろ、真に受けたら逆に私が襲ったみたいなことにならないだろうか。こういうシチュエーションは、普通、男女逆じゃない?男だったら据え膳だけど、私は間違っても肉食系にはなれないし……

それでも赤葦くんの押しに流されて気付けば自分のアパートの部屋の鍵を開けているのだから驚きだ。赤葦くんはフラフラしていて、とても放置する気にはなれなかった。色々と強引なところがある赤葦くんだけど、最近はなんだかんだで私も彼を好きなんだと自覚している。

「汚いけど、どうぞ」
「お邪魔します」
「そっちに座ってて。ええと、お水とお茶とどっちが……」

聞きかけたところで、突然抱き締められた。え、座っててって言ったじゃないですか。頭では冷静に突っ込んでいるのにぶわっと身体中の熱が上がる。

「名前……」

切なそうに名前を呼んで寄りかかってきた。私はまた雰囲気に流されるのだろうか。別に嫌なわけではないから良いのだけど。

「赤葦、くん…………あれ、」

寝て、いらっしゃる。ホッとしたようなガッカリしたような、微妙な気持ちになるも、とりあえず赤葦くんがめちゃくちゃ重たいので何とかしなければ。
どうにかして夢うつつでグラグラしている赤葦くんをベッドへ運んで、私も一緒に倒れ込む。初めて会ったとき、赤葦くんはこんな気持ちだったのだろうか。私は今はもう付き合ってるから良いが、初対面の人にこんな風になられて、当時の赤葦くんは相当迷惑だったことだろう。同じ場面になることで身に染みてよく分かった。
赤葦くんがぎゅうっと引き寄せて私の名前を呼ぶ。確認しても起きてはいない。それが無性にいとおしくて、安心して、私も目を閉じた。


2014/09/10