リボンをかけないうちに 


どこからともなく、本当にどこから聞いたのかも覚えていないけれど。この学校に数少ない女子で、俺の想い人でもある名前先輩が、卒業後に県外、しかも東京に行くと聞いた。

先輩との出会いは、本当に衝撃的だった。ほぼ男子校だと知りながら入った工業高校。どうせ不細工しかいないんだろうなと思った女子の中で名前先輩は一際輝いていた。だって、普通にかわいい。めちゃくちゃ美人というわけではないが、一般的な女性の平均値は越えている。今でも覚えているが、入学式直後に先輩を見つけて「かわいいな」と思った次の瞬間、先輩は俺を指差して叫んだ。


「イケメンいる!イケメン!」


ぶっちゃけ、なんだこの女と思わずにはいられなかった。俺は確かに中学校まではモテる方だった。けれどわざわざ叫ばれるほどではないということも分かっている。ちょっとかわいくてもこれじゃあな、と思った俺は、もし付き合うなら他校の女子と付き合うだろうという予想に赤丸を入れた。予想に反して先輩のことを好きになってしまったわけだけど。むしろそんな馬鹿っぽいところもかわいいと思ってしまうのは、惚れた欲目と工業高校マジックというものだろう。
もちろん俺以外にも名前先輩を好きだったり憧れてたりする奴はわんさかいる。不細工な女でも男が途切れないという環境で、けれども先輩は彼氏がいたことがなかった。


「先輩ってなんで彼氏作らないんですか」


最初の出会いからなんとなく構われるようになった俺は、いつだったかそんなことを聞いた。我ながら直接的すぎる。けれど間接的に「俺を彼氏にするのはどうですか」という下心も込めてみた。先輩の答えによってはその問いも発したと思う。けれど先輩は俺の想像をひょいと越えていく。


「私、好きとかよく分かんないし、男の人興味ない」


興味ない、とは、どういう意味なのか。その場では単純にガッカリして「そっすか」と流してしまったが、流して良いところではなかった。場合によってはいわゆるイケナイ感じであるかもしれないということで、それはそれで興奮を覚えたことは男なら少しは気持ちを分かってくれるだろう。しかしその場合、俺に対する脈は存在しないのだ。なぜ突っ込まなかった当時の俺。
とりあえず「好きとかよく分かんない」という言葉を信じて「男の人興味ない」は聞かなかったことにさせてもらった。興味なくても持たせればいいのだ。

俺と先輩は着実に仲良くなっていったが、男女として進んでいるのかは分からなかった。少なくとも俺の実感としては、ない。先輩は俺のことを気の合う悪友というポジションに置いている気がしてならない。
そんな状況を打破すべく、先輩に告白したのが12月のこと。卒業という言葉を強く意識して、いてもたってもいられなくなったと言う方が正しいかもしれない。


「好きです、先輩」

「あたしも、二口面白いし好きだよ」

「女の人として、好きってことです」

「えーやだー、うけるー」

「はぐらかさないでください」

「ええ……」


二口なんでそんな怖い顔してるの。
怯えたような嫌悪しているような、とにかく気持ちが良いとは決して言えないような表情で先輩は俺を見つめてきた。俺も先輩を見つめた。少しの沈黙のあと、先輩はぽつりと言葉を落として走っていった。俺は後を追うことが出来なかった。


「なんで、良い後輩でいてくれないの」


その言葉の破壊力といったら。これまでの先輩とのやり取りはもちろん、バレー部の先輩との記憶もついでにフラッシュバックする。俺はいつだって良い後輩にはなれないのだと、ダブルパンチで痛い。
それからしばらく、名前先輩と会うことはなかった。それもそうだ、これまでは先輩の方から構いに来てくれていたのだから。それを考えると、俺は先輩の期待に背いてしまったのだと強く感じられる。これまでの関係から抜け出すことはできたが、見事に裏目に出てしまった。
そうしてじりじりと時間が過ぎていく中で、俺は先輩が卒業後に遠くへ行ってしまうという噂を耳にしたのだ。しかも大都会東京。何度か行ったことはあるが、決して近くはなかった。物理的な距離もだが、心理的にも遠いところだと思う。
重い腰を上げて、昼休みに先輩を待ち伏せした。先輩の教室の前で待っていたのだから、待ち伏せというより迎えにいったと表現する方が正しいかもしれない。
先輩は特に驚かず、「行こっか」とまるで約束していたみたいな対応をしてくる。それが逆に他人行儀な気がして気分が悪い。


「先輩、東京に行くって聞きました」

「あーあ、バレちゃったか」

「なんで、」


言ってくれなかったんですか。
途中で、俺にそんなことを言う権利はないのだと気づいて言葉を飲み込む。


「ねえ二口、君は頭の良い子だ」

「……子供扱いしないでください」

「子供扱いじゃなくて、本当に褒めてるの。二口には分かるよね、私たちみたいな学生が、易々と県外まで行ったり来たり出来ないってこと」

「確かにそうですけど、でも!」

「私も二口のこと好きだったよ」


俺の一番欲しかった言葉を、この人はどうしてこんなにも喜べない風に言うのだろうか。けれど残念、先輩の思惑通りに事が運ぶとは限らないのだ。


「先輩はまだまだ子供ですね」

「子供だから、距離が遠いんだけどね」

「なら、大人になれば良いんですね?大人にとっては、案外近いものらしいですよ」

「それまでにお互い好きな人ができちゃうかもよ?」

「それならそれで、キレイサッパリです」


どうだ、と言わんばかりに得意顔をする。子供のままなら、どうか先のことを考えて今を我慢するなんてことを覚えないでください。大人になるまで、大人になんてならないでください。


「二口はワガママだね」

「そりゃもう、子供ですから」


久しぶりに見た先輩の笑顔は、惚れた欲目と工業高校マジックに、さらに輪をかけて輝いていた。


2014/10/08