初心#3 


名字さんとの帰り道はドキドキしっぱなしで、いつもほとんど会話がない。手を繋ぎたいなあ、と名字さん側の手をむずむずさせているが、繋げるかどうかは五分五分くらいだ。その確率は、彼女に拒否されるかどうかではなく、俺が言い出せるかどうかに懸かっているわけだけど。


「名字さん!あの、さ」

「なに、及川くん」


名字さんが名前を呼んでくれるだけでこんなに幸せなのに、これ以上のことを望んだらバチが当たるのではないかと不安になる。いや、バチくらい当たっても良い。名字さんに面倒臭い男だと思われる方が辛い。
本当はずっと手を繋いでいたい。ずっと一緒にいたい。でも、そういうのって重いのではないだろうかと考えてしまう。こんな風にうじうじと悩んでいる方が女々しいというのは分かっているが、悩むだけなら名字さんにはバレない。


「……手、繋がない?」


震える手を心の中で叱咤して彼女の方へ差し出す。答えを待つ少しの時間さえも永遠に感じるのは集中力の違いだろうか。


「……うん」


彼女がそっと手を重ねてくれると、安堵で胸が軽くなると同時に、愛しさでまた胸がいっぱいになる。どっちにしたって俺の心が休まることはないのだ。
名字さんの手はとても小さくて、指も当然俺より細い。それなのにふわふわとしていてどうにも掴み所が無いように感じる。これまで、こんなに集中して誰かの手に触れたことなんてなかった。こんなこと考えてるなんて知られたら、彼女に引かれてしまうかもしれない。
そんなことを考えていたら、珍しく、名字さんの方から話しかけてくれた。名前を呼ばれて、驚いて手を強く握ってしまったから慌てて力を弱める。痛くはなかっただろうか。


「及川くんの手は、大きいね」

「あ、うん、そうかな」

「それに、固い。いつも頑張ってる手だもんね」

「……ありがとう」


まさかそんな風に褒めてもらえるとは思っていなかったので、体が震えるくらい嬉しい。出来ることなら叫びだしたいくらいだけど、隣の彼女を驚かせてはいけないと、ぐっと我慢をする。そう。我慢を、したのに。


「私、この手が好きだよ」


そう言って彼女が、繋いでいないもう片方の手で俺の手をするりと撫でたから。頭は真っ白で、彼女の切羽詰まったような「及川くん!」で我に返ったとき、俺は彼女を抱き締めていた。道のど真ん中で。
小さいとか、柔らかいとか、色々なことを考えたけれど、一番頭を占めているのは「やってしまった」という感覚だった。


「ごめん!つい……」

「ううん、大丈夫。ちょっとびっくりしちゃった、だけ」


彼女がつい、と顔を背ける。どうしよう、やっぱりこんな軽い奴好きじゃないって思われたら。これまで大事に大事にしてきたのに、こんなところで全て駄目にしてしまったのだろうか。少し前の自分を叱ってやりたい。


「あの、ほんとごめんね、そんなつもりじゃなかったんだ」

「別に、いいよ」

「よくないよ!名字さんが嫌だったんなら、もうしないから!だから、」

「……もう、しないの?」

「えっ」

「私が嫌じゃないって言ったら、してくれるの? 」

「え、いや、あの……え!?」


彼女は上目遣いでこちらを窺って、また顔をそらす。その姿がなんとも言えないくらい可愛いのは当然だが、この子は、今、それ以上に凄いことを言ったのではないか。


「ええと……嫌じゃ、なかったの?」


名字さんはこちらを向かないが、こくりと頭を縦に振った。さっきとは別の意味で、どうしよう、と動揺する。「でも、人前は、だめ」とツンツン声を作る彼女に返事をするので精一杯だった。彼女は自分がとんでもないことを言ってしまったということに、きっと気づいていない。そしてそんな純粋な彼女を、俺がどうにかしてしまうことなんて出来ないのだから、世の中はうまく出来ている。


2014/09/21