夜のポートアイランド駅で瀬田綾人を見るのはこれで何度目だろう。
イヤホンを耳にかけたいつものスタイルで気怠げに歩く瀬田の後ろ姿を発見してふと思った。

最初に気付いたのは、確か5月。検査入院したアキの病室で会った数日後、だったと思う。
見かけても特に声を掛けることもなく、また掛けられることもなかった。顔見知りというだけで別に馴れ合うつもりもない。お互いに干渉はしない。そういう関係が数ヶ月続いた。

どこかアイツと俺は似ているのかもしれないな、と気付いたのは最近になってからだ。


「瀬田」

呼び掛けると瀬田は緩慢な動作で振り返った。イヤホンをしていても周囲の音を拾える程度の音でしか聴いていないことは知っていた。だから呼び掛けられれば、気が付く。
それでもイヤホンをしているのは、気が付かないフリができるから。面倒なことはなるべく避けて通りたいという姿勢は、或いはとても瀬田らしい選択なのかもしれない。

俺が隣に並ぶと瀬田はイヤホンを外し、またゆっくりと歩き出した。帰る場所は、どうせ同じだ。

「たまには早く帰れよ。妹が心配してんだろ」
「文化祭の準備、してたんで」
「嘘吐け」

あからさまな嘘をしれっと吐く瀬田を睨むように見下ろすと、「荒垣先輩は何でも知ってますね」と瀬田は悪びれもなくため息を吐いた。

瀬田は放課後の時間の殆どを外で過ごすことが多いらしい。一度寮に戻ってくることがあっても、召集がなければすぐまた出掛けてしまうとか。
彼の妹が、そんな兄の放浪癖を心配して、遅くまでラウンジで時間を潰している姿を何度も見ている。相当に退屈なのか、何故かいつも話相手をさせられた。いつの間にか瀬田兄妹のことに詳しくなったのも、そのせいだ。だから瀬田に「なんでも知っている」と云われた言葉はあながち間違っていない。

どうして瀬田がひとつの場所にじっとしていらないのかと考えて、もしかしたらじっとしていられないのではなく、じっとしていたくないのではないかと気が付いてしまった。

「そんなに寮は居心地が悪いか?」

訊ねると瀬田は不意を突かれたのか、少し驚いた顔をしていた。そして困ったように顔を歪める。「荒垣先輩は何でも知ってますね」と云った時の顔だ。

「悪く、ないですよ」云いにくそうに、瀬田はもそもそと口にする。
「むしろ、良すぎて怖くなるんです」
やはりな、と思った。やはり、俺と瀬田は似ている。
人の優しさに慣れていない。人の温もりに慣れていない。そんな俺たちにあの寮は、どうしても居心地が悪い。けれど、それらはずっと自分に欠けていたものだと自覚していて、ずっと欲していて、だから、とても大切でかけがえがなくて、この居心地の悪いまでの幸せを守りたいと思う。同時に、失う日がくるのを怖れている。いつか必ず来るその瞬間が、怖くて仕方ない。

「そうか」
思わず笑みを漏らした俺を怪訝そう見て、瀬田は「まあ」と曖昧に答える。

「でもやっぱり帰れよ。オマエは」
「荒垣先輩はいいのに、俺は駄目なんですか」
「オマエには妹がいるだろ」
「先輩には真田先輩がいるじゃないですか」
「アキは違ぇよ。分かンだろ、俺の云ってる意味」
ふいに瀬田は口を閉じ、俯いた。
「アイツには、オマエが要るだろ。オマエが側にいて、守ってやらなきゃいけねえだろ」

「…いつまでですか」

ぼそりと呟いた瀬田の言葉に、「は?」と反射的に聞き返す。

「それって、いつまでですか?」

顔を上げてはっきりと云った瀬田の勢いに、思わずたじろいだ。いつになく真剣な眸でじっと睨みつけてくる。

「里綾には、俺しかいなかった。今までずっと俺だけだった。けど、それじゃあもし俺がいなくなったら?俺が側にいてやれなくなったら?アイツはどうなるんです?」
「瀬田…?」
「里綾は、例え俺がいなくなっても生きていかなきゃいけないから…。そうでなきゃ、いけないから…だから」

それ以上の言葉は飲み込んで、瀬田はまた黙ってしまった。零れてきそうな言葉を留めるように双眸を閉じる。

「…瀬田は、」そこまで云って、俺は一度息を吐く。酷い問いだとは分かっていた。それでも云わずにはいられない。

「オマエは妹がいなくなっても、生きていけるのか?」

双眸を開き、ふ、と瀬田は笑った。今にも泣き出しそうな笑みだった。

その顔が、あまりに彼の妹と似ていたことに驚いて、それ以上何も云えなくなってしまう。





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