どちらから云い出すわけでもなく、待ち合わせ場所は現地、長鳴神社ということになった。時間と詳しい待ち合わせ場所については数回のメールで決めてある。
個人的にはメールはあまり好きではないし、正直面倒だと思う。同じ学校に通い、同じ寮に住んでいるのだ。それくらい顔を合わせてさっと決めてしまえばいい。と思うのだけれど、同時に、メールが返ってくるまでの緊張を楽しんでいる自分もいる。

真田先輩からのメールはいつもそっけない。必要なこと、伝えるべきことしか書いてないから、大抵2行くらいで終わってしまう。スクロールの必要もない。けれど一言メールの常習である綾人に比べればマシなのかもしれない。
そのたった2行に、わたしは何分もかけてメールを打つ。残念ながら長文ではない。結局、わたしのメールも改行をいれて平均5行。そのたった5行を、書いては消して、悩み、また書いて、消して…そんなことを繰り返し、いつの間にか時間が経っていることに気付いて慌てて送る。
こんなに労力のかかることならいっそ電話してしまおうかとも思うのだけれど、例え電話越しでも真田先輩と直接話すなんて、冷静でいられる自信がない。というか、耳元で真田先輩の声がすること自体、たぶん、わたしには耐えられない。


着慣れない浴衣ではきっと普段通りには歩けないだろうと予想して、少し早めに寮を出た。それに、もし万が一、寮を出る真田先輩と鉢合わせでもしたらそれこそ目も当てられない。
手に持った小さな巾着袋には幾らかのお金と携帯電話が入れてある。ミュージックプレイヤーは置いてきた。
ひとりで歩くのに音楽がないなんて、どれくらいぶりだろう。かなり久しぶりな気もする。世界にはこんなに音が溢れているのに、わたしはいつもそれらを遮断していた。それはもしかしたらとても勿体無いことなのかもしれない。

路上駐車されていた車に自分の姿が映ることに気が付いて、足を止める。車体には潰れて映ってしまうけれど、格好の確認はできる。ゆかりや風花と買いに行った浴衣は薄い山吹色の生地に、朱色の花とくすんだ黄緑色の葉が上品に散りばめられた、まあ見方によっては地味めの浴衣だった。帯の深緑色と全体の山吹色の組み合わせが至極気に入って購入に踏み切ったのだけれど、女子高生のチョイスとしては微妙だったかもしれないと少し反省している。

ゆかりや風花に着付けを頼むと誰と行くのか説明するハメになるだろうからふたりに悪いと思いながらも雑誌を買ってひとりで着付けに挑戦することにしたのだけれど、結局上手くいかず、最終手段の綾人を呼び出して頼んでしまった。
元々器用な綾人はあっさりと帯を結び、更に髪のアレンジまでしてくれた。その髪には今、少しくらい華やかにしようと買った大きめの花飾りが差してある。

綾人はわたしが誰と夏祭りに行くか訊ねなかったけれど、もしかしたら気付いていたのかもしれない。「足、痛くなったら正直に云いなよ。気付かなそうだから」部屋を出る直前、綾人は思い出したように助言した。「云えるわけないか」ドアが閉まる直前には、心なしか楽しそうに、そんなことも云っていた。


ふと、綾人は誰かと夏祭りに行くのだろうかと思った。
今思えば呼び出した時の綾人は、出掛けるだけの状態だったような気がする。わたしの部屋にいる間、一度だけ綾人の携帯が鳴った。いつもは携帯が鳴ったってメールの着信ならすぐには確認しないのに、その時は着信音の鳴っているうちに携帯を開いていた。あのメールは何だったんだろう。今更だけど、ものすごく気になる。

脇を浴衣を着た小さな男の子が走っていった。その後ろから、お姉さんだろうか、やはり小さな女の子が少し怒った様子で男の子を追いかけていく。気付かなかったけれど、神社が近付くにつれて浴衣姿の人や、神社を目指しているらしき人の姿が増えていた。
知っている人がいないだろうかと辺りを見渡してみたけれど、とりあえず今のところはいなさそうだと安堵する。


待ち合わせ場所に選んだのは、神社から少し離れた場所にある楠の木の下だった。コロマルの散歩をしている時に見つけた場所だ。
神社への最短距離の道から離れ、細い脇道に入る。既にそこに人影があることに気が付いて、わたしの心臓は跳ね上がった。
ぼんやりと楠の木を見上げていたその人はわたしに気付き、顔を綻ばせる。

「真田先輩…早いですね」
「ああ、午前中に用があって外に出ていたからな」
「そうだったんですか…」

そこまで云うと、会話がなくなってしまった。どうしよう。何か、こう、真田先輩も何かしらの反応をしてくれたりしないだろうか。別に可愛いとか綺麗だとかいう言葉を期待しているわけじゃない(そりゃあ少しくらいはしているけど)。でも何か浴衣について云ってくれたら会話の糸口になるかもしれないのに…。

「じゃあ、行くか」

なんとなく気まずくて俯いていたわたしの横を真田先輩が横切る。

「えっ、あ、はい…」

慌てて追いかけてようとして、足がもつれた。そうか、浴衣じゃ走れない。当たり前のことに気が付いてぼんやりと真田先輩の背中を見つめた。普段だって真田先輩の歩調に合わせるのは大変なのに、これじゃあ追いつかない。
そう思ったらそれ以上足が進まなくなってしまった。巾着袋の紐を両手で握りしめ、真田先輩の背中が遠ざかっていくのをただ見つめる。

(真田先輩、)

このまま立ち竦んでいたら真田先輩はひとりで行ってしまうだろうか。わたしがいないことに気付いてくれるだろうか。気付いて、探してくれるだろうか。

(やっぱり、浴衣じゃない方が良かったな)

俯いたら、余計に悲しくなった。






「瀬田」

顔を上げると真田先輩がわたしを覗き込んでいた。その近さに驚いてわたしは慌てて身を引く。後ろに下がるつもりが、浴衣が足を引っかけてバランスを崩した。

「莫迦」

真田先輩に手首を掴まれてなんとか転ばずには済んだけれど、恥ずかしくて仕方ない。莫迦って何ですか。いつもなら云い返してやるのに、今日はそれどころじゃない。

「すいません…」
わたしが小声で謝ると真田先輩はため息を吐いた。調子狂うな、なんて視線を逸らして云うものだから、わたしはますます先輩の顔が見れなくなってしまう。

「浴衣…」
「着てきてごめんなさい」

先手必勝。というか防衛線。云われる前に云ってしまえば、傷は浅い。

「歩きにくいし、転びそうになるし…これじゃ迷惑ですよね」

ごめんなさい、と俯いたままわたしは呟いた。
本当ならこのまま真田先輩を押しのけてでも走って寮に帰ってしまいたかったのだけど、この格好じゃそれもできない。逃げることもできない、隠れることもできない。あまりに惨めで泣きそうになる。けどそれはさすがに迷惑がかかるからと必死に堪える。泣くことも、できない。

「瀬田」
真田先輩が掴んでいたわたしの手を引っ張った。驚いてわたしは顔を上げる。

「そんなこと、云ってないだろ」

身を屈めた真田先輩がわたしをじっと見ていた。やっぱり顔が近い。けれど真田先輩に手首を捕まれているので逃げられない。

「あの…先輩…」
「俺が悪かった」
「……はい?」

突然謝られても何のことか分からない。ふいに嫌な予想が頭を過ぎって、胸が締め付けられた。呼吸が上手くでず、ただじっと真田先輩を見つめる。

「な、何が…ですか?」

たぶん、引きつった顔をしていたと思う。わたしは瞬きさえ忘れていた。

「折角、瀬田が浴衣を着てきてくれたのに配慮が足りなかったな。…悪かった」
「…え?」
「歩きにくいんだろう?」
「え…あ、はい…」
「転ばれても困るしな」
「すいません…」
「莫迦」
「さっきから莫迦って…!」

何なんですか、と云おうとして言葉を失った。
「悪い」そう口にした真田先輩は、しかし全く悪びれない様子で笑っている。そういえば真田先輩が声を上げて笑うところなんて見たことがない。
呆気にとられてその笑い顔を見つめていると、真田先輩はふいに顔を逸らして困った顔をした。
アイツは簡単に云うけどな、と小さく真田先輩が呟く。アイツ?訊ねたわたしに、真田先輩は「何でもない」と首を振った。そして視線をわたしの手に下ろす。真田先輩に掴まれたままの手だ。
「えっと…」わたしも同じように自分の手を見つめて、言葉を濁した。欲を云えば、もう少しこのままでいたい。けどこのままじゃ動けない。

「歩きにくいなら…」

云いにくそうに喋り出した真田先輩の顔は、心なしか赤かった。沈みかけの夕日のせいかもしれない。

「手、繋いで行くか」
「え?」

わたしの都合のいい聞き間違えかと思った。けれど真田先輩は、慌てたように「俺もお前の歩く速さに合わせられるし」と付け足す。

「手…」

真田先輩がわたしの手首を掴む手を離し、改めて手を差し出してきた。その手と真田先輩とを見比べ、わたしは数回瞬きをする。

「行くぞ」

なかなか行動を起こさないわたしに焦れたのか、真田先輩に手を掴まれた。今度はちゃんと、手を、だ。

「あの、真田先輩」
「…浴衣、似合ってるよ」

「え」

わたしが何か云う前に、真田先輩はわたしの手を強く引いた。背を向けてしまった真田先輩の表情はもう見えない。







(もう一度云ってください)

(なんて云ったら、真田先輩はどんな顔をするんだろう…)







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