ERICA



元親はグラスに並々と注がれた水をじっと見つめていた。ゆらゆらと揺れていた水面は次第に穏やかになる。グラスを通して机の木目を見つめてみたが、別段面白いこともない。突然コポリと水が増えて溢れ出すこともない。

「別に毒なんか、入っちゃいないよ」
「…そりゃあそうだろうさ」
仕方なしにグラスを掴むと、ひんやりと手のひら全体に冷たさが伝わった。
「ほうら、伊達ちゃんも」
「…」

無言のまま政宗はグラスを掴み、水を喉へと流し込む。ごくりと喉を鳴らして、半分になったグラスを机に叩きつけた。元親はそれを眺めながら口を潤す程度に水を含み、グラスを机の上へと戻す。

「それで、」

二人が水を口にしたのを見届け、佐助は二人の向かいに座った。両手を組み、それに顎を乗せる。まるで悪事を働いた後の説教みたいだな、と元親は思った。

「二人して真っ青な顔して、一体どうしちゃったんでしょうねえ」

そう云って政宗に視線を向ければ、彼は答える気は毛頭ないという意思表示みたくそっぽを向いた。だから佐助は苦笑を浮かべて、「ねえチカちゃん」と標的を変える。
元親も、政宗に倣って何か別のものに関心があるようにみせようとした。けれどキッチンには目ぼしいものが何一つ見つからない。見慣れた風景がそこにあって、よく知ったメンバーが顔を合わせている。
何かないかと視線を彷徨わせてみたが、結局、佐助の視線に負けて元親は深く溜息を吐いた。

「別にどうしたってわけでもねェよ。大体、真っ青だなんて、大げさすぎるんじゃねェか?」
「いいえ、いえいえ。とんでもない。多少控えめに云って、真っ青でしたとも!」
「だけど本当に、何もないし。心当たりもないし」

元親に同意するように、政宗も大きく頷く。
佐助は、元親と政宗を見比べて、そして溜息のような相槌のような、どちらとも判別しがたい声を漏らした。珍しく眉間に皴を寄せ、不満げな表情を浮かべている。

「まァいいけどね」

そう云って佐助は立ち上がったが、その表情は少しも納得していない様子だった。しかしとりあえずは、少なくとも今この瞬間は尋問を免れたのだと、元親はほっと息を吐く。

別に、佐助に隠し事をしているわけではない。疚しいことがあるわけでもない。
ただ、どうやって言葉にすればよいのか。どう表現すればよいのか、よく分からなかった。だから沈黙した。悪い、と心の中で佐助に謝る。

「そろそろご飯にしよっか。もう夕飯出来てるし」

鍋を数回かき回して、そして佐助はコンロの火を止める。共用の場所であるにも関わらず、キッチンにあるものを把握できているのは佐助と政宗しかいない。何だかよく分からない香辛料のビンを迷いなく取り出して鍋に振りかける様子を、元親は黙って見ていた。政宗が立ち上がって食器棚の扉を開ける。上から下へと視線を動かして、本日のメニューに合いそうな皿を見つけたのだろう、指を添えて枚数を数え取り出そうとする。しかし何故か政宗は手を添えたまま動かすのを止め、首を傾げた。

「なあ、あのケージの分もいるのか?」
「ケージさん?ああ、捜査官のこと?…うーん、いるんじゃないの?」
「毛利は?」
「…腹が減りゃ来るだろ」

政宗がわざわざ元親に元就のことを尋ねたのが気に入らなくて、元親は頬杖をついたままぶっきらぼうに答えた。政宗は気にした様子もなく、「じゃあ5枚だな」と皿を取り出して机に置く。佐助がちらりと元親を見たが、それに気付かないふりをして部屋の壁をじっと見つめた。

バタンという扉が乱暴に開かれる音が遠くから聞こえてきて、元親は無意識に視線を扉へと向ける。
元親だけでなく、佐助も政宗も同じように作業を止めて扉を見つめていた。
何か、口論するような声が聞こえる。何を云っているかまでは分からない。

(ヘンだ)

政宗が新たに取り出した皿を机の上に置いた。佐助が一歩、足を扉へと踏み出す。

「ちょっと待ちなよ!」

扉の近くで足音が止まる。
この声は例の捜査官の声だ。

しん、と静かになる。扉の向こうで声のトーンを落として喋っているのだろう。
苛々と元親は机に両手をついて立ち上がった。

(口論の声の一人が前田慶次だとして、じゃあもう一人は誰だ?)

扉が開け放たれた。


「アンタはそれでいいのかい、毛利さん?!後戻りなんて出来ないんだよ!」
「どちらにしろこんな狂言、早々と終わらせるべきだ」

一歩、また一歩とキッチンへと入ってきて、政宗の数歩前で元就は立ち止まった。
後から前田が入ってきて元就の少し後ろで立ち止まる。ぐるりとキッチンを見渡して、最後に渋い表情を元就に向けた。何か云いたげに口を開いたが、すぐに口を閉じる。

「元、就…?」

鶯茶色の髪がゆっくりと揺れた。伏目がちにしていた視線を、まっすぐ政宗に向ける。
口元には心なしか、笑みが浮かんでいた。目を見開いて事を見つめていた佐助が、ひとつ、大きく息を吐いて腕を組む。何故だか諦めにも似た表情で目を細めた。
それを横目で見て政宗は困ったように笑って首を傾げる。視線を元就の右手に下ろし、そして一度、頷くように目を閉じた。
一人状況についていけない元親は、元就の右手が現実的ではないものを握っていることに気がついて目を見張った。開いた口が酸素と一緒に言葉も吸い込んでしまったようだ。「もと、なり…」ようやく名前を口にすることができたが、元就の視線が政宗から逸らされることはなかった。ゆっくりと、その右手が上げられ、そして政宗に突きつけられるのを、元親は黙って見つめていることしかできない。

元就の右手には拳銃が、握られていた。








エリカ/裏切り









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