「随分と情けねェ顔をしてるじゃねェか」
窓の外の揺れる木の枝を眺めていた元親は、その聞きなれた悪態に少しだけ口元を緩め、声のした方へと視線を向けた。予想に反せず、腕を組んだ政宗が廊下の真ん中でつまらなそうな表情で立っている。それを見て、元親は目を細めて笑った。
政宗、と力なく呼びかけて、句点の代わりであるかのように溜息を吐く。
「ンだよ」
呆れたように云う政宗になんでもないと短く答えて元親はまた、窓に視線を戻した。
外は既に暗い。近くに揺れる木の枝は見えるが、その先に何があるのか判別は出来ない。雲が出てきたのか、或いは今夜が月のない夜なのか、元親には分からなかった。そんなことは知らなくてもいい。目を閉じて、また息を吐く。
「毛利と喧嘩したとか?」
「そんなこと、今更別に珍しくも何ともないだろ」
「じゃ、何?」
「…さァな」
殆ど吐き出すように云ったその言葉は、政宗をはぐらかす為でも何でもなく、元親の本心からの答えだった。だから曖昧だと云われようが投げ遣りだと云われようがそれ以上上手く言葉にはできない。政宗にもそれが分かったのか、ただ「ふうん」と短く呟いただけでそれ以上追求しようとはしなかった。
政宗は不思議だ、と元親は思う。
時々、元親の心が読めているのではないかと思わせるような言動をする。しかしそれは政宗に限ることではなく、佐助も元就もそんな風だから、或いは元親の思考というものが他人に漏れやすいのかもしれない。だがそれが嫌なのではない。逆に心地よいとすら思っている。だから、不思議だと思う。
「政宗」
「何?」
「俺ってピアノなんか弾けたっけ?」
カタカタと窓が鳴った。
その音に意識を取られていた元親は、政宗がその時どんな顔をしていたのかは知らない。長い沈黙に不思議に思って視線を政宗に向けたときには、彼は最初と同じ仏頂面を元親と同じように窓の外へと向けていた。
「知らねェよ」
「…そうだよなァ」
そうして元親は自分の両手を広げてみる。
大きな手は、長い指は、或いは、ピアノ奏者向きなのかもしれない。
窓枠に指を置いてみる。鍵盤を弾くみたいに指を動かしていく。
指先が埃で汚れた。反対に、窓枠が指の通った部分だけ綺麗になった。
「なァ、チカ」
「何だよ?」
しかし政宗は、それ以上何も云わなかった。
きゅっと口を閉じたまま暗い景色を見つめている。
言葉を探しているようにも見えた。だから元親もそれ以上何も云わなかった。
カタカタと窓が揺れる音が廊下に響いていた。遠くで、蛇口から水が落ちる音がひとつ。それを最後に、また、風の音のみが響く。
ホテル・ハルジオン。
追憶―などという名前の付けられたこの古い洋館に、いつから住んでいるんだっけ。
思い出そうとして頭が痛んだ。
それは元就の弾いたピアノの音を聴いた時の痛みとよく似ていた。
(違う、ピアノを弾かないのか、と云われた時の痛み、だ)
こめかみの辺りを強く、手のひらで押してみた。
痛みは止まない。その痛みの止め方も分からない。
「俺は何か、大切なことを忘れてるのか…?」
ようやく吐き出した言葉に、元親は一層眉をひそめた。
(大切なこと、って、何だ…?)
痛みを振り払うかのように元親は強く頭を振る。
ちらりと視界に入った政宗が何故か、苦痛に顔を歪ませているように見えた。