GERBERA



不協和音が部屋に響いた。

座っていることに疲れて躰を倒したら、そこに鍵盤があったというだけの話。冷たい鍵盤は頬に心地良かったが、寝心地はどちらかといえば良くはない。部屋を横から見てみれば或いは普段と違ったものが見えるかもしれないと、ふとそんなことを思う。勿論、変わるわけがない。相変わらず物のない部屋だな。いつもと違う視点で、同じことを思った。

双眸を閉じ暗闇の中でただじっと耳を澄ましていると、周りに存在しているあらゆるものが消えていくようだった。重力さえも消えてしまって、きっと闇の中に浮かんでいるのだ、と思う。此処が何処なのか、どのような状態で自分が居るのか、全てが曖昧になる。もしかしたらこれが夢に入る合図なのかもしれない。だが唯一、部屋の埃っぽさが元就を現実に留める。

(何時から―)

考えようとして、やめた。そんなことを考えるのはあまりに無意味だった。
今断言できるのは元就の声が失われているということ。それだけだ。それが何故かと考えるのは、何時からかと考えるのと同じくらい意味のないことだった。
声がないことは元就にとってそれほど痛手ではなかったけれど時々、ちょうど今みたいな時、心が痛んで仕方ない。

視界を開くとその先に見えるのは部屋に一つしかない脱出口。
耳に残るドアの閉まる音に、元就は眉をしかめた。顔をしかめた理由が、ドアの閉まった音ではなく、それを閉めた人物にあることを元就は知っている。

(話せないことを理由に沈黙するのは、酷い手段なのだろう)
(ただ、逃げているにすぎないのだろう)

だけど、この気持ちを言葉にする方法が見つからなかった。
一番伝えたい気持ちを、伝えなくてはいけない想いを言葉に出来ないのなら、それ以上、話すことなど何もない。それを例え卑怯だと罵られても、呆れられても。

(話す必要など…ない)


遠くから音が聞こえてきた。廊下を、この部屋の方に向かって誰かが歩いているらしい。歩幅は大きいが、急いでいる風ではない。足音からして元親ではないようだ。他の住居者でもない。
部屋の前で足音は止み、代わりにノックが二回、部屋に響いた。
元就は返事をしなかった。存在を知らせるような行動も取らない。ただ、上体を持ち上げ来訪者を待つ。


「失礼しまーす…」

遠慮がちに開いたドアから覗いたのは、元就の知らない顔だった。元就を見つけるとその男は人の良さそうな顔に笑みを浮かべ、何故か安堵の息を吐く。長い髪にラフな恰好からは彼が何者であるか判断できないが、彼が今朝、政宗が云っていた客人なのだろうと想像する。この建物に他人が入ってきていることに対して、若干の違和感と、漠然とした悪い予感がした。嫌悪する程の感情ではないから、悪いとも云い切れない。

「あ、っと、はじめまして。前田です。前田慶次、一応警察のモノです」

どうも、と彼は笑みを浮かべたまま元就に手を差し出した。元就はその手を一瞥し、すぐに視線を逸らす。

「えーっと…あ、コレ!さっき、あんたの事聞いた人に渡されたんだよね」

前田が持ち上げたガラス瓶を視界に入れ、元就は僅かに眉を顰めた。それは、先程元親が持っていた花だった。

「持って行って欲しいって云われたんだけど…どこ置こうか?」

元就の微かな反応には気付かず、前田は無遠慮に部屋を見渡す。

「ピアノの上ってどうかな」

何も答えない元就に苦笑し、視界に入ったピアノに近づく。しかし、ガラス瓶がピアノに触れるより先に、元就がそれを奪った。そして立ち上がる。ピアノと元就を交互に眺める前田には現状が飲み込めていないようだったが、やがて破顔し、「ごめん」と素直に頭を下げた。

「大事なものの上に置いちゃ、ダメだよな」

妙に納得したように呟く声を背に、元就は瓶を窓際に置く。


日は、既に沈んでいた。
変わり映えのしない毎日がゆるりと過ぎていく。それでも時は確実に進み、季節は廻っている。夕陽を眺める時、いつもそんなことを思う。時を刻むことを忘れてしまったようなこの場所で、いつまでも見ないふりをしていていいのだろうかと、自問する。流れに逆らって立ち止まったままでいていいのだろうかと考える。変わって欲しいのか、変わらないで欲しいのか。おそらく、その両方なのだろう。だから何も云えずに、此処に居る。


「ねえ…その花の花言葉、知ってる?」


背後から静かな口調で前田が云った。先程までとは声のトーンが全く違う。
穏やかな雰囲気も、空気も、静けさも、突然消えてしまったようだ。息をするのすら躊躇われるような緊張に元就は目を伏せた。振り返らずに、ただ前田の声を聞く。

「ガーベラの花言葉は、『希望』、そして『哀しみ』」

うちって一応、花屋やってるんだよねえ。話し方だけは先程と変わらない。砕けた口調のままだ。元就は黙ったまま、まだ手の中にある瓶の花を見つめた。気に留めず、前田は話し続ける。

「俺はあんたの知っていることを知りたい。…教えてもらえるかな」








ガーベラ/希望・悲しみ









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