LAVENDER



斜めに射した光の中を埃が舞う。それが唯一、この部屋での現実だった。
後ろ手にドアを閉めれば、一切の音を排除した小さな部屋は不気味な程に静まり返る。
正面には西日の差し込む窓が一つ。それを背に存在するのは大きなグランドピアノ。いつもと変わらないその光景に、元親は安堵にも似た息を吐いた。

影が微かに動く。目が慣れるにつれてはっきりと見えてきたその人物の、鶯茶色の髪がさらりと流れた。

「よう、元就」

ゆっくりと向けられた顔に微笑みかける。ようやく見えた彼の表情はまるで蝋人形のように冷たかった。揺れた睫毛の動きさえも見間違いであるかのように。

元就の指が鍵盤から離れる。少しだけ、元就が微笑んだように見えた。本当はそうではなかったかもしれない。微笑んでいたのならいい、そんな希望が見せた錯覚かもしれない。

元就の視線が元親の左手に向いていることに気が付いて、元親は口端を持ち上げる。満足げに頷いて左手を持ち上げた。

「花屋を見つけたんだ。小さいくせにやたら元気のいい花屋でさ。元就も花、嫌いじゃないだろ?」

しかしその問いに元就は、考えるような素振りを見せるばかりで答えようとしない。しばらくして視線さえも逸らしてしまった元就に元親は、「そっか」と短く言葉を漏らした。それが何に対しての返事なのか、また肯定の意味なのか否定の意味なのかすら、元親自身にも分からなかった。

「…花瓶なんかなかったよな。どこかにワインのボトルでも残ってればいいんだけど…」

無意識に左手に力が入る。ガサリ、綺麗にラッピングされた紙が鳴った。それを誤魔化すように元親は笑う。

「なんかねえか探してくるわ」

元就に背を向けながら元親は云った。まるで、早くこの場から立ち去りたいみたいだと思って、表情を見られないことをいいことに顔をしかめる。そうじゃない、自身に云い訳ながら冷たいノブに手を触れた時、背後に音が響いた。

長い間調律していないのだろうその音は、ひどく不愉快だった。

ほとんど無意識に元親は振り、元就を見た。髪と同じ色をした元就の眸が、真っ直ぐに元親に向けられている。その眸には先程までと違い、強い意志があるように見えた。だから元親も視線を逸らすことができず、じっと元就を見つめていた。ゆっくりと元就の口が開く。

弾かないのか―

恐らく、そう云った。

いつからだったかは覚えていないが、元就は言葉を発することができなくなっていた。だから、彼の言葉は口の動きだけで判断しなくてはいけない。

「弾く?ピアノをか?」

元就がこくりと小さく頷く。

「俺が?」

今度は目の動きだけで肯定した。

言葉は分かったが、その意味は分からず元親は困惑する。
元親を見る元就の表情は、どこか哀しげに見えた。如何したのだと問おうとしたけれど声にはならない。理由も分からずにただ、ひどく心が痛んだ。自分が彼を哀しませているのだ。漠然とそう思った。

例えば―彼の云う通りにこの埃の被ったピアノを弾いてみせれば、そんな表情をさせなくてすむのだろうか。そうかもしれない。だがそれは、直接の解決にはならないかもしれない。

元親の前に立ちはだかった音の狂ったこのピアノはまるで、元親を拒絶するかのように元就と元親の間に存在している。

「元就、」

無駄だと分かっていて呼びかける。
元就は答えない。

(分かんねェよ)

苛々と元親は顔を背けた。
そんなことが何の解決にもならないことは分かっていた。ただ、何かを伝えようとするくせに、はっきりとしない元就の考えが、元親には分からなかった。

(どうしたらいいのか、全然、分かんねェよ)

ドアを押し開ければ幾分か空気が軽くなった。ひんやりと冷たい風が肌を撫で、その瞬間ふと目頭が熱くなる。それは少しでも気を抜けば涙として零れ落ちてしまいそうなものだったから、元親は振り返ることもできず、無言でドアを閉めた。








ラベンダー/沈黙









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