ANEMONE



誰に向けられたものというわけでもないのにその場に居た全員が思った。

これは罰だ―。


銃声も悲鳴も何もなかった。ただゆっくりと熱を持った躰が床へと近付き、それを誰もが一言も発さずに視線で追っただけ。躰が床に落ちた音だけはやたらと大きく部屋に響いたのにまるで、ふわりと花びらが落ちていくようにしか感じなかった。躰の下からはじわりじわりと赤が広がり、ふと見下ろした足元がいつの間にか赤に染まっている。つ、と足を引けば、境界線の如く赤い線が描かれた。

「…、……」

最初に口を開いたのは誰だったのか。そして何を言ったのか。
耳鳴りのような音が響いていた。いつまでも止まない。その音は次第に大きくなり、一切の音を消した。誰の声も消した。浸食される。

元親は耳を塞ぎたかった。
しかし、頭を抱え込むように両手で耳を覆っても、その音は消えなかった。容赦なく入り込む。くぐもった音が、脳に直接響く。
固く両目を閉じた。目を閉じ、耳を塞ぐ。それで悪夢は終わるはずだった。

夢ならば、醒めるはずだった。


「アンタは、前もそうだったな」

両手に手を重ねられ、そっと持ち上げられた。間違いなくそれが『手』だという感覚はあるのに、温かさも冷たさもない。硬さも柔らかさもないのに、それでもそれは人の手なのだと分かる。

元親は目を開いた。目の前には政宗の顔。やはり笑みを浮かべている。ゆっくりと視線を動かした。普段通りの変わらぬキッチン。倒れた躰も、広がる血の赤も、何もない。もう一度政宗に視線を戻す。柔らかい笑みのまま、頷いた。

「そうやって、全てをなかったことにした」
「全てを忘れた…」
「忘れたんじゃない。閉じ込めたんだ、記憶を」

そして、と政宗は元親から手を離して元就を見る。表情を強張らせた元就の手にはまだ銃が握られていたが、銃口は政宗に向けられていなかった。

「毛利は、口を閉じた」

元就は黙っていた。黙って、政宗を見つめている。ゆっくりと近づいた政宗が元就の手に握られた銃に触れても、そっとそれを取り上げても、彼は何も云わなかった。

「言葉にしなければ、或いは、なかったことにできるかもしれない」

くるり、手の中で銃を回す。

「チカのように記憶を閉じ込めてしまうことはできなかった。だけど守ろうとしたんだ。この虚構を」

元就が目を伏せる。それが肯定の意味なのだと、元親は思った。ただ、それを言葉にするのを躊躇っているように見えた。言葉にして、認めてしまうのを恐れていた。

「虚構…言い換えれば、偽り、嘘。存在しないものが存在している。或いは、そう思い込む。本来はそれを作り出した本人にしか見えないものだ。だが、共用できてしまった。何故か」

そこで政宗は言葉切る。首を傾げて、その答えを探っているようにも、誰かの答えを待っているようにも見えた。「何故か」と口にした政宗の口調は、絶望の先の神にすがるような響きを持っていた。

「誰もがそうであって欲しいと思ったからでしょ」

同時に佐助を見る。軽い口調だったが、彼は少しも笑ってはいなかった。

「嘘だろうがなんだろうが、そうであって欲しいと思った。だからその嘘に乗っかった」
「乗っかったわりにはお前も…見えていたみたいだな。真実が」
「俺様は、根っからの現実主義者なもんで。それに、現実と仮想の境目を彷徨うことには慣れてんの」

乾いた笑い声を上げた佐助が、そのくせ辛そうに顔を歪める。笑えてねえよ、云ってやった方がいいのか、見ないふりをしてやった方がいいのか、元親には分からなかった。

「俺だって、惑わされようとしたさ。それが現実なんだって、思おうとしたさ。完全に騙されたらどんなに幸せだろうって、何度も思ったよ。何度も。だけど、できなかったんだ」

どうしてだか分かる?云って佐助は口端を持ち上げた。今にも泣きそうな表情を無理やり笑顔に代えようとする。

「俺にとってアンタは現実でしかなかったからだよ。偽者なんて、いらないんだ。俺にとってのアンタは」

そこで佐助は言葉を切る。一瞬だけ迷う表情を見せた。
あ、と元親は声を上げる。足を踏み出そうとして、しかし横から腕を掴まれた。振り返ると前田がひどく真面目な顔で首を横に振った。
目を伏せていた元就が一瞬元親を見た。その表情は元就には珍しく、迷いがあった。
政宗が首を傾げ、先を促すように微笑む。こくり、唾を飲み込んで佐助は笑った。


「もう、あの時に、死んだんだ」








アネモネ/はかない夢・薄れゆく希望・真実









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