八十稲羽の八月は、屋台が大活躍する。
先日終了した夏祭りに加え、末に花火大会があるからだ。
流石にお祭りほどじゃないにしろ、鮫川土手には多くの出店が見られる。

わたしは比較的ひと気のない河川敷で、人を待った。
が。

「そこの可憐なお嬢さん…ボクと一緒に、アイスでもどうですか?」
「お引き取りください」
「しどい!」

今日も今日とてこのクマ、絶好調である。
わたしはうんざりしながら振り返り、オヨヨと嘆いて泣き崩れるクマを見下ろした。向こうから駆け寄ってくる保護者…じゃない花村先輩の姿も見える。
彼はクマに追いつくなり、その頭頂部に全力で拳を落とした。

「こんの、馬鹿が!誰かれ構わずナンパしてんじゃねえ!」

ナンパ…ナンパだったのか、あれ。

「悪かったな、美咲。…って、あれ? もしかして一人?」
「ううん。友人と待ち合わせてます」
「そっか………うん?」

頷く花村先輩が、手の中が軽いことに気付いた。
クマがいない。わたしたちは同時にそれに思い立ち、同時に河川敷の奥を窺った。案の定、クマは誰かに声をかけているようだ。…でも、あれ。あれって…

「アラ。アタシに目をつけるなんて、分かってるじゃない?」
「「!!」」

クマが声をかけていたのは、二年の大谷花子先輩だった。
わたしはあの人と全く接点がないが…有名な先輩だからね。見れば分かる。そして決して声をかけちゃいけない相手だったというのも、分かるよ…。

「ぎゃあああ!よ、ヨースケ!サキチャン!助け…ッ」
「「無理」」
「クマアアアアアアア……!!」

大谷先輩に引き摺られるクマの、悲痛な絶叫が遠ざかっていく。
気付けばわたしと花村先輩は自らの両手を合わせていた。夜空に輝くクマの笑顔が見える気がする。さらば…クマ。君はわたしの尊い友達だった。ありがとう。

「……何、してるんですか? お二方」
「!」
「あ、直斗だ。やっほー」

待ち人来たれり。
腰掛けていたベンチから立ち上がるわたしと、呆れ顔で河川敷へ降りてくる白鐘直斗の顔を、花村先輩は何度も見比べた。唖然とした顔が面白い。

「え、と、友達って…チビっ子探偵のことだったのか!?」
「誰がチビっ子ですか。白鐘です!」
「……ていうか、二人とも知り合いだったんだね」

少し驚きながら言うと、不承不承といったふうに頷かれた。
知り合いではあるようだが、あんまり仲が良いわけではなさそうだ。花村先輩の不審そうな視線が全てを物語っている。直斗は気にしてないみたいだけど。

「つーか白鐘、まだ稲羽にいたんだな」
「はい。僕にはまだすべきことがありますから」
「すべきことって…デートか?」

ぽかんとした直斗の顔が赤らむ。
かなり必死にデートなんかじゃないですと否定していたが、相手は花村先輩だ。にやにやと楽しそうに笑って、直斗の肩をぽんと叩く。すげえムカつく。

「ま、頑張れよ。じゃあな!」
「途中で転んで死なないでくださいねー」
「死ぬか!」

どこぞへ消えたクマを探す素振りすら見せず、花村先輩が退場した。
その途端、直斗の肩から力が抜ける。どうやら彼、花村先輩が苦手らしい。
既に疲れている様子の直斗が可笑しくて、遠慮なく笑った。

「笑い事じゃありません。そもそも貴方はいいんですか? 完璧に勘違いされてましたよ。それに僕を誘うより、あの人と行ったほうが…」
「わたしは別に構わないよ。全部」

あっさりと答えると、また直斗が溜息をついた。
……勘違い、ねぇ。どうなんだろう。花村先輩の"勘違い"とやらは、わたしと直斗の関係のことでは無いんじゃないだろうか。不満そうに視線を落としている直斗の顔と小さな手、細い体なんかを見ているとそんな風に思えてきた。

というか、わたしは殆ど確信しているんだけれども。
万が一"勘違い"がわたし限定だった時のために、確認しておこうか。

「えいっ」
「!?」

呆れていた直斗の喉に触れてみた。
当然ながら目を剥き、手を振り払おうとする直斗。しかし彼の…いや、"彼女"の力はとても弱く、わたしを振り切れるものではない。わたしは自分から手を引っ込めると、「やっぱり女の子だよねぇ」と独白した。直斗の顔が真っ赤になる。

「な、なっ…!?」
「初めて会った時から疑問には思ってたんだけど。やっと確信できたよ」
「だからって!いきなり喉を触らないでくださいよ!?」

自らの首を抑えて喚く直斗に、首を捻る。

「でも、胸とか触るよりは全然よくない?」
「それよりはマシですけど、殺されるかと思いました」
「ひどい!」

いくらわたしでも殺さねーよ。どんだけ失礼なんだこの子。
わたしが傷つき、泣き真似をしていると、直斗はばつが悪そうに目を逸らした。そして何度目かわからない溜息をつき、貴方には勝てませんね、と呟く。

「お察しの通り、僕は女です」
「うん」
「この格好は、そうですね。職業柄というか、家庭の事情です」

職業柄。言うまでもなく探偵業だろう。
以前の口ぶりから察するに、直斗の家は代々探偵として続いているらしい。わたしはよく分からないけれど、まあそういうこともあるんだろう、と納得した。

「なるほどね。…大丈夫よ、誰にも言わないから」
「はい。よろしくお願いします」

律儀に頭を下げた直斗は、自らの手首に手をやった。
彼女は腕時計で時刻を確認し、「あの十分で花火が始まりますよ」と言う。
……マジか。もうそんな時間になってるのか。

「じゃあ移動しよ。わたし、いい所知ってるから」
「本当ですか。なら、急ぎましょう」
「うん」

直斗と一緒に河川敷を後にする。
歩いている途中、話している途中、花火を眺めている途中。
何度か見れた彼女の笑顔は、相変わらず奇麗だった。
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