お嬢さんに買い物させるべからず。 それは天城屋旅館の心得の一つであり、教訓である。 その理由は、まあ…林間学校の時に思い知ったんだけど。 あの時のことを思い出そうと頭痛と吐き気と眩暈がするから、あんまり思い出したくない。スルーしよう。わたしの心の平穏と明日の笑顔のために。 実はわたしも、彼女に負けず劣らずの料理下手である。 けれどブロッコリーとカリフラワーの区別はつくし、メモを見て確認もするから、買い物の許可は下りる。ていうかすぐにパシられる。現在進行形で。 「まあ別にいいんだけど。ジュネス嫌いじゃないし……って、先輩? 聞いてる?」 「ん……ああ。聞いてるよ。明日は晴れだってね」 聞いてない。絶対聞いてないよ。 お菓子棚にクッキーを並べるオレンジ色の後ろ姿。わたしは夕飯の食材が詰まった籠を手にしたまま、その哀愁漂う先輩を憐れみました。 だってこれ…なんかあったでしょ、確実に。何かに裏切られたでしょう。 「夏休み早々に精が出ますねぇ」 「うん」 「……花村先輩!構ってください!むなしいです!」 「ハァ……」 押しても引いてもびくともしない。 こりゃ重傷だわ、と頭を抱えた時、花村先輩が振り返った。 いつもの能天気な笑顔は何処へ行ったんですか、先輩。そんな枯れた表情は、そんな虚ろな目は花村陽介に似合いませんよ。怖いです、ぶっちゃけ。 「ああ、美咲。来てたのか…いらっしゃい」 「そこから!?」 今まで誰だと思って応えてたんですか、と叫んで花村先輩の肩を揺さぶる。 アハハと乾いた笑い声をあげる先輩。これはやばい。完全にどこかの螺子がトんでいる。夏バテ…じゃ、ないよね。ジュネスめっちゃ涼しいもんね。 「なあ、美咲。お前、オムライスってなんの味がすると思う?」 「は? …ケチャップとか、卵…ですかね?」 意図が読めないままに答えると、突然両肩を掴まれた。 強制的に覗き込まされた花村先輩の両目には、うっすらと涙が光っている。 「だよな……だよなぁ!!」 「……」 「ハバネロより辛かったりゴマ油味だったり無味無臭だったりしねえよな!」 わたしを解放した花村先輩は、両手で涙を拭っている。 何がなんだか分からないが、あれかな。雪子先輩たちがまたやらかした…みたいな認識で、あってるかな? 味覚への攻撃ってトラウマになるからなあ。 「花村先輩、わたしがオムライス作ると、緑色になりますよ」 「!? みッ…」 目を剥く花村さん。 彼が二の句を継ぐ前に、その場に第三者の声が響く。 「ヨースケ!あっちでコロッケが特売クマよ!」 人気のない菓子売り場に駆け込んできたのは、初対面の少年だった。 きらきら輝く金髪に、宝石のような碧眼。童話から抜け出した王子様のごとき風貌だけど、オレンジ色のジュネスエプロンが見事に雰囲気を欠いている。 りせといいマリーちゃんといい、彼といい。 今月は美形と出会う期間なのだろうか。どうでもいいけれど。 「うほっ? こ、こちらのお嬢さんはどなたクマ!?」 「あー、コイツは…」 「ヨースケってば、お仕事サボってイチャつくとは…許せんクマ!」 「「してねーよ!」」 完全に勢いの戻った花村先輩と声を揃える。 お互いに必死だった。お互いに失礼なことだとかは完璧に忘れ、謂れなき誤解を解くことだけを考えていた。冗談じゃねえふざけんな、とこの勢いで。 「わたしは春日部美咲。花村先輩とは、ただの学友です」 「ガクユー…よく分からんクマ」 「わたしが上で、先輩が下ってことです」 「逆だ!逆!!」 「ふむふむ。つまりサキチャンは、クマのお友達ってことクマね?」 どうしてそうなる、とツッコむ気力はないらしく、先輩は項垂れている。 わたしのほうは別にどうでも良かったので、そうだねぇと話を合わせておいた。 「クマは、クマクマ。よろしく、サキチャン!」 「……クマ? クマが名前なの?」 「そうらしい」 「もっとこう…横文字キラキラ、じゃなくって?」 「"クマ"だ」 「もしくは"熊田"クマ!」 クマクマ言い過ぎて頭が痛くなってきた。 懸命に現実から目を逸らそうとし、手元の籠に視線を落とす。そうだ…お買い物、まだ途中だった。あと何買うんだっけ。なめこ?なめこだったかな。なめこ… 「……花村先輩」 「なんだ?」 「……クマの肉って、ジュネスに売ってますか?」 「美咲落ち着け目が死んでんぞ!」 |