安心するよりも前に、来客が訪れた。 「素晴らしいわ、ルカくん。やっぱりあなたは強い人ね」 「チトセさん…どうしてここに?」 黒い髪に、抜けるように白い肌を持った少女が微笑む。 チトセというらしい彼女は、ほぼ間違いなく"サクヤ"だろう。 態度に口調。それから雰囲気。この中では、一番分かりやすいかもしれない。 「おい、ここは戦場だぜ?衛生兵がうろつく場所じゃねーだろ」 「…そうね。でも引き寄せられちゃうの。強い殿方に寄り添いたい、私の本能の部分が」 スパーダに微笑み返すチトセに、イリアが顔をしかめた。 相変わらず仲が悪いらしい。 チトセがイリアを見る目もまた、信じられないほどに冷たかった。 「ルカくん、おめでとう。あなたの活躍で、ガラム軍は撤退したそうよ」 「撤退…?こんなに早く?」 口を挟んだ私に、チトセが顔を向けてきた。 かちあう視線。彼女の黒い目が、驚きに軽く見開かれた。 …まさか一目で分かった、のかな。さすがはサクヤだ。 「そう仰っていましたわ。間違いないはずです」 「…そっか」 少し引っかかるものの、気に留めるほどでもないだろう。 私は小さく首を振って、ルカたちに向き直った。イリアの機嫌は最悪のようだ。 「じゃあ、戻らない?疲れたし」 「そうだな。そろそろ体を休めておこうぜ」 「そーだ、そーだ。食うことを怠ってはいかんのだ、しかし」 スパーダと、イリアの連れているネズミ…コーダ?が同調してくれる。 ルカとイリアも異論はないようで、深く頷いた。 チトセは一連のやり取りを無言で見守った後、「陣営でおもてなしいたします」と踵を返す。…と、その直後。 「わあっ!?」 地響きと共に、爆音が聞こえた。 慌てて開けた土地に走ると、陣営の方面から昇る黒煙が確認できた。 「オレたちの陣から、火が上がってやがる…!」 「…やっぱり。敵軍の撤退、早すぎると思ったんだよねえ」 「悠長に行ってる場合っ!?急ぐわよ!」 イリアに急かされ、陣営へ向けて走り出す。 惨憺たる有様の陣営に辿りついた時には、チトセの姿はなくなっていた。 「ガラム軍の奇襲だ!総員、警戒せよー!」 焼け焦げ、炭のようになったテントの合間を伝令兵が駆け抜けている。 直後に響く銃声。連動して倒れる伝令兵。 「みんな、伏せろっ!」 いち早く叫んだスパーダに従い、三人で地面に伏せる。 砂を擦る音に視線をそらすと、先日顔をあわせた鬼指揮官が匍匐全身で近づいて来ていた。曰く、ガラム兵は撤退するフリをして伏兵を置いたらしい。 「何それ、幼稚な作戦」 「黙らんか!ノコノコ無傷で帰ってきおって、このただ飯食いめが!」 「カグヤ、やっぱり働いてなかったんだ…」 ルカが沈んだ声を出した直後、スパーダが動いた。 絶え間ない銃撃で、狙撃手の場所を悟ったらしい。彼が草むらを切り裂くと、大きなライフルを抱えた黒衣の男が転がり出てきた。 「敵の本陣で単独行動たぁ、いい度胸じゃねえか!」 「好き勝手はさせないわよ!」 スパーダが剣を、イリアが銃を構える。 ルカも慌てて彼らに並び、大剣を抜いた。黒衣の男が舌を打つ。 「仕事の邪魔だ。消えろ」 低い声で言い放った狙撃手は、転生者三人を相手にも余裕を見せていた。 遊んでいる…っていうか、あしらっている、って感じだ。 銃を向けてはいるものの、殺意は感じられない。 ルカの剣を簡単にかわした狙撃手は、目を眇めて彼を見据えた。 「この太刀筋。…お前、アスラか」 「!えっ…」 ルカがぎくりとし、その顔を見つめ返す。 が、正体を悟ったのはスパーダのほうが早かった。真っ黒な狙撃手を『ヒュプノス』と呼び、ラティオの死神だったと説明してくれる。 …確か、名前はアスラから聞いたな。ラティオの猛将討ち取ったり、って。 「ってことは。アスラの敵ってワケね」 「そうなるね」 イリアの銃を持つ両手に力が篭る。 前世がラティオの者だった転生者は、例外なく襲い掛かってきた。 目の前の強い暗殺者が、本気で立ち向かってきたら。そう考えると、緊張するのも当然だろう。 …まあ、その時はその時で、私が全力で迎え撃つだけなんだけど。 しかし、そんな思いは杞憂に終わった。 狙撃手はゆっくりと銃身を降ろし、私たちの殺害は業務外であると言う。 前世と現世をきっちりと分けた人物のようだ。 転生者に話を聞きたいというイリアをけんもほろろにあしらい、何処へでも消えろと吐き捨ててくる。 …逃亡の相談中に思わず背後を顧みたが、指揮官の姿はなくなっていた。 その代わりに。 「な〜どという緊迫した雰囲気など気にせず、登場するオレ」 赤い槍を担いだピンク頭の男がいた。 彼はゆらゆらとこちらに歩みより、愉しげに狙撃手を見据えている。 「やあやあ、愉しそうだねえ。こういう愉しそうな光景に嫉妬の念を覚えるオレとしては、全てをブチ壊したくなるわけでして!」 「…誰、こいつ?あんたの知り合い?」 実に嫌そうな顔をしたイリアの問いに、狙撃手は溜息をついた。 「ハスタ。貴様、何が目的だ?」 「…ハイ!さてさて問題です。オレは、ここに何をしに来たんでしょうか?」 狙撃手の声を聞いてか聞かないでか、ハスタと呼ばれた彼は槍を立て、背筋を伸ばし。さながら一本の樹のように、美しい起立を見せた。 「1番、お花を摘みに。2番、夜空が綺麗なのでお散歩。3番、奇襲部隊への伝令」 コーダと一緒に首を傾げた。 …問題、かあ。普通に考えれば3番だけど、それじゃつまらないよね。 「いやいやしかし。3番!」 「ここは敢えての、2番で!」 「真面目に答えてんじゃねえよッ!つーか夜じゃねーし!」 スパーダには怒鳴られたが、ハスタは嬉しそうだった。 にやにや笑いながら指を振り、「ざんねーん!」と明るい声を出される。 「まだ問題の途中ですぅ。正解は、4番!」 ハスタが槍を閃かせる。 凄い速さだった。気付いた次の瞬間には、赤い穂先はまっすぐに狙撃手へと向けられている。私の隣に立つスパーダが、ごくりと生唾を飲み込んだ。 「手ごたえのない雑魚殺しに飽きて、リカルド先生にお相手願おうと刃物持参で表敬訪問!でーしたっ」 「…傭兵部隊の面汚しめ」 狙撃手…リカルド先生?はそう苦々しく吐き捨て、ライフルを担ぎ直した。 標準は当然のようにハスタに定められている。 「行け、ガキども。早死にしたくはないだろう」 一瞥もくれずにそう言われ、ルカやイリアが跳ね上がった。 金縛りが解けたような反応だ。 私とスパーダが真っ先に駆け出し、森の奥へと逃げ込んでいく。 …逃げる途中、背後から金属のぶつかり合う激しい音を聞いた。 |