「もうノロケ話は聞き飽きたわ」 うんざりして言う私に、アスラは声をあげて心外そうに笑っていた。 「まあそう言うな、クシナダ。最近の朗報と言えば、イナンナの話しかなくてな」 「何言ってるの。過日、ラティオの小隊を打ち破ったそうじゃない」 ヴリトラに聞いた話だった。 アスラは一瞬だけ言葉を詰まらせた後、ばつが悪そうにこう継げた。 「小隊ひとつだ。とてもお前に報告する程では…」 「あら、いいのよ。私はどんなに小さくとも、貴方の勝利が嬉しいの」 アスラ。 顔を知ることは出来ないけれど、あなたの声と優しさは知っている。 大好きな友人。弟のような友人。誰より大切な、私の友人。 「天地の統一…貴方の願いは、きっと叶う。 私はここから出れないけれど…願う心はずっと一緒よ。アスラ」 * 目前にした『真実』に、耐え切れず膝をついた。 全身から力が抜けていく。 頭の中が真っ白になって、それでも目が離せなくて。 …自分が自分で無くなったような、空っぽの気持ちを味わった。 「う…そ。何これ…?」 最初に声を発したのは、イリアだった。 彼女はふらふらと足を進め、『真実』を見つめ…そして、頽れる。 当然だろう。 今の彼女の慟哭は、筆舌尽くし難いほどの大きさだろうから。 「アスラと、イナンナが…刺し違えている!」 アンジュが悲鳴のような声で叫ぶ。 その通りだった。 目の前にある、石像…神の遺体。 それは紛れも無くアスラとイナンナのものだ。私は彼らの顔を見れなかったけれど、間違えるはずがない。二人とも、私の知る彼らで間違いない。 イナンナの胸を、アスラの腕が。 アスラの胸を、折れた剣が…デュランダルが、貫いている。 「これで分かっただろう」 私たちの入ってきた扉の方角から、マティウスの声が聞こえてくる。 「これが、天上界崩壊の真相…全ての『真実』だ」 シアンやチトセと共に現れた彼女は、自らの仮面を外し、投げ捨てた。 …初めて明かされた、マティウスの素顔。 しかしその"顔"を知らない者は、ここにはいなかった。 「ルカ、お前は裏切られたのだ。かつて愛した、イナンナという女に」 「…うそ」 「嘘なものか。私の顔をよく見ろ!」 両手を大きく広げたマティウス。 彼女の素顔は、イナンナのそれと寸分違わず同じものだった。 「イナンナへの恨みは骨髄にまで達した。そして転生してもその無念を忘れぬよう、その刻印を自らの顔に、魂に刻んだのだ」 ……やめて。 「私はアスラの転生。ルカ、お前の魂の半身だ」 ……やめて。やめて、やめて、やめて。やめて! イリアの悲鳴が響く。スパーダの膝をつく音が聞こえる。 チトセの微笑が見える。項垂れ、絶望するルカの顔が見える。 「使命なのだ」 煌々と輝く創世力。 虚ろな目で歩み寄ってきたルカを一瞥し、マティウスが告げる。 「私は世界を滅ぼさなければならない。人であれ、神であれ。存在することが敵を生む。こんな世界、無いほうがいい……そうだろう?クシナダ」 唐突に呼ばれた『本当の名前』。 私は地面に座り込んだまま、半ば無意識で顔を上げた。 …掠れきった視界に、イナンナの…マティウスの笑顔が、見える。 「数千年、この瞬間を待ち焦がれていたのだろう?全てを知る瞬間を!」 「…やめて」 「どうだ?友の死を!世界の死を!その真相を突き止めた心境は!」 「…ッやめて!!」 叩きつけるように叫んで、立ち上がる。 足元が縺れた。上手く立ち上がれなかったけれど、どうでもよかった。 …今は、ただ。目の前の"彼女"の声が、怖い。 「…数千、年?どういうことよ…カグヤ…」 「…」 「あら、知らなかったの?イナンナ」 涙で濡れた顔を上げるイリアに、チトセが嘲笑を投げかけた。 …やっぱり、あの子は知っていたのか。私のことを。 唇を噛み締めて、割れるように痛む頭を抱え込む。痛い。痛い。痛い。 「カグヤなんて女、どこにもいないわ。 その子は『クシナダ』。転生なんかしていない、正真正銘の"神"よ」 目の前が真っ暗になる。 意識が飛びそうになったけれど…最期に残った理性で、なんとか耐えた。 一人だけ寝るわけにはいかない。逃げる、わけには… 「天地は腐っている。こんな真実、知らなければ良かった…お前はそう思ったはずだ。それが真理だ。世界が無ければ、そのような絶望は…」 「ッ待って!…待って、ください」 饒舌に話していたマティウスを、シアンが遮った。 彼は見慣れた二匹の犬を連れたまま、引き攣った笑みを浮かべている。 「嘘…ですよね。世界を滅ぼすなんて。だって貴方は、理想郷を…」 「理想郷だとも。全ての等しい、虚無の世界だ」 シアンの表情が凍りつく。 彼は感情に任せて叫び、マティウスに襲い掛かったが…無駄だった。 軽い体は簡単に吹き飛び、床に叩きつけられ、転がっていく。 「…さあ、ルカ。憎しみと裏切りの無い世界を望むなら、力を振るうのだ!」 高らかに言い放つマティウスに、シアンが笑みを漏らした。 ルカと彼女は、魂が同一。つまり『二人』ではなく、同一人物。 よって創世力は使えない、と創世力の番人自らが告げていく。 しかしマティウスは動揺しなかった。 自分を使えというチトセを無視し、鼻を鳴らしただけだ。 「仕方ないな。ではもう一つの手段を取るしかない。 ルカ。お前の心に住み着いた女…イリアの命を持って、創生力を発動させるのだ」 |